第9話 同情と敵意
「悪役義妹は引っ込んでろ!」
男子生徒に突き飛ばされて、校門にしたたかに背中を打った麗華は、一瞬息ができなかった。
「麗ちゃん!」
顔から血の気の引いた小夜子が悲鳴をあげる。
麗華は、それでもひるむことなく、虎のように獰猛な目で自分を突き飛ばした男子をにらみつけた。
――この場面に至るまでの経緯を説明しなければならない。
「小夜子さん、すっかり見違えったわね」
「本当に。あんなに麗しいお方だと思わなかった。さすが鳳月家の長女だわ」
文明学園の生徒たちは、ほぅ……と、うっとりしたようなため息をついている。
鳳月小夜子は、イメージチェンジを行ってから、相変わらずモテていた。
おまけに、日に日にその美しさを増していくのである。
季節は三月、春が近づくにつれ、小夜子の美貌は花のつぼみが開くように、限度というものを知らないようだった。
そんな小夜子の隣を、満更でもない気分で歩くのが麗華である。
義姉の美しい髪も肌も、プロデュースしたのは自分であるという自負があった。
なにしろ、毎日毎晩、小夜子の髪や肌の手入れをしているのは麗華自身である。その役目はメイドにすら譲らなかった。
日々、美しくなっていく義姉を、一番近くで拝謁する権利は、自分にこそあるのだ。
麗華はそれを誇りに思う。
「麗華さんも華やかだけれど、小夜子さんも負けず劣らず……」
「いいえ、小夜子さんのほうが清楚でとっても綺麗」
そんな比較するようなひそひそ話を耳にしても、「そうでしょう、そうでしょう! わたくしなんかよりお義姉様のほうがずっと華があるわ! あなたたち、分かってるじゃないの!」と、口にはしないが得意満面であった。
しかし、それを面白くないと思っている者たちがいる。
学園内外の男子生徒である。
「なんなんだ、あの義妹は! 俺たちの小夜子さんを独り占めして!」
「俺たち? 俺一人のだが?」
「あ? やんのかコラ」
「やってやるぞコラ」
「喧嘩してる場合じゃねえだろ。とにかくあの義妹、小夜子さんに金魚のフンみたいに付きまとってるから、俺たちの付け入る隙がねえ」
「まずはアイツをなんとかしないとデートにすら誘えないわけだ」
麗華をよく思っていない男子たちは、悪役義妹を排除するために動き出すのであった。
さて、放課後。
鳳月姉妹が学校から帰ろうとすると、校門前にはいつもの出待ちの男子生徒たちがたむろしている。
「小夜子さん、こないだのデートの返事、まだ聞いてないんだけど」
「小夜子さん、それよりこの花束を受け取ってください」
「小夜子さん」
「小夜子さん!」
男子生徒が義姉にまとわりつくのを、もちろんこの義妹が許すわけがない。
「小夜子さん小夜子さんうるさいですわね! 通行の邪魔ですわ、どきなさい!」
「うるせえ! 悪役義妹は引っ込んでろ!」
男子生徒に勢いよく突き飛ばされ、校門にしたたかに背中を打って、一瞬息ができなかった。
「麗ちゃん!」
顔から血の気が引いた小夜子が悲鳴をあげる。
「義姉を酷い目にあわせておいて、よくもまあ、のうのうと隣を歩けたもんだ」
「その度胸には感心するぜ」
せせら笑うような男子生徒の下卑た声に、麗華は負けじと狼のように獰猛な目でにらみつけた。
「お笑い草ですわね。よくもまあ、そんな根も葉もない噂に踊らされていますこと」
「噂? 学園では有名な話らしいじゃねえか。その事実を知らない者はいないって聞いたぜ」
「ただの伝聞じゃないの。自分で確かめもしないで、鵜呑みにしてるのが『踊らされている』と、どうして理解できないのかしら」
「コイツ、いっぺん黙らせるか」
男子生徒が拳を振り上げるのを、「やめて!」と義妹をかばうように立ち塞がる小夜子。
「麗ちゃんの言う通り、私が麗ちゃんに虐げられてるなんて、根拠のない噂だわ。麗ちゃんは私のためにオシャレを考えてくれたり、ずっと私を守ってくれてるの! 何も知らない人たちが、私たちのことを好き勝手言わないで!」
男子生徒はたじろいだ。
深窓の令嬢のような小夜子が、そんな強い口調で否定するのは、これまで誰も見たことがないからだ。
しかし……。
「小夜子さん、麗華さんを庇ってるわ」
「どうせ麗華さんに脅されてるんでしょ。このあとでまた酷い目にあわされるに決まってるわ」
……麗華の予想通り、彼女を擁護してくれる人は小夜子以外に存在しない。親友は既に帰宅している。
義姉には同情の視線、義妹には敵意が向けられていた。
「……麗ちゃん、早く帰ろう」
小夜子が差し伸べてくれた手を握り返し、突き飛ばされて尻もちをついた地面から立ち上がる。
「道を開けて」と小夜子に言われて、気圧された男子生徒たちは黙って道を通した。
「ごめん、ごめんね、麗ちゃん……」
帰り道、小夜子はポタポタと涙を珠のようにこぼして泣いている。
麗華は小夜子と手を繋いだまま、ハンカチを差し出した。
「どうしてお義姉様が泣く必要があるのですか? わたくしは別に平気ですのに」
「平気なわけないでしょう! いつもあんなに酷い扱いを受けているの?」
小夜子の涙を麗華のハンカチが吸い取る。
そんな義姉を、義妹は微笑みながら見つめていた。
「わたくしは、既に誤解を解くのを諦めましたの。どんな扱いでも、お義姉様を守れるのなら甘んじて受けますわ」
「そんな……そんな残酷な仕打ちを……どうして……」
「お義姉様は何も悪くございません」
しかし、小夜子は怒り心頭といった様子で、不機嫌を隠さない。
「私の大切な義妹を悪く言うような人とはお付き合いできないわ」
「それですと、学園のほとんどの生徒と縁を切ることになりますわよ?」
「それでもいい。麗ちゃんのことを誤解してる人たちと人付き合いする必要なんてない」
そんな啖呵を切る小夜子に、麗華は頬を紅潮させる。
本当にこのお方には惚れ込んでしまう。
自分を大切にしてくれる義姉に、これからも感謝を込めて尽くしたい。
「ねえ、麗ちゃんに紹介したい人がいるの」
帰り道、不意に小夜子がそんなことを言い出した。
「私の古い友達でね、ずっと海外にいたんだけど、今度帰ってくることになったの」
「……もしかして、アメリカから?」
「えっ? なんで分かったの?」
――嫌な予感がする。
麗華は内心穏やかではなかった。
おそらくは――大河虎太郎。
小夜子の幼なじみが、帰ってくる。




