97:絶望の刻、来たれり。
――徐々に増していく暗雲。領地全体が灰色に染められたかのような空模様。その中心に聳える屋敷は、今や死の香りのする不吉の象徴であった。
「ヴァイスくん……」
「ああ……!」
……感じる。戦いの素人なわたしでも、〝ここは危険だ〟と本能が訴えかけていた。
表門は開かれている。まっったく嬉しくないけど、向こうは歓迎する気満々らしい。
もう逃げられない……濡れた石畳の道を二人進む。進む。
そして、ついに古びた扉の見下ろす、玄関前に来たところで――。
「……はぁ~~~。やめやめ、緊張するなんてレイテ様らしくないわぁ」
「!?」
高まり切った緊迫感の頂点で、わたしは逆に思った。〝なんかもういいや〟と。
真面目に集中してたヴァイスくんには悪いけど、こんなのはわたしたちの空気じゃないからね~。
テキトーに行きましょうよ。もう。
「レイテ嬢……さすがに世界最強の異能持ち、傭兵王ザクスを前にそれは」
「ビビらなくてもいいわよ。だってこれから、ヴァイスくんが世界最強になるんだし」
「!?!?」
ヴァイスくんだってらしくないのよ。
ぬぼっとしつつも、ズパーンッて最強技使ってなんでも解決しちゃうのがアナタでしょう?
「わかるわよ、ヴァイスくん。一回負けたから緊張してるんでしょ?」
踵を返し、来た石畳に戻っていく。
――だけどそれは逃走しているわけではない。むしろ、逆だ。
「でも大丈夫」
再びヴァイスくんのほうを向き、戸惑っている彼に教えてあげるっ。
「わたしと出会ってからのアナタは、いつだって『勝者』だったじゃない! だから今回も勝てるわよ!」
「レイテ嬢……!」
目を見開く王子様。
それから、フ、と。引き締まった口元に、わずかな笑みをこぼしてみせた。
「ああ、そうだな。ザクスに負けたのは三か月前だ。だがそれから――キミと出会ってから、俺は一度だって負けなかった」
「そうよ。アナタは最強であり続けてくれたわ。それが負けるわけがない」
そして。
「アナタは今や〝敗残の王子〟ではなく、わたしに仕える〝悪逆の魔剣士〟なのよ? だったらなんでもやらかして、さっさと勝利を掴みなさい!」
「ああっ、心得た――!」
彼は力強く頷いた。
わたしが屋敷から距離を置いたこと。その意図に気付いてくれたようだ。
「フッ、ハハハハッ、ハハハハハ! 礼儀にうるさい師匠が知ったら怒られるだろうが――もう知ったことか! 今の俺は、〝悪の女王〟に仕える刃だ!」
哄笑と共に、王子は屋敷に向き合った。
その左手が鞘を持ち、その右手が柄に触れるや――静寂。
極限の威圧感が放たれ、時間そのものが止まったかのような空気が場を支配した。
「では、さっさと終わらせるとしよう」
その中心に立つのは、一人の剣士。鋭い眼光が敵の居城を射抜き、その瞳には一切の揺らぎがない。彼の手は、鞘の上に軽く添えられている。まるでそこに剣があることすら意識させないほどに自然な構え――だが、それこそが武の極みだと、素人目にもよくわかった。
「さぁ、やったれヴァイスくん」
礼儀なんて知らない。流儀なんて知らない。
だってわたしたちは悪の都、ハンガリア領の住民なんだから――!
挨拶は、ハデにするのが極悪流よっ!
「“ストレイン流異能剣術”奥義――」
そして、ヴァイスくんの指が鍔をわずかに押した瞬間――、
「――『抜刀・斬煌一閃』ッッッ!」
轟ッ――! という音が吹き荒び、極大の破滅光が放たれた!
それはもはや斬撃を超えた究極の破壊現象。光の奔流は一直線に貴族の屋敷を貫き、その巨大な構造体を一瞬で呑み込んだ。
「くたばれザクス・ロアアアアアアアアアアアアーーーーーーーッッッ!」
光は収束するどころか膨張し、屋敷の形を消し去りながら爆滅の衝撃を周囲へと広げていく。柱を壁を、豪奢な調度品を、かつてブルリックの権威を象徴していたすべてを爆散させながら、屋敷から先一帯を塵と化していく。たった一人の斬撃で、街が消滅四散していくその光景はもう、神の怒りが顕現したような威容であった。
もう目の前が光まみれで眩しいよ!
