第19話 二人の用件
「ねぇ、レティ。あれ、いつまで放置しておくつもり?」
休み時間。席に着いたメリルが、迷惑極まりないといった顔で見上げてきた。レティシアは眉根を寄せる。
「わたくしに言われても……困るわ」
「あなたに言わないで誰に言うのよ。どう見たって、目当てはレティでしょ?」
鋭さを孕んだ琥珀色の瞳が、ジロリと廊下を睨めつけた。レティシアも仕方なくその視線を追うのだが、開け放たれた扉の側に立っていた男子生徒は、目が合うとパッと視線を逸らしてしまう。戸口に落ち着きなく立っているのは、ハルト・ブライアだ。
ハルトが休み時間に訪ねてくるのはこれで三度目。一限目と、二限目の後。その時も彼はああやって教室の入り口に立っていて、遠巻きにレティシアを窺っていた。メリルの言う通り、彼の目当てはレティシアだとは思うのだが――。
「わたくしに用件があるなら、なぜ視線を逸らすのかしら?」
「ルクシーレの薔薇が眩しくて、照れているんじゃない? 直視できないでいるのよ、たぶんね」
メリルの冗談は聞かなかったことにして、困惑から顔をしかめる。
「不審な点は他にもあるわ。わたくしに話し掛けにくるどころか、呼び出そうとする素振りもないのよ? 一体、何をしていらっしゃるのかしら……」
三男とはいえ名門ブライア家の令息で、一年生唯一の生徒会役員であるハルトに興味を示す生徒は多い。現に、何人かの級友がハルトに声を掛け、用件を尋ねていた。その度に、彼は否定の仕草を取っている。
「本人に聞けばいいじゃない。挙動不審な態度は理解不能だけど、彼のお目当ては絶対にレティよ」
先日の険悪なやり取りを思い返すと、気乗りせず。またあんな風に言い掛かりをつけられたら困ってしまうわ――なんて。葛藤し続けた結果、今に至る。
気は乗らないが、これ以上放っておくのも気が引けた。それに、ルーシーをどう牽制するか昨日から考え続けていたレティシアにとって、彼の存在は渡りに船なのだ。
心を奮い立たせて、ハルトに近づく。
「ハルト様のお目当ては、わたくしなのでしょうか?」
「え゛っ」
物凄く嫌そうな反応が返ってきた。カエルを踏み潰したような声は聞かなかったことにして、ハルトに微笑み掛ける。
「わたくしにご用があるのでしたら伺いますが、場所を変えませんか? ここでは邪魔になってしまいますわ」
「あぁ、いや……うん」
たじろぎながらも同意が返ってきたので、目当てはレティシアで正解だったみたいだ。
廊下の端に寄って、首を傾げる。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
「このあいだの、ことなんだけど……」
「はい」
続く言葉は、なかなか出てこなかった。ハルトは口ごもっている。おろおろと視線を揺らす彼は、やっぱり落ち着きがない。しばらく言い難そうにどもっていたハルトだったが、思い切ったように言った。
「公爵令嬢の態度は、ひどかったと思うんだ」
「…………」
往来で揉め事を起こしたくはないので、レティシアは微笑んでやり過ごすことを決めた。ハルトが何を言っても笑って流そう。
次は何を言われるのだろうかと、身構える。
「けど、俺は侯爵家の息子で公爵令嬢は一応、きっと、たぶん、未来の王妃なわけだから……臣下として礼を欠くのは良くないっていう、ウィル様の言うこともわかるし……」
王妃の前に気になる単語がちらほら聞こえはしたものの。婚約者の名前が挙がったので、レティシアの意識はそちらに惹かれた。
「だから、えぇと。公爵令嬢はひどい物言いだったけど、元はといえば吹っ掛けたのはこっちだし……俺が悪かったです。失礼なことを言ってごめんなさい」
大きな瞳が真っ直ぐにレティシアを見据えた後、きちんと頭を下げてくる。
面と向かって謝罪されて、びっくりした。レティシアから詫びて全面的に非を認めでもしない限り、ハルトとは険悪なままだと思っていたのに。
