第35話:神殿自警団 -3-
「おかげでお布施の額が普通の倍以上になったんだよ。せっかくバルガスさんとハルちゃんが抜けて人数が減ったのに、払う額が増えたんだよ。これじゃあ二人の行動が無意味じゃん」
結果的に高額の喜捨(という名の迷惑料)を払わされてロハスは不機嫌だった。バルガスとハールーンは通行料を減らすために一時離脱したわけではないと思うが、今のロハスにはそんな理屈は通じない。
「船長もアベルも、どうしてそういうことするの」
口をとがらせて言う。
「私はただ自分の身分を主張しただけですぞ」
「私だって当然の質問をしただけだ。我が物顔で街道を歩き回って、他人から戦闘の機会を奪うなんて横暴すぎるじゃないか」
しかし問題の二人には反省の色はなかった。
「何度も言うが船長の主張は通らねえからな。普通の人間の感覚を理解してくれよ、頼むから」
オウルも辟易していた。
迷惑料を払わされてロハスは不機嫌、主張が通らなかったティンラッドとアベルも当然不機嫌。騒ぎを収めるために消耗しきることになったオウルも自警団員ももちろん不機嫌だった。
関わった人間の誰一人として幸せにならない、恐ろしい結果であった。
「もういいよ、さっさと行こうぜ。先達たちと合流するのはどこだっけ?」
オウルが言うと、
「アルカの街」
ロハスが即答した。
「知らねえな。どこだそれは」
「街道からそれるよ。着くのは明日の夕方くらいになるかなあ、今日は違うところで宿を取らないとね。オウル、大神殿には何度か来たことあるんでしょ。知らないの」
「知らねえよ。俺は魔術師の都から来てたんだから方角が違う。こっちの道は使わねえ。それにそもそも、街道から外れて旅したりしねえよ。当時は師匠の警護をしてたんだし」
「ああ、そうか」
ロハスはうなずく。
「オレは行商に回ったりしてたからなあ。この辺は地元からもそう遠くないし、大神殿近くの町や村はだいたい来たことがあるよ。アベルもこの辺りは詳しいんでしょ?」
同意を求められた神官は首をかしげた。
「はて。何故そう決めつけられるのでしょう」
え、とロハスだけでなくオウルも聞きとがめた。
「だって地元でしょ。オレ以上に完全にアベルの地元でしょ」
「この辺りは大神殿の直轄地だろうよ。行ったことがなくても大神殿の神官なら町や村の名前くらいは知ってるものじゃねえのか」
二人から言われて、アベルはため息をついた。
「全く……俗人の皆様の思い込みには困りますな。皆様が考えているほど大神殿の神官とは暇なものではないのですよ。ありがたい神の教えや複雑な神言、代々伝わる儀式など覚えなくてはならないことは山ほどあるのです。近隣の地理など覚えている場合ではありませぬ」
もったいぶって首を左右に振っているが、オウルとロハスは察した。この男、神殿での勉強をサボっていたに違いない。
それは神官になるためには覚えることは多かろう。しかし大神殿の神官ならば、直轄領の地理くらい把握していて当然だろう。
どこの田舎でも神官と言えば物知りと決まっている。当てはまらないのは目の前の自称神官くらいなものだ。
「まあ、この辺りならオレは土地勘があるから。迷うことはないから任せておいて」
ため息をつきながらのロハスの言葉に、
「ああ、頼む」
オウルも素直に従った。
こういう状況なら地元人のアベルが一番役に立つはずなのだが、どこまで行っても使えないことこの上ない。
「それで、この辺りにはどんな魔物が出るんだ」
ティンラッドもブレない。ロハスはもう一度ため息をついた。
「そうそう魔物なんか出ないよ。この辺りは自警団の人たちががっちり見回ってるからね。小さな魔物でも見付けたらすぐに退治しちゃうんだ。人込みで財布をスラれたりとか宿屋で置き引きにあったりとか、そういうのの方が危険だよ。そっちに注意して」
「何だ、つまらないなあ」
ティンラッドは更に不満そうになった。
「あの自警団とかいうやつらは本当に余計なことしかしないな。むやみに偉そうなのも気に食わないぞ。人の邪魔しかしないのに、どうしてあんなに威張ってるんだ」
「人の役に立つことをしてるんだよ。多少迷惑でも人の役に立ってるんだよ、あいつらは」
オウルも頭が痛くなってきた。
あちらに一人、こちらに二人と問題児がばらけたことが救いと言えるのかもしれないが、だからと言ってあまり楽になった気はしなかった。
その晩は、街道沿いの街で宿をとった。巡礼向けの宿がいくつもあるので辺境より宿代が安く済み、ようやくロハスの機嫌が少し良くなった。
この近辺も、バルガスの故郷とは別の意味で魔物時代が来る前の姿を残しているのかもしれない。狭い客室で荷物を解きながらオウルはそう思う。
街道は行き来する旅人でにぎわい、酒場には情報交換しようとする商人たちや旅の疲れを癒そうとする戦士が集まってやかましい。
十年前まで、これが当たり前だったのだ。いや、その後でさえ世界がこんなにも変わったとすぐに気付きはしなかった。塔の林立する魔術師の都で、小さな窓から狭い空を見上げて研究に励んた日々。伝え聞く魔物の被害を恐ろしいと思いつつも、それは実感を持つには遠すぎる別の世界の話でしかなかった。
今は違う。東のソエルまで流れて行った彼は、孤立した村々や荒れ果てた砂漠の街道を目にした。大神殿や魔術師の都近辺の平穏さがどれだけ恵まれたものなのか、他の地域とどれだけ違っているのかが理解できる。