「まだ出すぞッッッ!」
「まだ出すの!?」
それからとっくり時間をかけて――十数秒後。
「ふう」
ヴァイスくんは一息つくと、ようやく刃を鞘へと納めた。
剣が鞘に収まる『カン』という音が、まるで終焉の鐘の音のように響く。
「終わったな、レイテ嬢」
「……終わったわねー、ヴァイスくん」
光が消え去ると共に、後に残ったのは残骸と灰だけだった。
もう完全に荒野と化している。
屋敷どころか、その先に広がるすべての建物が消え失せていた。これをたった一人が一撃でやらかせるのだから、やっぱりヴァイスくんは最強よ。
「ヴァイスくん強すぎ。わたしが一兆人いても勝てなさそうね~」
「むっ、レイテ嬢が一兆人いる世界……むむむむ……!」
「ぎゃっ、身体からピンクの放射光がばちばち出たっ!? 目に悪い!」
ともかく戦いは終わった。さぁ、戦争なんておしまいおしまい。
さっさと帰って、美味しいカレーでも食べましょう――と。そう思っていた、その時。
「ヒッ――ヒヒャァッ! ヒヒヒッヒハァアアッ! おいおいおいおいおいおいなんてことしてくれんだよオメェらはよォ!?」
次瞬、瓦礫の一塊が、大爆発して弾け飛ぶ。
そして具現する血のような紅炎。あまりの熱に周囲の塵が燃え、火の雨が降る中で、そいつは紅蓮より現れた。
「――愉快すぎるぜ。まさか、こんな頭のおかしい奇襲をしてくるたぁな……!」
ザクス・ロア。
すべてを滅する王子の光を受けながら、彼はそこに立っていた。
◆ ◇ ◆
「くそっ……おかげで一張羅が台無しだ。笑わせてくれたから許してやるがよ」
ザクスは、極限威力の『抜刀・斬煌一閃』を受けてなお、生きていた。
もちろん無事ではない。瀟洒な黒正装は焼け焦げ、妙に艶めかしい肌もまた、ところどころが焼け爛れている。重傷といえば重傷だ。
けど、
「まさかこんな手で来るたぁな。堅物王子が、マジでどんだけ変えられてんだよ……!」
やつはしっかりとした足取りで立っていた。
足元の残骸に手を突っ込むや、そこからぬらりと鞘から抜くよう、黒檀の柄をした大剣を執った。
ヴァイスくんの一撃を受けたら、普通は死んでるはずなのに。戦闘するだけの余裕はしっかりと残っていた。
「まさか……光に呑まれる瞬間、自分もその炎の異能を放って、威力を相殺したというの?」
「まァな。こちとら火力だけには自信あンだよ。――尊い光を前にすると、特になァ」
「?」
よくわからないけど、とにかく瞬間的にヴァイスくんの攻撃に対応できるほど、『地獄狼』総帥は異能性能も反応速度も凄まじいということか。
数多の戦場を支配できたのも頷ける。すなわち殺しが上手いと同時に、自分を守る力にも優れてるってことなんだから。
「クククッ。にしても王子。挨拶もなくいきなり攻撃かましてくるたぁ、アンタの師匠――ベルグシュラインが知ったら怒るぜぇ?」
にたにたととした視線を、ザクスは王子に向けてきた。
まさか卑怯だなんだと責め立てる気? ずいぶんと小さい男ね。
ヴァイスくんは当然気にすることなく、フンと鼻を鳴らした。
「貴様になじる資格はないぞ、ザクス・ロア。革命の夜、貴様は第二王子より王族専用の隠し通路を教わり、先に奇襲をかけてきた。卑劣漢とは貴様のことだ」
「おぉ、耳が痛いねぇ」
ヴァイスくんの返しにヘラヘラと。「なんだ、気負う様子は一切なしか」と、ザクスは口撃が効いてない様子に笑っていた。
そして。
「強くなったなぁアンタ。天国のベルグシュラインも、きっと喜んでるだろうぜ?」
「――は?」
ヴァイスくんの表情が、凍る。
そこでわたしは理解した。ここまでの発言はただのジャブだったのだと。
冷静さを一撃で奪うような真実を、顔面に叩き付けるために。
「天、国……? きさま……それ、は……」
「あぁ、まだ知らなかったのか。栄えてるとはいえ、田舎の領地だからなァ」
「答えろザクス・ロアッ! どういうことかと聞いているッ!」
やられた――。ヴァイスくんは、完全に冷静さを失ってしまった!
わたしが咄嗟に「ヴァイスくんっ」と呼びかけて袖を引くも、彼の視線は完全に狭くなり、『地獄狼』総帥を睨むばかりになっている……!
「ヒハハハハハァッ! もうわかってんだろォッ!? このッ、ザクス・ロア様がッ、ブッ殺してやったんだよォーーーーッ!」
「貴様ァーーーーーーーーッッッ!」
特大の嘲笑を放ちながら、ザクス・ロアは大剣を構えた。
ヴァイスくんももう止められない。剣の柄が砕けそうなほど握り締める。
「さァ、俺様を憎いと思うなら――」
二人の身体からは爆炎光と浄滅光の『アリスフィア放射光』が溢れ、そして!