レティシアの反応を窺っている、どんぐり眼。憤りで燃えていた先日とは異なって、浮かんでいるのは戦々恐々とした怯えの色だ。許しを得られなかったらどうしようという、不安。
「……先ほど、殿下のお名前が挙がりましたが。わたくしの苦情を殿下に?」
「いや、それは……。だから、えぇと」
困ったように頭を掻く、ハルトのわかりやすさといったら。
あんなに敵意を剥き出しにしていたハルトが、たったの二日で態度を翻した理由。ウィリアムが上手く宥めてくれたに違いなかった。
敬愛する先輩とよく知らない同級生という、立場の違いはあれど。レティシアでは頑なにさせてしまうだけだったハルトの心を容易く解くウィリアムの人たらしっぷりは、罪の領域だ。
「ハルト様は、殿下には敵わないのですね」
「そりゃ、まぁ。間違ったことは言わない人だって知ってるし。だからウィル様が自分から池に入ったのは、今でも信じらんないけど」
「……当事者でなければ、わたくしも同じことを思うかもしれませんわね」
疑いを向けられた時は腹が立ってしまったけれど。信じられないという想いも、わからなくはなかった。それくらい、ウィリアムは品行方正な王子様なのだ。
ウィリアムの後輩が頭を下げてくれたのだから、レティシアが意地を張るわけにはいかない。
「わたくしのほうこそ、平静さを欠き、ハルト様に失礼なことを申しました。ご無礼を働き、申し訳ございませんでした」
レティシアが深々と頭を下げると、ハルトが意外そうに目を瞠った。少しでも伝わってくれればという想いを込めて、色素の薄い瞳を真剣に見つめる。
「ハルト様の目にわたくしがどのように映っていようと、殿下にご心配をお掛けするのはわたくしの本意ではないと――それだけは、ご承知おきください」
まじまじとレティシアの瞳を覗き込んでいたハルトが、う〜ん、と唸りながら首を傾け。難しげな表情はやがて、腑に落ちたというものに変わった。
「……そっか。うん。ウィル様の言う通り、俺が誤解してたみたいだ。ごめんね」
「……はい?」
先ほどよりも柔らかい口調で放たれた『ごめんね』に、レティシアは首を傾ける。
「わかるよ」
「わかる?」
なんの話だろう。
戸惑うレティシアを置き去りにして、ハルトはなんだか嬉しそうに瞳を輝かせる。
「さっきから公爵令嬢、ウィル様の話ばっかりしてる。それってさ、ウィル様を気に掛けてるからじゃん? わかる、わかる。俺もウィル様に心配掛けたくなくて、嫌々だけどこうして公爵令嬢に会いにきたわけだし」
「はぁ……」
何を言っているのかイマイチよくわからなかったが、ハルトが教室の前で渋っていたのはレティシアと顔を合わせるのが嫌過ぎたからだということだけは、わかった。
「よく、わかりませんが……わだかまりが解けたと捉えて、良いのでしょうか?」
「あぁ、うん。それでダイジョーブ」
にっかりと笑うハルトが満足そうだったので、レティシアは細かいことは気にしないでおこうと思った。
あー、スッキリした、と。晴々とした顔で立ち去ろうとするハルトに、ハッとする。レティシアも彼に用があるのだ。
「お待ちください、ハルト様。図々しいことは承知の上で、お願いしたいことがあるのです」
振り返ったハルトが、目を瞬かせる。
「お願い?」
「今日の放課後、生徒会室に行かれますか?」
「やることなくて暇だけど、行かなかったらもっと暇になるから、顔は出すかな」
「でしたら、アレクシス様に言伝をお願いしたいのです。力をお借りしたいので、都合の付く日時を教えてくださいませ、と」
「それだけ?」
「はい」
「わかった。アレク先輩に伝えとく」
レティシアがお礼を言って会釈すると、ハルトはじゃあねと手を振りながら、自分の教室に戻っていった。
昨日と今日は平和。でもこの先もそうだという保証はない。これ以上ウィリアムを煩わせることがないよう、やるべきことをやらなくては。
気乗りしない心に蓋をして、レティシアは気合を入れ直した。




