第7話 義姉、突然の変身
「麗ちゃん、あのね。お願いがあるの」
小夜子からの依頼は、麗華にとっては珍しい。
義姉は誰かに頼ろうとはせず、麗華や使用人を含めた周囲が勝手に世話を焼いているイメージだ。
なにしろ、彼女は身だしなみも整えず、部屋も乱雑、家では常に学校指定のジャージで過ごしているズボラなお嬢様である。
そんな小夜子が自分にお願いをしようというのだから、麗華はその思いがけない僥倖に、感謝してしかるべきだと思う。
――しかし、とてつもなく嫌な予感がする。
義妹の視線は、ベッド脇のテーブルに置かれた一冊のノートに釘付けになっていた。
義姉の六年前の日記。麗華がこの鳳月家に来る前に親しかった、小夜子の異性の友人の記述がある。
それを読んでしまった後となっては、小夜子が唐突にお願い事をしてくる理由はなんとなく察せられるというものだ。
それでも、義妹は懸命に笑顔を作った。
「お義姉様のお願い事でしたら、なんなりとおっしゃってくださいまし。この不肖、麗華が可能な範囲で叶えて差し上げましょう」
「さすが、麗ちゃんは頼りになるね」
義姉のまぶしい笑顔が、直視できない。
麗華は「それで、お義姉様は何にお悩みですの?」と尋ねる。
「私ね、このお部屋を片付けたいの。原磯や他の使用人たちも呼んで、みんなで大掃除しましょう」
ちなみに、大晦日はとっくに過ぎていた。義姉はこの散らかった部屋を整理整頓すらしないまま、新年を迎えたのである。
それはひとまず置いといて。
原磯に報告し、彼女から屋敷のメイド・使用人にそのことが通達されると、彼ら彼女らは、たいそう驚いた。
「あの小夜子お嬢様が、部屋のお掃除を!?」
「これは一大事、海外にいる旦那様にもお知らせしなければ!」
そして、テレビ電話で父に知らせたところ、彼は椅子からひっくり返って床に転がるほどの衝撃を受けたのである。
「小夜子が!? これはなにかの夢じゃないのか……!?」
大げさな反応だと思うかもしれないが、何しろ小夜子は両親が離婚した六年前からずっと、清潔感を忘れたような暮らしをしていたのだ。父親にとっては奇跡にも等しいだろう。
しかし、小夜子の豹変はこれでは終わらない。
なんと、彼女が自ら「久々にオシャレをしてみたいわ。麗ちゃん、今の流行りがわからないから教えてくれる?」と依頼してきたのだ。
それを麗華から聞いた父は感激のあまり、自らの頬をつねり、「夢じゃない」と涙を流して喜んでいる。
使用人もメイドも万歳三唱だった。
――ただひとり、素直に喜べないのが、麗華だ。
この義姉の突然の心変わりには、なにかある。
その心当たりといえば、ベッドの下から見つけた、小夜子の日記だった。
五年前、「大河虎太郎」という名の男と親しかった義姉。
そんな大昔の日記が今更出てくるのは、偶然とは思えない……。
「麗ちゃん? どうしたの?」
義姉の声に、ハッとした。
小夜子は麗華の目の前で手を振りながら、「なにか考え事?」と不思議そうに首を傾げている。
「申し訳ございません、お義姉様。少しコーディネートについて考え込んでいましたの」
「それはお店に着いてから考えてもいいんじゃない? どんなお洋服が置いてあるかも分からないし」
義姉の今日の服装は無地の紺色というシンプルなワンピースだ。
普段の彼女はジャージで過ごしていたがゆえに、なかなか家にぴったりの服がなく、このままでは外出すらままならない、とメイドといっしょにあせったものである。
ひとまずは麗華の昔着ていたお古がサイズに合ったのでそれを着せているが、敬愛する義姉に自分のお下がりを着せるなど、麗華のプライドが許さない。本日は徹底的に小夜子に似合う服を探すつもりだ。
麗華は嫌な予感と戸惑い半分だったが、昔のように美しい義姉に戻ってくれるのでは、という希望にすがらざるを得なかった。
それに、大好きな小夜子のお願いにはなるべく応えたい。
「参りましょう、お義姉様。この麗華が、お義姉様にピッタリのエレガントでファビュラスなお洋服を見つけてみせます!」
「そこまで気合を入れなくていいんだけど、でも嬉しいな。えへへ」
義姉のくすぐったそうな笑顔に、麗華は彼女の手を力強く引いたのである。
――数時間後。
「――……れ、麗ちゃん、ちょっと休憩……」
「そうですわね。わたくしとしたことが、お義姉様をくたびれさせてしまいましたわ」
着せ替え人形にされた小夜子は、麗華が勧めるままに、何度も服を着替えて、義妹の厳しいチェックを通過した洋服だけが買い物袋に入れられた。
デパート内にある喫茶店に入り、クリームソーダを注文した二人は、スプーンでクリームをすくいながら、会話に花を咲かせる。
「それにしても、お義姉様がお外に出たいなんて、驚きましたわ。わざわざ外出しなくても、お洋服なんて外商に頼めば済む話ですのに」
鳳月家はこの日やってきたデパートと外商の契約をしており、その人に頼めば、デパートで扱っているカタログの商品や、小夜子のサイズを測って、それに合った服を持ってきてくれるのだ。
義姉は微笑みながら、ゆるゆると首を横に振る。
「たまには、麗ちゃんといっしょにお出かけしたかったから。……嫌だった?」
「まさか! そんなことはございませんわ」
それは麗華の本心だ。
小夜子といっしょに出かける機会など、この六年間でそう多くはなかった。
義姉妹そろって夜会や社交の場に出ることはあったが、やはり元庶民の麗華に対する風当たりは厳しく、父はどちらか片方だけを連れて行くことが多かったし、やがて小夜子が公の場に姿を現さなくなると、自然と麗華の出番が多くなったのである。
だから、こうしてふたりきりで出かけるのは本当に珍しいし、義妹にとってはこの上なく嬉しいことだ。
「お義姉様、このあとは美容室にも参りましょう。髪を整えなければなりません」
「そうね。ずっと伸ばしっぱなしだし、ずいぶん傷んでるわ」
小夜子は後ろでポニーテールにした髪を指でなぞる。
ひとつ結びになった髪は、まったく手入れをされておらず、毛先が枝毛だらけになっていた。
麗華は、嫌な予感はひとまず脇に置いて、義姉が自分からきれいになりたいというのなら、それを尊重したいと思っている。
たとえ、それがもしかしたら誰か好きな人――麗華の見立てでは虎太郎という男が怪しいが――がきっかけだとしても、それが小夜子の幸せにつながるなら悪いことではない。
どのみち、義理とはいえ、姉妹が結ばれるわけがないのだ。ならば、自分の義姉の幸福を願うのが、義妹として出来ることではないのか。
二人同時にクリームソーダを飲み終えると、どちらからともなく席を立つ。
「お義姉様、会計はわたくしが」
「いいえ、麗ちゃんにはお洋服のお金を払ってもらってるから」
……義姉妹は、我先にと財布を片手に会計へ向かったのであった。




