第15話 モニカの訴え
時刻は二十一時ちょうど。
「あらあら、まぁ〜〜。すっかりお疲れねぇ、ウィル」
馬車で二時間揺られ、王都の外れにあるブライトベリー公爵邸から戻ったウィリアムを出迎えてくれたアデラインが、苦笑した。
帰ってきたら真っ先に顔を見せてちょうだいね、という王妃の言に従って彼女の私室を訪ねたウィリアムだけれど。本音を言えば、今すぐにふかふかのベッドに身を投げてしまいたかった。
昨日は真夜中までウィンザー伯爵家の夜会に出席し、仮眠を取った後は早朝から教会へ赴き、先日筆頭聖女に就任した女性に祝辞を述べ。昼からは公爵邸で開かれた婚約披露パーティに参加。連日の社交で神経をすり減らした上に睡眠時間まで削られてしまったので、疲弊は隠せなかった。
「ブライトベリー公の厚意に甘えて公爵邸に泊まってくればよかったのだわ。あそこは警護もしっかりしているもの」
「どちらでも構わないという話でしたし、王宮のほうが気楽に過ごせますから」
向かいのソファに腰掛けながら、ウィリアムはそう誤魔化した。
連日のアデラインの不穏な言動が引っかかり、レティシアを心配して帰ってきました――なんて本音は、絶対に口に出せない。
「レティの様子はどうですか?」
慣れない公務や後宮での生活に、体調を崩したりしていないだろうか。適度に手を抜くということを知らない彼女は頑張り過ぎてしまうから、そういった意味でも心配だった。
「緊張している様子もないし、普段通りなんじゃないかしら。公務もよくやってくれているわ。ふふ、それからね、さっき一緒に夕食を取ったわ」
どう、羨ましいでしょう、と言わんばかりにアデラインが満面の笑みを浮かべる。
先日ウィリアムにモニカをエスコートさせたことといい、穏やかではない言動が目立っているが。レティシアを愛でる姿勢は以前と変わりないみたいで、アデラインの腹の内がさっぱり読めない。笑顔の裏で何を考えているのかわからない人なのは、今に始まったことではないのだけれど。食えない人だからこそ、王妃をやっていられるのだと思う。
「レティちゃんってあまり表情が変わらないでしょう? でもね、気に入った料理があるとちょっと仕草に出るのね。こう、口角がちょっとだけ上がるの。それがもう、可愛くて可愛くて。あの子の好物を推量して楽しんでいたら、あっという間に食事の時間が終わってしまったわ」
「…………」
話を聞けば聞くほど、穿ちすぎなのかなぁという気持ちになってくるし、アデラインの発言に共感できてしまうのがなんとも複雑だった。
あまりレティを困らせないであげてくださいね、とウィリアムが苦笑する前に、扉が叩かれた。応じたアデラインに、顔を覗かせた侍女が困り顔で言った。
「モニカ様が王妃様にお目通り願いたいと……」
ウィリアムは耳を疑った。こんな時間に王妃の私室を訪ねてくるなんて、常識外れだ。
「通して構わないわ」
礼儀に厳しいアデラインのことだから、断ると思ったのに。あっさり応じた王妃の対応を訝しみながら、ウィリアムは立ち上がった。なるべくモニカと距離を取っておきたかったからだ。彼女が来るなら自分は退散してしまおう。
そう思ったのに。
「待ちなさい、ウィル。もうしばらくここにいなさいな」
アデラインに呼び止められ、ウィリアムは仕方なくソファに座り直した。またモニカと引き合わせたいのだろうか。辟易とするウィリアムの心中なんて知りませんと言わんばかりに、アデラインはほわほわとした笑みを湛えている。
入室してきたモニカは二人の王族の前で行儀よくお辞儀した。彼女の背後には、なぜかレティシアに付けているはずの侍女が控えていた。そのことを不審に思いつつ、
「こんばんは、モニカ嬢」
ウィリアムが微笑みかけると、モニカは夜分遅くに申し訳ありませんと恥じらう表情を見せた。だが、すぐ困り顔になる。
