第2話 王妃の提案
城内の一画。王妃用の執務室の前には、見張りの騎士が二人立っていた。ウィリアムに気づくと騎士は丁寧に一礼し、扉を開けてくれる。室内には先客がいた。
王妃が腰掛ける執務机の前で恭しく頭を下げたのは、クラウス・アルトリウス。王国の宰相だ。
「ごめんなさいね、アルトリウス公。相談の続きは後日お願いするわ。今日は息子を優先させてちょうだいな」
アデラインがやんわりと退出を促すと、クラウスは相も変わらず読めない表情で会釈をして、執務室を出て行った。
二人きりになると、王妃はさっそく本題に入る。
「前々から公爵と相談していたのだけれど、冬季休暇のあいだ、レティちゃんに私の公務の補佐をお願いしようと思うの。陛下がお戻りになるのは、年末ですから。まったく、この忙しい時期に国王を呼び出したアイネクラインの非常識さには、うんざりしてしまうわ」
ウィリアムの父は現在、北の隣国アイネクラインとの会談に臨んでいる。年始に起きた自然災害によって発生した難民の受け入れ問題で、アイネクラインとは揉め続けているのだ。ようやく交渉の場を設けることに賛同してくれたと思ったら、年の瀬という最悪の時期を指定してきたのだから、アイネクラインの王は困った人だった。ルクシーレからすれば、嫌がらせ以外の何者でもない。
「この時期の王妃の公務をレティに任せる、ということですか?」
「そういうこと。新年の夜会の準備を色々と、ね。招待状の用意以外は頷いておけばいいだけの簡単なお仕事ですし、社交に不慣れなレティちゃんでも問題ないでしょう」
当日の会場の飾り付けをこうしたいとか、ドレスや料理はこれでいいかなどの提案に許可を出せばいいだけだから、王妃の言う通りレティシアでも肩代わりできる公務だろう。
「落ち着くまでのあいだ、レティちゃんは後宮に滞在することになるわけだけれど。公務以外の時間はランドール伯爵令嬢のお勉強に付き合ってもらおうかしらと思っているの。レティちゃんから学べるものは多いでしょうし」
ウィリアムは眉を顰めてしまう。
レティシアを蹴落として娘を王太子の婚約者に据えたいという、伯爵の魂胆は明らかなのに。わざわざレティシアを招くタイミングで伯爵令嬢を後宮へ上げるのか。
「ちなみに、これはレティちゃんのお父上の提案よ。伯爵令嬢は十七歳で年も近いし、二人が打ち解けてくれるなら、将来レティちゃんの専属侍女にするのもいいかもしれないわね」
確かに、伯爵令嬢を王太子妃付きの侍女に据えるのもいいだろう。あくまでランドール伯爵家に野心がなければ、だけれども。
「不服そうね」
無言でいるウィリアムの心境を、王妃はそう解釈したらしい。
「……アルトリウス公の考えが、よくわからないだけです。伯爵の要求は、公にとって諸刃の剣なのに」
王太子の婚約者は彼の娘なのだ。それとも本当に、理事長室で口にしていたように、婚約者の交代を視野に入れているのだろうか。
「公爵は……本心では、婚約の解消を望んでいらっしゃるのでしょうか?」
レティシアのこれまでの努力を、公爵はなんとも思っていないのだろうか。
「レティちゃんが次期王妃の座から退いたら、アルトリウス公は宰相の座を維持できる上に、自分の血を次代の公爵に残すことができる。良いこと尽くめなのは事実ね」
「僕との婚約は本来、公爵にとって望ましいものではないのですよね……」
王妃の父親が宰相では、権力が一点に集中し過ぎてしまう。故に、レティシアが王家に嫁いだ後、クラウスはその座を宰相補佐に明け渡すことまでが規定路線。また、クラウスにはレティシア以外に子がいないため、公爵位も彼の弟の息子に継承させなくてはならない。
クラウスの政治手腕は貴族の誰もが認めるところ。だが、有能だからといってクラウスが重宝されることを誰もが好意的に思っているわけでもない。公的なクラウスの発言権を弱めるために、レティシアと王太子の婚約を認めている貴族は少なくない。
それでもクラウスは国王の決断を粛々と受け入れ、再婚を拒み、養子も取らなかったというのだから、ウィリアムには宰相の考えがよくわからなかった。
王族との縁戚関係が得られるから、クラウスはそれだけで満足なのだろうか。
「……クラウスが見ているのは、いつだってこの国の未来よ。だから信頼できるの」
人懐っこい瞳を煌めかせて、アデラインは自信たっぷりにそう言う。
ウィリアムにとっては思うところが多分にある宰相殿でも、国王夫妻にとっては信頼できる忠臣なのだ。
「それでね、ウィル。レティちゃんが後宮に泊まるなんて初めてのことでしょう? せっかくの機会ですもの。素敵な思い出になって欲しいじゃない? そのための、お部屋の内装で悩んでいるの」
「はい?」
いきなり話が飛躍して、ウィリアムは目を白黒させる。
いそいそと執務机の引き出しを開けたアデラインが取り出したのは、数枚のプレートだ。透明な板には、素材の異なる青色の生地が何枚も貼り付けられている。
「壁紙と家具は白で統一したのだけれど、レティちゃんはウィルの瞳と同じ青色が好みでしょう? どこかに取り入れたくて、カーテンにしようと決めたの。レティちゃんはどれが好みだと思う?」
浮き浮きと尋ねられても。厳格な執務室にこんなものを持ち込んでいいのだろうか。
スイッチが入っている時のアデラインはそれはもう立派な王妃なのだけれど、普段は型破りなものだから、ウィリアムはたじろぐことが多い。
レティシアにとって過ごしやすい部屋になって欲しいという王妃の気遣いはわかるから、サンプルには目を通すけれど。
ひんやりとした板を一枚手に取ったウィリアムは、あれ、と思った。
「冬季休暇まで二週間と少ししかありませんが、これから発注して間に合うのですか?」
おっとりとした王妃の瞳がきょとんと瞬く。
「なんのために権力というものがあると思っているのかしら?」
「こんな時のためじゃないことだけは、確かですね」
レティシアが時々いい加減なことを言うのは、間違いなくこの王妃様の影響だった。




