第30話:オアシスをたどって -3-
旅を続けるうち、次第に街と街の感覚が狭まって野宿をする夜も少なくなってきた。
しかしそれでマシな夜を過ごせるようになったかと言えばそうでもない。宿屋によっては宿賃相応のもてなしが受けられなかったり、スリや詐欺師の横行を見逃していたり、ひどいと盗賊とグルになっているところもある。宿決めの時にはその辺りをよく見定めなければならない。
坊ちゃん育ちのハールーンはこういう場面では役に立たない。
旅慣れたロハスが情報を集め、オウルとバルガスが出入りする人間の様子をうかがう。様々な港町を出入りして来たティンラッドの直観もかなりのものである。四人で相談して泊る宿を決めることがほとんどだ。
しかし時に、客引きに釣られたアベルがフラフラと入ってしまった宿が街一番の良心的な宿だったりする。そういうことがあると、それまで時間をかけて宿を見定めていたのが馬鹿みたいな気がしてオウルはがっくり来るのだが。
食事は一階の酒場でとるのがどこの宿でも約束事のようなものだ。そこではロハスが仲間たちの監督役である。(主に金額的な面で羽目を外さないように見張っている)
食後にはティンラッドが女の子をはべらせて与太話。そのおこぼれに預かろうとアベルはウロウロする。バルガスはさっさと部屋に戻る。
そして、
「サラワンという場所を知っていますか……?」
ちびちびと酒を舐めていたオウルの耳に、そんな物憂い声が響いてきた。
ハールーンの美貌に引き寄せられて横に座った女の子たちが、知らないと首を横に振る。
「僕の故郷です。魔物に襲われて滅びてしまいましたが」
正に流浪の王子様と言った風体だ。女の子たちの同情が一斉に集まった。
こいつは故郷のことを引きずっているのか、それとも割り切って利用することにしているのかどっちなんだ。苦々しく思いながらオウルは席から立ち上がり、耳飾りを付けた耳を引っ張った。
「痛いっ! 何するんだよ」
たちまち嚙みついてくるハールーン。それにかまわずオウルは、
「ちょっと来い」
と相手を物陰に引っ張って行った。
「いいところだったのに。どうして邪魔するんだよ」
不機嫌なハールーンに、もっと不機嫌な口調でオウルは言った。
「お前、誰かれ構わず自分がサラワンの生き残りだなんて言って回ってるんじゃねえよ」
「え?」
青い瞳が丸くなる。
「いいじゃない別に。どうせあの街のことなんて誰も知らないんだし」
「バカ。バカだなお前は」
決めつけられてハールーンは憤慨した。
「なんでだよ。僕、ちゃんと教育は受けてるよ。街が滅んでからだって、姉様と二人でちゃんと勉強を」
「そういう話じゃねえよ。お前は人間が軽率なんだよ」
オウルは低い声で言った。
「あのな。滅んだって言ったって十年前の話だろう。あの街に行ったことがあるやつも、名前を知っているやつも探せばいるんだ。今夜、お前に知っていると言うやつがいなかったとしても、それが本当だと信じる理由はどこにもない」
「……よく分からないよ」
ハールーンは訝し気に首をかしげる。
「本当に情報を欲しがってるやつはな。常に目の前で話を聞いているとは限らないのさ」
オウルは言ってから、更に声を低めた。
「今夜でなくてもいい。俺たちがここを去ってから何日も経ってから、あの女どもがお前の話題を出す。滅びた街の名前を言う。十分ありうるよ、お前は目立つんだ。その時に、あの街を知っているヤツがそれを聞くかもしれない。中にはあの街に行って確認しようとするヤツが出てくるかもしれない。そうしたらどうなる?」
「どうなるって……」
まだ話の要点が分からないらしいハールーンに、オウルはイライラした。
「もう旅を妨害する者はいねえ。魔物をかわしてそいつはサラワンにたどり着く。そしたらどうなる? 街は事実、滅んでいるんだ」