「婚約者であるウィリアム様の前でこのようなこと、告げ口のようで気が引けるのですが……」
不吉な前置きだった。眉を八の字にしてモニカが言う。
「レティシア様が、私の部屋からブローチを盗んだのです」
とんでもない発言に、ウィリアムは眉根を寄せた。
「何かの間違いではありませんか? 彼女はそんなことをする人ではないですよ」
ウィリアムが頭を振ると、モニカは背後の侍女を目線で示した。
「ウィリアム様が信じられないとおっしゃるのは、当然のお気持ちだと思います。婚約者が盗人だなんて……信じ難いでしょう。ですが、事実なのです。彼女が証人です。私の部屋からブローチを盗み、レティシア様のベッドの下に隠したと……。レティシア様から命じられたのだと、私に打ち明けてくれました」
熱のこもったモニカの訴えは、ウィリアムにとって到底、信じられる内容ではなかった。ちらりと侍女の顔を窺う。
「モニカ嬢の話は、本当なのですか?」
「……はい。モニカ様がおっしゃった通りです。レティシア様に命じられ、私がモニカ様のお部屋からブローチを盗……持ち出しました」
首肯した侍女は、今年で二十歳になるテイラー男爵家の三女だ。確か、後宮に五年勤めている。こんな嘘をつく女性ではないはずだった。
――どういうことだ?
レティシアがそんな命令を出すはずないから、侍女が嘘をついているのは間違いない。実はブローチを盗んだのは侍女で、モニカにバレてしまったから咄嗟にレティシアに罪をなすりつけたのだろうか。
だが、宮女は女官長によってしっかりと教育されている。後宮で生まれ育った十八年のあいだで、手癖の悪い宮女が問題となったことなど一度もなかった。
「信じられませんか……? でしたらどうか、レティシア様の部屋を調べてくださいませ。事実だとはっきりするはずです」
モニカの切実な訴えに困惑を深めるウィリアムの対面で。
「よく、打ち明けてくれました。事実だとすれば、王宮の品位を下げる最低な行為だわ」
「母上……っ!?」
ウィリアムはぎょっとする。こんな話を母が真に受けるなんて思っていなかった。レティシアよりも、長年仕えている侍女の証言を信じるというのだろうか。
王妃という味方を得たモニカは、途端に瞳を輝かせる。
「では、今すぐにレティシア様の部屋に――」
「それは難しいわ」
意気込む彼女を、アデラインがやんわりと制した。
「私たちに真実を伝えたいモニカ嬢の気持ちは、痛いほどよくわかるわ。でもね、レティシア嬢も今はあなたと同じ大切なお客様なの。立場上、私は公平を保たなくてはなりません。一方の言い分にだけ耳を傾けるわけにはいかないの。まずはレティシア嬢に話を聞くわ。然るべき手順を踏んだ上で、事実を明らかにしましょう」
アデラインの発言は、何から何まで信じ難いものだった。最終的に、王妃はレティシアの部屋を調べるつもりでいるのだ。
婚約者を盗人扱いされて心中穏やかではなかったが、感情任せにレティシアを庇ったところでアデラインの考えが変わるとも思えない。
王妃付きの侍女がレティシアを呼びに行く。ウィリアムは思案した。立ち上がったアデラインはモニカの肩に手を置き、宥めるように微笑みかけている。
モニカは執拗にレティシアの部屋を調べたがっていた。公爵家の令嬢を盗人呼ばわりして部屋の中まで探させて。何も出てこなかった時、モニカは恥をかくどころでは済まない。直接話してみた感想としては、そんなことも判断できないほど愚かな令嬢だとは感じなかった。
もし本当に、盗まれたというブローチが出てきてしまったら――。
ウィリアムは、壁際に控えていた自身の従者を目線で呼び寄せた。ウィリアムが十二歳の時から仕えてくれている、四つ年上の青年だ。学園にも同行させている忠実な僕に、ある頼みを耳打ちする。頷いた彼が部屋を出て行った。
何が起きているのか、今のウィリアムには見当もつかないけれど。やるべきことは一つだった。