「殺してみせろやッ、ヴァイス・ストレインーーーッ!」
「地獄に堕ちろッ、ザクス・ロアァーーーッ!」
ついに激突が幕開けた。
共に地面が砕け散る勢いで大地を蹴り、絶殺必死の威力で一閃。荒野に轟く爆音は、鋼と鋼の咆哮だった。
「派手に行こうぜッ、王子様よォーーーッ!」
殺意のままにザクスが吼える。
炎を纏った大剣が振り下ろされるたび、大地は爆ぜ、焼け焦げた亀裂が走る。赤黒い炎は渦を巻き、その余熱が遠く離れた無事な建物すら焦がしていく。
「くぅっ……!?」
わたしは顔を腕で庇い、さらに『アリスフィア放射光』を出して表皮に纏う。しかし、それでも熱すぎてドレスが焼けた。巻き起こる熱風に、腕で庇った瞳すらもが溶けそうになる。本当になんて火力なのよっ!
「ホォレッ! 防いでくれなきゃ、死んじまうぜェーーーーッ!?」
ザクス・ロアは深く大剣を腰に構えた。まるでバネ細工を全力で動かすように、極限まで身体全体を捻る。
直剣と大剣という違いこそあれ、あの筋肉の張り具合は――まさか!
「〝偽法・ストレイン流異能剣術〟奥義――『曝爪・斬魔轟』ッ!」
「!?」
刹那、放たれたのは爆光剣技。
やっぱりだ! あの一撃は、ヴァイスくんの剣技を元にしたものだ――!
「ぐぅうううううーーーッ!?」
ギギギギギギギギギギギギッッッと、聞いたことのない音が響いていた。
後退していくヴァイスくん。異音の発生源は彼の手元だ。王子の刃に宿った光と、餓狼の放った破滅の光が、削り合うように喰らい合っているのだ。
「こんなッ、ものォ!」
ヴァイスくんは耐えきった。剣を振るうと、破滅の光は真っ二つになり、彼の後方に飛んで行った。
そして大爆発。おそらく、『斬煌一閃』――アリスフィア放射光の水に近しい性質を利用し、内部にて超加速抜刀を行うことで水中内爆縮を発生させる絶技に――異能の火力を宿しているのだろう、発生した熱エネルギーは王子の全力にすら匹敵した。
獄色の爆炎が双柱、荒れ果てたオーブライト領に燃え上がった。世界が赤く染まり出す……!
「貴様ッ、なにが『偽法』だ。王家の剣術を奪ったな……! 俺が師から託された剣をォッ!」
「あぁそうだぜェ悪いかよッ! 剣術ってのは極論ヒトを殺すモノだ。ソレを使って、今まで何人コロしたっけなァーーーーーーッ!?」
「外道がァーーーーーーッ!」
「ギャハハハハハハハァアアアアアアアアーーーーーッ!」
ヴァイスくんの大切なものを次々と穢しながら、ザクス・ロアは狂い笑った。
同時にその背に獄炎の天輪が具現する。地が溶けるほどの放射焔を噴き上げて、ザクスはその場に浮かび上がった。
「さァ再開だッ! こッからは、気を抜いたら一瞬で死ぬぜェッ!?」
次瞬、餓狼は滅風となる――!
炎と放射光を出力に、音すら超える速度でヴァイスくんに斬りかかった!
「その程度ォ!」
対する王子も人間を超える。極限戦闘技法『神威解放・殉光ノ型』――放射光を全力で放ち、己が全運動を極大化する奥義で、音速の炎刃に音速の光刃を叩きつけた!
