涙
うわあああああん、と少女の泣き声がこだまする。
午後七時。
夕暮れ刻を迎え、次第に薄暗さが増していく東の港。
マルガリータ姫が船の上で、仰向けに寝かされた白髪の少年にすがって慟哭を上げている。
事態が落ち着いたことを見計らい、水兵団員たちがチョップの捜索を開始したところ、すぐに少年は発見された。
船の上にいたことが幸いしてか、揺り籠の中にでもいるかのように、エルアルコンの甲板に倒れていた水兵チョップ。
通りすがりの医師による検査結果に一縷の望みをかけたものの、残念ながら『死亡』が確認された。
国を守った少年の悲しい結末に、一同は落胆し言葉を喪う。
だが、チョップの顔に浮かんでいたのは微笑み。
全ての罪から解かれ、全てを出し尽くして愛する者を護り抜いた、一辺の悔いもない満足した笑顔だった……。
マルガリータ姫が、チョップの亡骸に向かって涙ながらに語りかける。
「チョップくん、見て見て。チョップくんが頑張ったから、サン・カリブ島も国のみんなも無事だったよ」
水兵団員たちが見守るなか、マルガリータがチョップを揺すり起こそうとするが、目をつぶったまま返事はない。
「チョップくんがこの国を救ったんだよ。チョップくんはもう『ポンコツ水兵』なんかじゃないよ。『救国の英雄』なんだよ」
東の空から顔を見せる満月が、平穏を取り戻したサン・カリブ島を照らすものの、チョップはもうその姿を見ることもない。
「帝国軍も皇帝もいなくなったし、平和になったんだよ。みんな安心して、幸せに暮らせるようになったんだよ。それなのに……」
マルガリータは美しい顔をくしゃくしゃに歪めながら、ポロポロと真珠のような涙を零す。
「何で、自分だけ死んじゃうの! わたしをお嫁さんにしてくれるんじゃなかったの!」
こんなのって無いよーーーっ! と再び大声を上げて泣き崩れるマルガリータ。
周りの水兵団員からもすすり泣く声が漏れる。
ジョン兵団長とスワン副団長は静かに涙し、ぐおおおーん! と男泣きに泣くトーマス副隊長。
チャカも、鳩のピーちゃんと伝書鳩部隊も人目をはばからず、オイオイと泣きはらす。
泳げず戦えない、心優しいポンコツ水兵。
体力バカで大食らいのくせに素直で礼儀正しく、いじられたらいつも困ったような笑顔を見せる少年水兵。
彼の人となりを知る者は、その在りし日の姿を思い起こし、涙にくれる。
夕焼けに浮かぶ海に刻まれた十字架が、物言わぬ彼の墓標のように思われた。
「わたしは王女失格だよ……。本当なら国が救われた事を喜ばないといけないのに、チョップくん一人を失った事の方がこんなにも悲しいなんて……」
王女に相応しくない言動も、今さら誰も咎める事はなく、皆はただ少年の死を悼む。
マルガリータは最後のあがきとばかりに、チョップを揺さぶる。
「起きて、起きて起きて起きてよっ! 返事をしてよ! チョップくんお願い、目を覚まして……」
「マルガリータ、もうこれ以上は……」
すでに日も落ち、夕闇が深くなる中、王が首を振りながら彼女を諭す。
マルガリータはしばらく少年を見つめた後、覚悟を決めたように頷くと。
「最後に、チョップくんとお別れをさせてください……」
そう言って、マルガリータはチョップの唇にゆっくりと口づけを落とす。
二人にとって、初めてのキス。
今ここに、幼い頃に交わした約束が果たされる。
洋上に浮かぶシルエットの美しくも悲しい姿に、皆は顔を覆って肩を震わせる。
一瞬のような、永遠のような時間が経ち、マルガリータは名残を惜しむように唇を離した。
月明かりを受け、思い出の桜のネックレスが胸元で寂しく光る。
マルガリータは自分の唇を指でなぞりながら。
「あったかい……。まるで、チョップくんがまだ生きてるみたい……」
そして、マルガリータは首をかしげた。
「んんん? まだ、生きてる?」
慌てて、上半身裸のチョップの胸に耳を当てる。すると、トク…………、トク…………と、微かではあるが心音が。
「動いてる……、チョップくんは生きてるわ!」
『何だと!?』
やにわざわめく水兵団員たちに、マルガリータは鋭く問う。
「チョップくんの『死亡確認』をしたのは誰!?」
「通りすがった、魁◯男塾の王大人です」
「それは生存フラグよ!!」
「急げ、心臓マッサージだっ!」
赤髪のトーマス副隊長が駆け寄ると、チョップの胸骨をドスドスドスとリズミカルに押し込む。
「誰か人工呼吸をしてくれ!」
「えー、ファーストキッスが男なんてかんべんしてえな」
と、チャカと周りの水兵団員はもじもじする。
「揃いもそろって、童貞か! んな事言ってる場合じゃねえだろが!」
『みんなー! どいてー!』
いつの間にかメインマストの一番低いところに颯爽と立った、マルガリータ姫がチョップの上にヒップドロップを敢行する。
「カウンターショーック!!」
ドボオッ!