この辺りの人間も魔物の害を嘆き、自警団に頼らなければ生きていけない現状に『昔は良かった』とこぼすのだろう。
だがそれは、例えばハールーンのような人間の口にするものとは決定的に違うのだ。
「何だかな……」
寝台に横たわって呟く。
どんな場所のどんな家に生まれるかで人生の大半は決まってしまう。その上、住んでいる場所が違うだけで同じ言葉を話していても意味さえ違ってしまうのか。そう思うと割り切れない。人と人が理解し合えることなど永遠にないのではという気がして来てしまう。
「どうかした?」
上の寝台からロハスが声をかけて来た。小銭を数えているのでチャリチャリうるさい。
「何でもねえ。金でも数えてろ」
「言われなくても数えるよ。一ニクルでもなくしていたら大変だからね」
それだけでロハスはまた金勘定に戻った。
下の酒場からは、他の旅客と盛り上がっているらしいティンラッドの馬鹿笑いが聞こえてくる。アベルも一緒に飲んでいるので寝室に姿はない。
こいつらと分かり合える日は永遠に来ない。というか分かり合いたいとも思わない。
オウルはため息をつき、毛布を頭からかけてさっさと眠ることにした。
翌朝、宿を発ってアルカに向かう。
街道を外れると一気に旅人は減るが、それでもわずかな見張りを立てただけで農夫たちが耕作をしている風景は他の場所では見られないものだ。
「平和だな」
「大神殿のお膝元ならではだよね。どこもこうだったら商売しやすいんだけどねえ」
オウルの呟きに、ロハスもうなずいた。
「当然ですな」
アベルは自分の手柄のように鼻を高くしている。
「大神殿の威光はこの世の隅々までを照らすものですからな。大神殿があってこその民草の暮らしです。神殿があるからこそ、人々の平和な生活があるのです」
オウルとロハスは無視した。この辺りが平和なのは自警団の巡回の賜物だろう。
もちろんその背後に大神殿の威信と財力があってこその話かもしれないが、アベルが偉そうにする理由は全くないと思う。
「つまらない」
そしてティンラッドはずっと機嫌が悪い。
「もうずっと戦闘をしていないぞ。私は魔王を倒しに行きたいんだ。お参りの旅をしたいわけじゃない」
既に発作である。定期的に騒ぎ出すので面倒なことこの上ない。
「だから、大神殿が魔王の情報を持ってないか聞きに行くんだろ。しっかりしてくれよオッサン」
「こんなにのどかな場所に住んでいる人が魔王の情報なんか持っているのかなあ。自分で探した方が早いんじゃないのか」
ティンラッドは懐疑的だ。
「いやいや船長。情報は大事だよ」
ロハスが諫める。
「情報を制する者は商売を制す。情報を持っている人を見極めて、知っていることを絞り出すのは基本だよ、基本」
「大神殿は世界中の神殿から様々な報せを受け取っておりますからな。大神殿の神官ほど多くの情報を握っている者はおらぬでしょう」
そのはずなのだが、アベルが言うと途端に信憑性が下がる気がする。同時に大神殿の権威も著しく下がる気がする。
「あてもなく探し回るより、とりあえず聞いてみた方がマシだろ」
オウルは肩をすくめた。
「はずれだったら先達に文句を言ってくれ。話の出どころはあっちだからな」
「大神殿に行きたいと言ったのは君じゃなかったか、オウル」
「そうだけどよ」
それは不良品の神官を大神殿に叩き返して、こんなやつを野に放った責任を問いたいからである。
「それはそれとして、大神殿が魔王について何か知ってるかも知れねえって言ったのは先達だよ。あんたもその場にいたろ、船長。忘れたのか」
「そうだったかなあ」
ティンラッドは首をかしげている。そう言えばあの時、このオッサンは酔っていたのだとオウルは思い出した。重要な情報を酔っぱらって忘れるなど、魔王を倒そうというパーティの統率者としてこれでいいのかと絶望的な気分になった。
そもそも重要だなどと思っていないのかもしれないが。ティンラッドの場合、『魔王を倒して世界を魔物から解き放つ』という結果よりも『魔王を倒すまで』の過程の方が大切なのである。要するにただ戦いたいだけなのだ。
「そう言えば」
ティンラッドの言動についてはもう諦めている彼は、別のことに気付いてアベルの顔を見た。
「今さらだがよ。あんたはいいのか、クサレ神官。大神殿に戻っても」
「はて、何のことでしょう」
アベルはきょとんとする。
「私は大神殿の三等神官ですぞ。その私が大神殿に戻ることに何の不都合が」
「いや、そうじゃなくて」
アベルと意思疎通することの難しさを改めて感じながらオウルは言った。
「あんたには魔物を遠ざける神言で世界を救うとかいう使命があるんだろ」
その使命はろくに果たされていない。そもそも大神殿を離れた後、一年ぐらいアベルはそのことを忘れ去っていたのだ。
「ああ」
アベルはポンと手を打った。
「そんなものもありましたな」
軽い。やはりアベルにとって『使命』は大した重みをもっていないようである。
「良いのではないでしょうか。戦士にも時には休息が必要です。束の間の里帰りくらい許されるでしょう」
こいつの存在は大神殿に返納するから、そのまま末長く奥深くに封印されて二度と俗世に出て来ないでくれ。心からそう思うオウルであった。




