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第三部:『地獄狼』決戦扁

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 月も翳る真夜中、オーブライトの領主邸にて。

 領主ブルリックは、一人の男と対面していた。



「――よォ、ブルリック・オーブライト子爵。はじめましてだなァ」



 傭兵結社『地獄狼』総帥、ザクス・ロア。

 血臭纏うような黒正装(スーツ)の男が、そこにいた。



「ほら、アンタも挨拶してくれよ」


「あっ……う、うむっ」



 促されて口を開く。

 ――眼前の男が座るソファ。その背後に立て掛けられた大剣に気取られつつ、ブルリックは威厳を持って平民の傭兵に接する。



「知っての通り、我輩はブルリックという。此度はよくぞ来訪を」


「ため口か?」


「ッ!?」



 空気の温度が、下がった。

 薄暗い応接室の中、ソファーに深くもたれかかったザクス・ロアの瞳孔が、(ほの)かに細められた。



「俺は現状、国王シュバールの下、王国騎士団・団長の座と、将軍の地位を戴いている。知らないハズがないよなァ」


「ぇ、あっ……」


「もう一度聞くぞ。そんな俺に――ため口か?」


「ッッッ……!」



 ブルリックは傲慢な男である。西部の田舎領にあって、王族の如き振る舞いをしてきた男だ。

 ゆえに、内心では下賤な傭兵崩れが何を言うかと怒りそうになるも、



「ぁっ……そ、の……」



 舌が、動かなかった。

 まさに大蛇に睨まれた蛙がごとく。尊厳(プライド)を上回る『生存本能』というものが、愚言を吐こうとした口を痺れさせ、怒りに冷や水をかけていた。

 そして、じっくりと心に滲んでいくのは……圧倒的な『恐怖の情』だ。

 決して舐めてはいけない相手に、初対応を間違えてしまった恐ろしさだ。



「あっ、あぁ……我輩、は……!」



 小刻みに世界が揺れる。

 ――自身の足が震えているのに、一瞬遅れて気付いた。

 豪奢な衣装が重く感じる。

 ――全身からとめどなく汗が噴き出しているのに、もう数瞬遅れて気付いた。


 所詮は傭兵崩れの平民。そんな目の前の男が、怖くて、怖くて、堪らない。


 背後に控えている老執事に縋ろうとするも、彼もまた恐怖の虜となっていた。



「ぅあっ――」



 そうして、ブルリックが言葉に詰まっていた時だ。

 不意に「くはっ」と弾けるように、ザクス・ロアが笑い声を上げた。



「ははははっ! 冗談だよっ、ジョーダン!」


「えっ、ぁえっ……?」


「マジになんなよブルリックの旦那。さっきのはただの、冗談だ」



 ――ため口でいいぜ。仲良くやろう、と。ザクスは出された酒杯を呷りながら笑顔で言った。



「そ、そうか、冗談、か! はっ、ははは……っ!」



 若者に弄ばれた。

 普段のブルリックであれば憤慨して暴れかねない出来事である。

 だが、口から出たのは暴言ではなく渇いた笑いだ。心に滲むのは安堵感だ。



「ザ、ザクス殿も人が悪いっ! こ、こんな田舎子爵をからかいますなっ!」


「ははは、ワリィワリィ!」



 夜の応接室に溢れる笑い声。なごやかな空気。

 あぁよかった。ブルリック子爵は――自分が畏まり、卑下していることにも気付かず――ザクス・ロアとしばし笑いあった。

 そして。



「で、『ヴァイス王子が生きてる』って噂を流したのは、テメェかよ」


「ッ!?」



 一瞬で、その空気が霧散した。

 世界で最も恐ろしき集団――『地獄狼』の総帥が問う。



「ハンガリア領にあの男がいるって言ったのは、テメェだよな?」


「うっ……!?」



 バレている。

 ――ブルリックからしたら出所を誤魔化したつもりだ。〝ある人物から聞いた噂だが〟と言って、それでいい気になっていたが、優秀な幹部を持つザクス・ロアからしたら児戯に等しかった。



「なぁブルリックの旦那よォ。俺はわざわざ遠い王都から、噂を聞いてやってきたんだ。もしもくだらない嘘で……無駄足を踏ませたというなら……」




 瞬間、屋敷の外で絶叫が起きる。

 おそらくはオーブライト領にわずかに残った領民のモノ。

 やめてくれッ、助けてくれッという迫真の叫びと……血濡れた狂笑が夜に響いた。



「俺様のこわーい部下たちが、ワケわかんねぇことしちまうかもなぁ?」


「あっ、あぁあっ」



 嘘だ。全ては隣領の女王『レイテ・ハンガリア』を貶めるための嘘だ――なんて、そんなこと言えるわけがなかった。

 ゆえに、ブルリックは覚悟を固める。うめき声の漏れる口を堅く閉ざし、必死の形相を作って、一世一代の演技を行う。



「そ――」


「うん?」


「そそッ、そうなのです! ハンガリア領にはヴァイスが匿われているのです! かの地の領主・レイテはッ、現政権に反逆を目論む悪女なのです!」



 立ち上がり、机を叩きながらそう言い切った。

 もう引き返せない。そのままの勢いで虚言を回す。



「ザクス殿ッ、我輩の領地を見ましたか!?」


「……ああ。ほとんど人の気配がなかったが」


「それもまたレイテ・ハンガリアの仕業です! あの女はッ、むッ、無理やりに領民らを拉致したのです! 我輩の可愛い領民たちを!」



 止まらない。ここまで来たら、止められない。

 目の前の恐ろしい男をレイテにぶつけるためにも、さらにさらに舌を回す。

 背後から老執事が「旦那様っ、アナタは!」と止めようと近づくも、それを「うるさい!」と喚いて、殴り飛ばした。



「うぐぅっ!? だ、旦那、様……!?」


「貴様は黙ってろぉッ! あぁ――それよりもザクス殿っ、悪女レイテのことです! そもそもですね、繫栄しているハンガリアの土地は、このブルリックが総べる予定だったのですよ……! それをあの女は汚い手で継承権をっ」



