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第38話:宴の夜 -1-

 執務室は立派だった。あからさまに奢侈な物が置かれているわけではない。けれど執務机の上質の木材や手の込んだ仕上げ、椅子に張られた布の美しさが『ここは庶民の立ち入る場所ではない』と語っている。

 ロハスやハールーンがいれば、その価値や産地について講釈を垂れていたことだろう。


 とはいえ、

「あっ、そのお菓子はいけませんぞ。その缶に入っているのはたいてい湿気っていますからな。俗世の方々に大神殿はケチだと思われてはなりません。心のこもった接客をせねばなりませんぞ」

 お茶を用意する役らしい神官見習いの少年に、アベルが偉そうにそう説教をしているので台無しなのだが。


「そっちの緑の缶に入れている方をください。外部の方は最上の客として遇するべきものです。身なりが汚らしいとかたたずまいが貧乏くさいとか、見た目で判断してはならぬのです。あっ、お茶も安いのはいけません。一番いい缶を開けなさい」

 汚らしくて貧乏くさいのはお前も同じだ、とオウルは思った。なぜ森の妖怪に恰好をあれこれ言われなくてはならないのか。


「全く……。ちょっと神殿を離れている間に、接客のイロハも知らない若者が増えておりますな。困ったものです」

 神官見習いもこんなやつに先輩面をされたくはないだろう。オウルはつくづくそう思った。

「さあ、船長もオウル殿も座って下さい。いつまでも突っ立っていてはソラベル様に失礼ですぞ」


 そもそもそのソラベルが、茫然とした表情のままで部屋の真ん中に突っ立っているのだが。アベルはそんなことには構わず、さっさと来客用の長椅子の真ん中に腰を下ろした。

「いや、お前客じゃないだろうが」

 思わずツッコんでしまう。いつも通りに振る舞ってはさすがに無礼だろうと思い、なるべく抑えようとしているのだが非常識な仲間の存在がそれを許してくれない。


「まあまあ、固いことはおっしゃらずに。久々に戻った古巣ですから、これくらいは許されるでしょう。ソラベル様、何をなさっていらっしゃるのです。どうぞおかけ下さい」

 ここはお前の部屋か。喉まで出かかった言葉をオウルは無理やり飲み込んだ。アベルにツッコんだら負けなのだ。際限がないからである。

 ツッコミは最小限に。そう心に刻み込んだ。


「仕方ないなあ。君たち、話は手短にしてくれ」

 ティンラッドが大きく鼻を鳴らし、面倒くさそうにアベルの隣りに座った。長い脚を組むと、すぐさま目をつぶって眠る体勢に入る。

 こちらもツッコんでも無駄である。情報が取りたいなら、自分がしっかりする他はない。

 空手で帰るような羽目にでもなれば、バルガスが嘲笑を浮かべるのは見えている。あの宿営地でバルガスが不快に過ごしているようにオウルは願った。


 ソラベルも観念したようにアベルと向かい合う形で座った。何も言われなかったが、着席を許可されたと解釈してオウルも長椅子の隅に腰を下ろす。

「……それでアベル。私が命じた仕事はどうなったのだ。その、ソエルの王に拝謁したという話はいったい」

 青い目に浮かべる光は疑わし気であり、怯えているようでもある。

 無理もない態度だが、そもそもアベルにあんな神言を教えることが間違っていたのだとオウルは思う。


「先にも申しました通り、もちろん順調ですぞ」

「いや、その。もう少し詳しく話さぬか」

「詳しくですな。承知いたしました」

 妖怪は更に調子づく。


「極秘の使命を授かった私は奮い立ち、誰もがまだ深い夢の中にいる暁にひとり旅立ちました。いや、ソラベル様が見送ってくださったのでしたな。伝道の道へと向かう我が心は躍り、背負った神言の重さにまた震え」

「その辺りは良い。私も覚えておる。お前が旅立ったのは暁ではなく、日が高く昇った後の祈りの時間であったが、それも良い」

 ソラベルは苛立たし気に先を促した。

「大神殿を出てからどうしたのだ。それを話しなさい」


「はい。神殿の防壁を離れ街道を歩いておりますと、前から良い香りがしてくるではありませんか。旅の商人のパーティが道端に炉を作り、昼食の準備をしているところでした。非常に美味そうな肉料理でしたので、私はさっそく喜捨を願い出て」

