第16話 騒乱の婚約会見
――小夜子と虎太郎の婚約が関係者の前で発表される、その当日。
「お義姉様、ご準備はよろしいですか?」
控室に入った麗華に、義姉が振り返った。
祝いの席にふさわしい、控えめながら上品な紺色のパーティードレスは、小夜子の雰囲気にとても似合っている。ドレスには白銀色のスパンコールが散りばめられており、彼女の名前にある「夜」を表しているようだった。
「緊張していらっしゃいますか?」
黙ったままの義姉に尋ねると、「少し」とだけ返ってくる。
その手を取ると、小刻みに震えていた。
「ご安心ください、お義姉様。この麗華があなたのおそばにおります」
「でも……婚約会見では私と虎太郎さんだけがカメラと向かい合わなくては。私は、大丈夫だから」
気丈に振る舞う小夜子の手の甲を、麗華はそっと撫でている。
「ごめんなさい、お義姉様」
「謝らなくても大丈夫。私は気にしていないから」
こうして、無事に婚約会見も迎えられたことだしね。
そういって、義姉はかすかに笑う。
きっと、彼女は義妹が謝罪した理由を、これまで小夜子と虎太郎の仲を妨害してきたことを謝っていると思っているのだろう。
「小夜子、そろそろ準備はできたかい?」
「はい、お父様。――それじゃ、行ってくるね」
小夜子は麗華の肩にそっと触れて、振り返ることなく歩き出した。海外から日本に帰国した父に連れられ、控室を出る。
麗華は義姉の手を撫でていた自らの手を見つめていた。
「……ごめんなさい、お義姉様」
これから、麗華は小夜子に「ひどいこと」をする。
きっと恨まれることだろう。許してもらえないかもしれない。
それでも、義妹はその歩みを止められなかった。
――記者会見会場。
カメラマンが鳳月小夜子と大河虎太郎の晴れ姿を撮影しようと、カメラを持って待ち構えている。
その会場に二人が入った瞬間、バシャバシャと無遠慮に激しいフラッシュが焚かれた。
小夜子は目を細めて閃光に耐え、虎太郎は彼女をエスコートするように背中に手を添えて机まで誘導する。その仕草すら、仲睦まじく見えることだろう。
隣り合って座った二人に、記者たちは「ご婚約おめでとうございます!」「今のお気持ちを一言!」と我先にマイクを差し出す喧騒である。
カメラの映る範囲外には小夜子の父と虎太郎の父が控え、歓談していた。
やがて、会見の時間になり、虎太郎がマイクに向かって「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」と声を発する。
「この度、僕、大河虎太郎と鳳月小夜子さんは――」
「その前に、少し余興でもいたしませんか?」
ぎょっとした顔の虎太郎。
記者たちの視線やカメラを釘付けにしたのは、例によって鳳月麗華であった。
「麗華さん、今は君と遊んでいる余裕はないんだ、あとでにしてくれ」
「そんなわけには参りませんわ。あなたとお義姉様が結婚したら大変なことになると分かっていて放置するような冷血じゃありませんの、わたくし」
「麗ちゃん……どういう……こと?」
虎太郎の父親が「おいおい、君! 困るなあ、会見の邪魔しちゃあ!」と麗華を取り押さえようとするが、それより速く動いたのはメイドの原磯である。
原磯は会場のスクリーンを下げて、そこに何かを映し出した。
映っていたのは、録画映像。それも、虎太郎とその父親の密会のようである。
『――小夜ちゃんと結婚したら、本当に新作を買ってくれるんだろうね?』
『――ああ、もちろん。もう鍵も用意してある』
虎太郎の父が息子に投げ渡したのは、スポーツカーの鍵だった。
虎太郎はそれを受け取ると、愛しい女性のようにキスをする。
『――それにしても、親父も悪い人だね。幼馴染同士を結婚させて、相手の会社を乗っ取ろうなんてさ』
『――あそこの親父はアホンダラだからな。自分の女すらマトモに制御できなかった仕事人間だ。家が牛耳られていることに気づいたときには既に手遅れ……ってオチになるに決まってるんだ』
わはは、と笑う親子の姿が、カメラに捉えられていた。
それを見て、虎太郎はわなわなと震える。
「な……ッ!? なんだよこれ!?」
「今すぐその映像を消せ! こんなの事実無根だ!」
虎太郎の父もいても立ってもいられず、会見会場の中に飛び出すが、逆に記者に囲まれて質問攻めにあってしまった。
「この映像の内容は事実なんですか!?」
「息子さんを使って鳳月グループを掌握しようとしていた!?」
「こりゃ特ダネだ、今日の夕方には全国ニュースになるぞう!」
大混乱に陥った会場の中で、小夜子だけが別の世界にいるように静かな空気をまとっていて、麗華はそれを綺麗だと思う。
記者たちの気付かないところで、小夜子と虎太郎が見つめ合っていた。
虎太郎は、小夜子の冷淡な目を見て震え上がっている。
「虎太郎さん、これは事実なの?」
「な、何言ってるんだ、違うんだよ、小夜ちゃん」
「スポーツカーと引き換えに、私を利用しようとしたの?」
「ヒッ……ぼ、僕の話を聞いてくれ!」
パシッと乾いた音が空気を震わせた。
小夜子の腕力はそんなに強くはないが、その圧と眼力で、真っ赤に腫れた頬を押さえた虎太郎が、床にへなへなと座り込んでいる。
「お義姉様、参りましょう」
「――やってくれたな、鳳月麗華……!」
なけなしの敵対心で麗華を睨みつける虎太郎だったが、振り返った小夜子の冷たい視線に、また子犬のように怯えてしまった。
「私達の前に、二度と姿を見せないで。アメリカでもどこでも行くがいいわ」
ぴしゃりと言い放って、小夜子は麗華と手を繋いで会場をあとにする。
虎太郎の父は、義姉妹の父に睨まれて縮こまっていた。
こうして、麗華と原磯の告発は結果的に鳳月家を救うこととなったのである。
「麗華、よくやってくれた! もう少しで鳳月グループは危ないところだったよ」
小夜子と麗華の父は感激していた。
「お礼になんでも買ってあげよう! 好きなものを言うといい」
「いいえ、お父様。わたくしの欲しいものはお金では買えないのです」
「どんなものでも手に入れて君に渡すよ! なんでもいいから言ってごらん」
それこそが、麗華にとっての千載一遇のチャンスである。
「わたくしは、お義姉様が欲しいのです」
「…………うん?」
「お父様にお願い申し上げます。どうか、小夜子お義姉様と交際する許可をくださいませ」
麗華のその一言により、鳳月家は騒然とした。
普段麗華に目もくれない遠縁の爺ですらも、彼女を罵倒する始末。
それでも、麗華は父の目をまっすぐに見据える。
「お父様は必ず約束を護ってくださるお方。なんでもいいとおっしゃいましたよね?」
「い、いやあ……それは小夜子の意思によるだろう……」
麗華と父が小夜子の方を向くと、彼女は腹が決まっているようだった。
「お父様。麗ちゃんは私達を守ってくれました。約束は果たすべきです」
そして、麗華は父から義姉との交際の許しを得たである。
……麗華は、小夜子に「ひどいこと」をした。
実のところ、虎太郎とその父を告発したのは、ハッタリである。
例の映像を流し、二人の音声を切り貼りして編集されたそれは、原磯の手作りの偽物であり、結果的にあの二人が実際に鳳月家の乗っ取りを企てていたことが真実だっただけだ。
麗華と原磯は全ての登場人物を騙しおおせた。
義姉妹は、こうして結ばれた。




