第6話 義姉の古い友人
「原磯、『虎太郎』という名の男について、詳しく聞かせてほしいのだけれど」
「虎太郎様ですか、懐かしいお名前ですね」
麗華はメイドに「懐かしい?」と首を傾げた。
原磯は「ええ、久方ぶりに拝聴するお名前でございます」と、おかゆを入れていた食器を厨房まで運び、厨房の皿洗い係に渡す。
「小夜子様からお聞きになったのですか?」
「ええ、まあ、そんなところ」
麗華は嘘をついてでも、その『虎太郎』という男についての情報を少しでも集めようとしていた。
「虎太郎様は、小夜子お嬢様の古いご友人でございます」
「友人……」
ただの友達が、贈り物に花なんか渡すだろうか。しかも異性の友人が。
麗華は怪しく思いながら、原磯の話の続きを待つ。
「お嬢様は大河コーポレーションという企業に聞き覚えはございますか?」
「知ってるわ。あそこもなかなかの大企業よね」
大河コーポレーションは、主に子供向けの玩具やスポーツ用品を専門に取り扱う企業である。
特撮ヒーローグッズやロボットアニメのプラモデルなど、かなり精密な細工を施された商品が多い、麗華にとっては職人気質なイメージだ。
「その大河コーポレーションの社長令息が虎太郎様なのでございます」
「えっ」
「大河虎太郎。それがフルネームです」
原磯のメガネの奥で、鋭い目が光っていた。
「失礼ですが、麗華お嬢様。本当に小夜子お嬢様からお聞きになったのですか? それであれば、私よりも小夜子お嬢様に直接お尋ねになった方が確実では?」
「いえ、あの、えっと……お義姉様は風邪を召していらっしゃるし……」
「それでは、風邪が完治したタイミングでお尋ねになればいいはず。なぜ、このタイミングで私にお聞きになったのでしょう?」
メイドの追及に、麗華は思わず目を逸らしてしまう。
――このメイドには、敵わない。毎度、そのいやに鋭い勘で、麗華の嘘を暴いてしまうのだ。
「……わかった、わかったわよ。正直に言うから、そんな目で睨まないで」
「は。失礼いたしました。睨んでいるつもりはなかったのですが」
このメイドは目付きが悪いことで、屋敷では有名である。
かしこまる原磯に、麗華は素直にこれまでの経緯を打ち明けた。
「ははあ、小夜子お嬢様の日記を勝手に……」
「悪かったと思ってるわよ、そんな軽蔑したような目を向けないで」
「いえ、そんなつもりはありませんが」
「ホントにい?」と言いたげにジトっとした目を向ける麗華を無視して、「ふむ、しかし……」とメイドがうなる。
「虎太郎様はたしかに大河コーポレーションの社長令息として小夜子様に親しくしておいでで、鳳月グループとしても付き合いは悪くはなかったのですが……今、その名が出るのは不思議なことでございますね」
「どういうこと?」
首を傾げる麗華に、原磯は小さな子供に教え聞かせるように丁寧に説明を始めた。
「麗華お嬢様、この鳳月家にいらっしゃってから、その虎太郎様にお会いしたことは?」
「……そういえば、ないわ」
なにしろ、義姉の日記を読んで、初めて知った名前なのだ。
しかし、小夜子の親しい友人なら、麗華だって夜会なり、どこかのタイミングで会っていてもおかしくはないはずなのに……。
「虎太郎様は、麗華様がこの家にいらっしゃる以前に、アメリカに留学なさったのでございます。今も、そちらにいらっしゃるはずです」
「アメリカ……なるほど……」
麗華がこの鳳月家にやってきたのは、五年前、十一歳のとき。小夜子は当時十二歳だろう。
その前には、すでに虎太郎という男は、彼女の眼前から去っている。
たしかに、五年も前に姿を消した男の名が載っている日記が、今になって義姉のベッドの下から出てくるなんて、偶然とは思えない。なんらかの意図があるはずだ。
――たとえば、お義姉様が日記を読み返した? なんのために?
麗華はなんとも言えない、嫌な予感を覚えていた。
彼女の懸念点は、日記の中での小夜子が記述している、虎太郎に対する好感度の高さだ。
もし、その男が義姉の目の前に再び現れたら、彼女はどんな反応を示し、男にどんな言葉をかけるだろう。
そのとき、自分は二度と小夜子に振り向いてもらえないのでは……そんな予感があった。
「さて、麗華お嬢様。小夜子様に食後の風邪薬をお持ちしましょう」
「そうね。……いえ、わたくしが薬を持っていきますわ。原磯は持ち場に戻って」
「かしこまりました」
メイドはうやうやしくお辞儀をして、その場をあとにする。
おそらく、原磯は麗華のために、気を使ってくれたのだろう。
彼女が、義姉から直接、虎太郎の話を聞くために。
麗華は、ゆっくりと大きく深呼吸を繰り返した。
すう……はあ……と義姉の部屋の前にたどり着くまでに、何度もお腹に空気をためては吐き出し、気持ちを整えていく。
「お義姉様、麗華が参りました。失礼いたします」
小夜子の部屋のドアを開ければ、相変わらずの散らかった室内だ。
義姉はベッドから身体を起こして、ドアを開ける麗華を見ていた。
「お義姉様、お薬をお持ちいたしました。お具合はいかがですか?」
「ありがとう、麗ちゃん。だいぶ、意識がはっきりしてきたわ」
布団を膝にかけたままの小夜子の手には、あのベッドの下に置かれていた日記がある。
麗華はそれを見て、息を呑まないように、至って冷静に努めた。
何も知らないフリをして、ベッドの近くのテーブルに薬と水差しを置く。
小夜子は気づかない様子で、日記帳を同じテーブルに置いた。
「ねえ、麗ちゃん。お願いがあるの」
小夜子の微笑みに、麗華はぎこちなく「お義姉様のお願いでしたら、なんなりと」と返す。
「部屋を片付けたいの。原磯や、他の使用人もできるだけ呼んで、みんなで大掃除を手伝ってくれない?」
怠惰でここ数年、部屋を片付けていない義姉の思いがけない依頼に、麗華は目を丸くするのだった。