『ぎゃふーんっ!?』
「見て! やっぱり、チョップくんは生きてる! ぎゃふーんって言ったよ!」
『すげえ、リアルにぎゃふんって言うやつ初めて見た』
『いや、今のでトドメを刺したんじゃないか?』
しかし、チョップは咳き込みながら息を吹き返す!
「ゲホッ、ゲホッ……。み、みず……」
「よっしゃ、ミミズやな! そのへんの畑から千匹ぐらい集めてきたるわ!」
「違うわ、水よ! チョップくんはお水がほしいの!」
ダッシュするチャカを、マルガリータはあわてて呼び止める。
「なんや、チョップのやつ大食らいやさかい、てっきりミミズを食いたいんかと」
「チョップくんはミミズなんか食べないわ! カエルは食べてたけど」
「カエルは食うんかい!」
団員から差し出された水筒を受け取り、マルガリータはチョップに飲ませようとするが、水を飲む力すら失っているため口の端から零れ落ちる。
「ダメだわ……、こうなったら!」
マルガリータは水筒の水を口に含むと、口移しでチョップに流し込む。コクッと嚥下する音が聞こえ、オオーッと一同からどよめきが起こる。
「やった、飲んだわ! 次は食べ物よ、誰かお肉を持ってない!?」
「姫、これを!」
トーマスから差し出された干し肉も、マルガリータは口移しでチョップに食べさせる。
「大丈夫よ、わたしが全部してあげるから」
あむっ、むちゅっと幾度もいくども口づけをかわす二人の姿は、目の前で良質なセッ◯スを見せられているようで、セーラー服を着たマッチョな男たちは顔を赤らめたり前屈みになったり。
「はーい、しっかり良く噛んでねー」
そして、マルガリータにチョップが無理やりあごをかっくんかっくんさせられている姿は、エロくないのでほっこりする。
そんな事を何度か繰り返していると。
「ん……、ここは……?」
チョップがおぼろ気に意識を取り戻し、ゆっくりと目を開ける。
「チョップくん……」
「あれ……、マルガリータ……。ぼくは……、生きてる……?」
「チョップくんっ!!」
寝そべったままのチョップに、ガバッと抱きつくマルガリータ。
お前、なんちゅう体力しとんねーん! とチャカからツッコミが入り、周りの者からも船に乗り切れなかった千人の団員たちからも、ウオオオオオーッ!! と大歓声が上がった。
「マルガリータ……、ケガはない……?」
「チョップくんのバカ! わたしよりも自分の心配をしてよ!」
「離して、マルガリータ。僕は汚れてる……」
「いやっ、離さない! もう、わたし絶対離れないんだからーっ!!」
うわーんうわーんと泣きながらチョップの首にしがみつくマルガリータと、喜びに沸き上がる水兵団員たち。
「腕が動かない……」
マルガリータを突き放すことも抱き締める事もかなわず、チョップは一筋の涙を落とす。
「そうか……、僕は死ななかったのか……。そうか……」
この時に、彼が流した涙。
その本当の意味を知るものは、今は誰一人としていなかった。