 そこまで語った時だ。「もういい」と。静かな声で、ザクス・ロアが遮った。



「なるほどなるほどォ……よくわかったわ。魔物蔓延る西部地方に安息地を築き上げ、『極楽の聖女』と謳われたレイテ・ハンガリアは、実は悪女だったんだなァ」


「そっ、そうなのですよ! ゆえにザクス様ッ、どうか!」



 あの女の抹殺を――と。そう言いさした時だ。



「黙れや、屑が」



 大剣が――刹那の内にザクスの手に持たれていた刃が、ブルリックの腹部を、貫いていた。

 遅れて鮮血がブチ撒けられる。血潮と破れた臓器が飛び散り、ブルリックは絶叫を上げた。



「ぶッ――ぶぎゃァァァァアアァッ!? きッ、貴様ァッ、何をォオッ!?」


「何をじゃねェよ」



 ぐりッ、と。ザクスは容赦なく柄を捻った。

 それによって刃が回り、さらに子爵の傷が広がる。

 数十秒後に死ぬ致命傷が、そのカウントを一気に縮める。



「グギィイイイイイイイイッ!?」


「なァ、ブルリックの旦那よ。この俺様を、初対面で明らかにナメてやがった……とか、くだらねぇ噓吐きやがったとか、色々言いたいことはあるがよォ」



 戦争狂は立ち上がり、じっくりと刃を押し込みつつ、瀕死のブルリックに顔を寄せた。



「おまえ――身内を売ったな?」


「え……ッ!?」



 ブルリックは、知らなかった。

 眼前の男はまさに極悪。善良さなど無縁の人間。悲劇と破壊を撒き散らした量では、田舎の傲慢な子爵など及ぶべくもない存在だ。

 だが……そんな『地獄狼』の総帥にも、腹に据えることがあるのだと。



「俺は、裏切りが嫌いだ」


「ひ……ッ!?」


「だというのにテメェは、身内を貶め、売ったよなァ?」



 ――それを裏切り以外のなんだというのか。

 しかも四十を過ぎた男が、十代で必死に領地を運営している少女を殺せと? なんだそれはふざけるな。



「貴族の間に広めておいたぜ。〝オーブライト領の領主は、どうしようもない恥知らずの下種で、王国史上始まって以来の無能〟だとな」


「そん、な……っ」


「ゆえに、ブルリック・オーブライト」



 死に逝く男に、戦場の死神は告げる。



「絶望の中で、朽ち果てろ」


「そんなァーーーーーーーッッッ!?」



 かくして、ブルリックは絶死した。

 最期まで己を顧みなかった男は、死後の栄誉まで穢されて、苦悶の表情で横たわったのだった。



「――さて」



 後に残ったのは、たった二人。

 死体から大剣を抜き、汚らわしげに血を払ったザクス・ロア。そして片膝をつき、悲しみの眼差しで主君を見送る老執事セバスチャンだった。



「意外だなァ、アンタ」



 物静かな老執事の様子に、ザクスは目を眇める。



「こんな終わった領地に残ったジジイだ。狂信的に主人想いかと思いきや、泣きもしねェのかよ。まさか嫌っていたのかァ?」


「まさか」



 セバスチャンは明確に否定した。それから主君の亡骸を見下ろし、苦笑を浮かべる。



「……私は、この方が子供の頃から仕えてきました。そんなお人をどうして嫌えましょうか。どんなに傲慢となり、暴力を振るうようになっても、私はこの人を見捨てられなかった」



 だから側にあり続けた。

 多くの領民が去っても。他の使用人らが逃げても、たった一人でブルリックと向き合い続けた。



「ただ……はは、こんなお人ですからねぇ。幸せな最期は迎えられないだろうとは、そう思っていただけですよ」


「……そうかよ。そんな野郎に尽くし続けるとは、アンタは阿呆の極みだぜ」



 鼻で笑うザクス。完全に馬鹿にしている様子だ。

 だが――老執事には一瞬、目の前の恐ろしい男が、どこか羨ましげな眼差しを向けたように思えた。



「屑に侍る木っ端な塵だ。帰りがけに斬ろうと思っていたが」



 死臭が仄かに漂いゆく中、無力な老人にザクスは言う。



「主君の死骸に唾を吐け。そうすればアンタを生かしてやる」


「なりません」


「忠義を捨てると一言言え。そうすれば、絶対にアンタに手を出さないと誓ってやる」


「絶対になりません。なぜなら私は、執事ですから」


「見事」



 そして――一閃。ザクスは高らかに大剣を振るい、老執事の肉体を袈裟切りにした。



「ぐふぅッ!?」


「殺す気を加減した。アンタの寿命はあと数時間だ」



 鮮血を零し、床に手をついて呻くセバスチャン。

 そんな彼に、ザクスは「せめて死ぬ前に」と言葉を続け――、



「ハンガリア領に宣するがいい。『地獄狼』が、テメェらを喰らいに来たとなァ――!」



 次瞬、ザクスの背後に闇が溢れる。

 渦を巻くように螺旋し、蠢き、そこから悍ましき放射光を放つ『五人の使徒』の影が現れた。



「さぁ行けや執事! テメェも覚悟決めた(じじい)なら、死ぬ気で窮地を伝えてみせろォッ!」



 かくして、セバスチャンは死に体を引きずって屋敷を抜け出し、馬を駆って隣領に向かったのだった――。




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