生まれる衝撃波が吹き荒れる。炎と光の焼けつくような熱波が周囲を焼き払い、ついにわたしが立っているのも無理になる中、二人は極限の殺陣を開始した。
「「ウォオオオオオオーーーーーーーッッッッッ!!!」」
瞬間十閃、遅れて響く鋼の音階。鋼の悲鳴。
音が遅れて届くほどの速さで、絶殺が応酬されていく。
「〝ストレイン流異能剣術〟奥義――『滅尽・斬煌亂閃』!」
「〝偽法・ストレイン流異能剣術〟奥義――『滅爪・亂魔轟』ッ!」
二人が刃を振るうたび、瞬時に数百の斬撃が生み出されては爆滅していく。大地を砕くような一撃が乱舞する。空間を揺らすようなエネルギーが四散する。
「ギャハハハハハヒィイイイイイッ! テメェの師匠の剣技はッ、大量殺戮に持ってこいだなァァアッ!」
「死ねェェェエッッッ! 死ねよザクス・ロアァアアアアアアアーーーッ!」
さらに加速する二人。超音速で天と地を駆け、斬り合う二人の姿はやがて、わたしの魔眼でもほとんど見えなくなっていく。彼らが〝いた〟と思う場所にあるのは、無数の閃光と、轟音と、地面を抉る足跡、そして炎と光が交わる死闘の痕跡だけだ。全ての現象を最強同士は置き去りにしていく。
大地が、空が悲鳴を上げていく。
「チィッ! 〝ストレイン流異能剣術〟奥義――『断絶・斬煌烈閃』!」
「クヒィッ! 〝偽法・ストレイン流異能剣術〟奥義――『絶爪・断魔轟』ッ!」
両者は互いに一歩も引かない。極限まで収束した巨大爆光と巨大爆焔を天に掲げ、災害の如く斬り合いはじめた。
もう滅茶苦茶な光景だ。数百メートルの空を裂くような光刃同士で、二人は高らかに殺し合っている……! もうオーブライトの街なんて微塵も残っていない。
しかも彼らの一撃一撃は、単なる力任せの振り下ろしではなかった。完全に頭が湧いているのに、精密な計算と熟練の技量が練り込まれた軌道で、敵の急所を正確に狙い撃つ。それを超高速で繰り出し、受け止め、返し、ただただオーブライトの大地だけを草の根すら残さず斬滅していった。
「その程度かヴァイス・ストレインーーーーーーッ!」
炎を纏う餓狼の一閃が空を焼き、振り抜かれた剣の軌跡が炎の残滓となって宙に残る。その刃は星を抉り、オーブライトの地を溶岩化させた。
「舐めるなよッザクス・ロアァアアアアーーーーーッ!」
光の王子はその猛攻を紙一重でかわし、反撃の一撃を繰り出す。剣に宿る光が雷鳴のごとき輝きを放ち、敵を切り裂かんとする鋭い弧を描く。その形をなぞるように、遠方にあるオーブライト領内の山々が斬り崩れていった。
二人の動きが交錯するたびに、世界が壊れていく……!
「ははっ。本当によくぞ鍛えたもんだ」
その時だ。大剣の烈閃で吹き飛ばしながら、ザクスは素直にヴァイスくんを褒めた。
「アンタの腕は元々相当だった。それに加えて、『極楽の聖女』レイテ・ハンガリアの下で、真に心身充実したんだろうなァ。男として、欠けてたピースが埋まった感じだ」
ジロリ、と。わたしのほうを餓狼が見てきた。
なによ……! あと聖女って誰よ……!
「大切なモノを持つとはイイコトだ。王子様の持つっつー、激情を力に変える異能『天楼雪極』。それを昂らせるためにもな。だから俺は、ベルグシュライン抹殺を教えてみたわけだ」
「っ、アンタ頭パーね」
考えが甘かった。
こいつがヴァイスくんをキレさせたのは、冷静さを失わせることで勝ちやすくする気だと思っていた。
でも違う。そんなチャチなこと考えてなかった。
「おかげでイイ火力が見れたぜェ。大切なモノとは、失った瞬間にこそ熱量に代わるからなァ――!」
こいつは逆に……ヴァイスくんを強くしたかったんだ。
《《そのほうが楽しいから》》。
そんなトンチキな理由で、ヴァイスくんの激情も、師匠って人の死も、そして自分の安全すらも、全部踏み台にしてみせたんだ。
「ハァッ、ハァ……ザクス、貴様ァ……ぐふっ……!」
打ち合っていたヴァイスくんが血を吐いた。
当然だ。星すら砕きかねない戦闘をしていた彼は、明らかに限界以上の力で戦い続けていた。
元々肉体に負荷のかかりやすい増強系異能。それに加えて、全生命力を神光に変えて放ち続ける『神威解放・殉光ノ型』まで使っている。
「ヴァイスくんっ、このままじゃ死んじゃうよ!」
「ッ、だが、俺は……!」
それでもアイツが許せないと、彼は放射光を放ち続けた。
それに対してザクスは頷く。「あぁそうだ、もっと頑張ってくれ」「俺のために命を削ってくれ」と、どこまでも自分勝手なことを言う!
「さてしかし。このままじゃあの王子様、俺に勝つ前に燃え尽きちまいそうだなァ。ろうそくの最後の一瞬の火は激しいが、それにしたって限界がある」
「アンタ、なにを……」
「だから――よし。追加で油を注いでやろう」
いい考えだと、ザクス・ロアはにこやかに笑った。
そうしてヤツが指を鳴らした――その瞬間。
『出番か、ザクスよ』
「ああ。レイテ・ハンガリアを消滅させろ」
虚空より、仮面の男が現れて。
わたしの肩を掴み、抱き寄せ。
闇が、開いた。