「そんな細々したことは聞いておらぬ。使命がどうなったのかについて話さぬか」

 茶に手もつけないうちから、もうソラベルの忍耐は限界に近付いている様子である。


「肉をご喜捨いただいてから、私はまずゾンネルの街へ向かおうと決めました。享楽と堕落の都と名高いあの街に前から興味が、いやもちろん伝道的な意味ですが」

「それで」

 アベルの話はちっとも進まないが、とりあえず大神殿を出てすぐに運の悪い通行人から昼食をせびり取ったことだけは分かった。


「ゾンネルの堕落ぶりは噂に違わぬものでしたな。人々は昼間から酒や賭け事に興じ、花を売る女性が堂々と客を探し」

 門前町でも普通に娼婦が客引きをしていたじゃないか。そうオウルは思ったが、口を挟んだらややこしくなるのは見えているので堪えた。ソラベルはそうでなくても苛立っている。


「ゾンネルの堕落のことは良い。それよりも使命は」

「これはしたり。ソラベル様ともあろう御方が何たることを。あ、このお菓子をもう少しいただきたいですぞ」

 勝手に茶菓子の缶を開け、空になった自分の皿に追加を置く。

「大神殿の近辺は、神の威光と自警団の皆様の身を挺した活躍により魔物の害は抑えられております。魔物封じの神言がいかに偉大であろうと、そのような場所で真価を発揮することが出来ましょうか」


 菓子を食べながらではあるが、口だけはまともなことを言う。ソラベルは顔をしかめた。

「それは確かにその通りであるが。であれば、ゾンネルなどに寄らずにもっと辺境の地へ」

「私はまずは人々の魂の救済が第一であると考えました」

 師の言葉を遮って、アベルは大声で言う。口から飛び出した菓子のくずが机の上に散らばった。


「堕落した人々の魂を救うため、日ごと夜ごと酒場や娼家、賭博場へ向かい」

 どうしてその話をそんなに堂々と上役に出来るのだろう。オウルは心から不思議に思った。

 この顛末は以前に聞かされている。大神殿を離れて存分に羽根を伸ばしたこの欠格神官は、遊び回った挙句に有り金どころか身ぐるみまではぎ取られ街を追い出されたのだ。


 俗世の遊興に身を持ち崩す聖職者というのは笑い話などでよく聞くネタではあるが、その現物がここに存在する。そして身を持ち崩しても反省するどころか悪びれもしていない。もともと魂が底の底まで堕落しているに違いない。



「……というわけで残念ながら私の試みは失敗し、人々を改心させるには至りませんでした」

 脱線しまくった後で、ようやくアベルの話はそこに落着する。その間に、横で高いびきをかいているティンラッドの分の茶菓子まで腹に収めてしまった。


「それでどうしたのだ」

 ソラベルも苦り切っているが、さすがにそう聞かずにはいられなかったようである。アベルは元気よく答えた。

「はい。これも経験だと私は気を取り直し、本来の役目に戻って魔物の害に苦しむ人々を救うため東に向かうことにいたしました」

「なぜ初めからそうせぬのだ」

 そう言いたい気持ちはよく分かった。


「神官服まで取られてしまったと申したな。いったいどうしたのだ。裸で旅をするわけにもいくまい」

 もっともな疑問だ。

「俗世は生き馬の目を抜くが如くで、まことに気が抜けませぬな。当然、私も非常に困りました。そこで通りがかった方に喜捨をお願いし」


 追いはぎの間違いではないかとオウルは思った。何でも『喜捨』と言い張れば許されるというものではない。どうしてこの神官は、常に他人にたかることしか考えないのだろうか。

 神殿の教育に根本的に問題があるのではないかと思ったが、考えてみなくてもこんな神官はアベルだけだった。単に個人の資質の問題であろう。


「辛い旅でしたが、善男善女の喜捨に支えられ何とか進むことが出来ました。これも全て神の恩寵のたまもの。大神殿の威光は地の果てまで届いておりますぞ」

 アベルは気楽に言ったがソラベルはますます顔をしかめた。『大神殿の三等神官』だと喧伝しまくって人々から様々な物をせびり取っている弟子の姿を思い浮かべているのだろう。


 その想像は間違っていない。なぜこんなやつを野に放った。

 オウルは改めてそう思った。



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