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曇り空の朝、執務室にて。
「シャキールたちは凄いぞ。石油業だけでなく、趣味でやっているカレーショップも見事に成功している。特に持ち帰り売っているこのカレーパンが絶大な人気でな、買うのに一時間も並んでしまった」
「どれどれ……んーっ、うめ、うめ!」
ヴァイスくんより街の様子を聞きながらカレーパンを食べていた。おいひ~。
「ふぅ~ん。あいつら、頑張ってるみたいじゃない」
「ああ、ラグタイム公国を立て直すためにも、今の内から資金集めに奔走しているようだ。それと弟子にしたセツナとケーネリッヒも、コンビならときおり俺から一本取れるようになってきたぞ」
「マジで!? ヴァイスくんから!?」
それは驚きねぇ。
逆にわたしなんて、最近は書類仕事も減ったし魔晶石集めも他人に任せられるようになったから、朝からダラダラしてるくらいなのに。
「たぶんみんな、気に食わないわたしがグータラしてることを不満に思ってるでしょうね。『自分たちはこんなに頑張ってるのに』って。憎まれっ子でごめんなさいね~」
「いや、みんなキミへの感謝を原動力に働いていると思うぞ」
「ってンなわけないでしょーが!」
相変わらずのすっとこどっこいヴァイスくんねぇ。
でもいいわ。世界にはわたしみたいなろくでなしが溢れてるけど、そんな世の中を極力イイものだと見ようとする人が一人くらいいても。
それが未来の王様だったら断然いい。
王の気質は国を左右する。疑り深い王の下、疑心暗鬼の国には住みたくないものねぇ。
「もういいわよ。ヴァイスくんは善の道を突き進みなさい。わたしは悪の道を究めるから、それでいつか世界の覇権を懸けて決闘するのよ!」
「レイテ嬢と決闘か。よし降参しよう」
「やったー! 世界手に入ったー! ってダメでしょ!?」
世界が悪の手に堕ちちゃうわよー!? わたしのモノになったみんな阿鼻叫喚よ~!?
――なんて、そんな会話を彼としていた時だ。
日常の空気は、唐突に壊れた。
「レイテお嬢様ッ、大変です!」
執事アシュレイが血相を変えて入ってきたのだ。
普段のおちゃらけた調子はない。わたしが「何事っ」と問うと、彼は一瞬息を整え、そして。
「り……隣領オーブライトの執事が、血塗れで駆け込んできました」
「なんですって……!?」
「彼は、こう言いました」
――『地獄狼』が、やってきたと。
◆ ◇ ◆
懐かしい匂いね。
「じいやっ、じいや!」
「うぅ……ケーネリッヒ、坊ちゃま……!」
――領主邸の簡易治療室。
そこはすでに、血と『死』の香りが立ち込めていた。
発生源は身代を赤く染める一人の老人。たしか名前はセバスチャンだったか。
……わたしが領主となる前、家と家の交流があった際に親切にしてもらった覚えがあるわね。
着古した燕尾服を袈裟切りにされた彼は、すでに呼吸も浅くなっていた。
「話は聞いたわよ、ケーネ」
「レイテっ!」
わたしの声に、オーブライト領が次期領主……幼馴染のケーネリッヒが赤らんだ目で振り返る。
「オーブライト領に、『地獄狼』の連中がやってきたってね」
そう言うと、取り乱したケーネの顔がより酷いモノになる。
あぁまったく。
「まずは落ち着きなさいっ。取り乱しても仕方ないじゃない。男の子でしょっ!?」
「っ、あ、ああ……!」
「ほら、顔貸す」
ドレスの袖で無理やり目元をこすってやる。
優しく拭ったりはしないわよ。――あまり、時間もないしね。
「さて。詳しく話を聞く前に、まずは執事を治療しましょう」
わたしは袖から『聖神馬の霊角』を取り出した。
元々は手に収まらないくらい長かった一品。だが今や、小指の先程度しか残っていない。
「……ヴァイスくんにシャキールくんにと、だいぶ使ったからねぇ。でもあと一人分くらいはいけるでしょう。さぁ霊角よ、この老人に癒しを――」
「おまち、ください」
と、そこで。血の息まじりの待ったがかかった。
老執事セバスチャンだ。彼は血塗れの手を伸ばし、わたしの腕を掴んで、霊角の使用を遮った。
「なっ、アナタ」
「ふっ……私めのような老いぼれに、そのような貴重なモノを使いますな。どうか最後の一回は、もっと大切な人にお使いください……」
力なく微笑む老執事。
でもそれじゃあ……。
「死ぬわよ、アナタ」
「そっ、そうだぞじいや!? 大人しく治療を受けろっ!」
わたしが忠告し、ケーネリッヒが――まるで孫のように懐いていた少年が叫ぶも、老執事の意思は変わらなかった。
「なりませぬ。私めは今、優先すべき命ではない」
彼は静かにかぶりを振った。
そして、
「時間がない……。事の詳細を、お話ししましょう」
眠気に抗うような表情で、セバスチャンは語り出す。
全てが終わった数時間前の出来事を。