「うん、まあそうだよね」
「そうだよねじゃねえよ。あのな、お前にとってはあそこは何年も前に滅んだ街だ。だが世間的には、おぼろげながらも街は最近まで存在していたはずなんだよ。他ならぬお前がそう見せかけていたんだよ。そうだろうが」
「……そうだけど」
自分の過去の所業に触れられて、ハールーンは嫌そうな顔になった。そんな顔をするくらいなら初めからやらなければいいとオウルは思う。思うが、それでもやってしまうのがハールーンという人間なのだろう。
「けど、それが何。そんなの関係ないでしょ」
「他人の目からどう見えるかを考えてみろ」
オウルは厳粛に言った。
「行き来がなくなって伝説になろうが、忘れ去られようが、それでも魔物が出る前は確かに存在した街だ。そして滅んだって情報が止められてた以上、世間的には街は存在していたはずなんだ。だが実際に行けば、そこにあるのは廃墟だ。こういう話は広がりやすいよ。人間は怪異譚ってのが好きだからな。尾ひれもどんどんつく。噂が大きくなれば、中には自分で調べようとするやつも出てくるだろう」
オウルの灰色の瞳が冷たくハールーンを眺める。
「ちょっと頭のあるヤツが見れば、何年も前からあそこに人が住んでいなかったことはすぐ分かるよ。ロハスみたいにあの街を生きて通り抜けたヤツの話を聞けば、何らかの魔術が働いていたと推測することも可できるだろう。考えなしに自分の素性を話して回っていると、すぐに尻尾をつかまれるぞ。街が突然廃墟になった後、いくらも経たないうちに現れた『生き残り』を自称する男。全ての秘密を知る人間として追われてもおかしくはない。そしてお前は目立つ」
むだに派手なのだ。きらきらしいのだ。良くも悪くも目立つのだ。
そしてついでに言えば一緒にいるティンラッドとアベルもうるさいから目立つ。バルガスも怪しげだから目立つ。
と思ったがそれは面倒なので触れないでおく。
「そしてな。お前って野郎は全ての秘密を知っている上に、他の誰にもない特別な能力を持ってやがるんだよ。魔術師にでもつかまればいいオモチャにされる。能力を限界まで引き出すために正気を失うまで、いや正気を失ってもまだいたぶられる。真理を求める魔術師ってのは、平気でそれくらいのことをするんだよ」
迫力に飲み込まれたように言葉を失っていたハールーンが、やっと口を開いた。
「じゃ……じゃあ僕は……どうすればいいのさ」
「知るか。平穏無事に生きていきたきゃ、そのおしゃべりな口をちょっとはつぐんでろ」
オウルはそう言ってハールーンを軽く突き放す。
「俺は助けねえからな。面倒ごとはごめんだ。自分のケツは自分で拭け」
冷たく言い捨てられて、ハールーンはしゅんとした様子になった。客席に戻ってからは傍に寄って来る女の子たちのことも一顧だにせず、不機嫌に酒や食べ物を要求するだけになる。
王子様の豹変に女の子たちは不満げだったが、オウルはそれでいいと思う。流浪の貴公子への同情も喝采も要らない。当たり前の客として遇してもらえばそれでいいのだ。
「はっはっ」
別の席から嘲笑するような声が響いた。
博打に興じていた人相の悪い男たちがハールーンを指差し笑っている。
「滅んだ街の生き残りとかホラを吹いてたが、振られたようだな色男。男は顔や口じゃねえんだよ、実力だ実力」
オウルはハールーンの細い眉が一直線になるのを見た。だが彼は立ち上がって喧嘩を買ったりはせず、店の外に出ていくその男たちをただ黙って睨みつけるだけだったので一度は安心したのだが。
「……ちょっと出てきてもいいかなあ?」
店の扉が閉まるとすぐに立ち上がり、剣呑な笑顔を浮かべた彼にオウルは厭な予感しかしなかった。
「どこへ行くつもりだよ」
「ちょっと野暮用。確か今日は闇夜だったよね」
手の込んだ刺繡で彩った上着の下で短刀が音を立てる。
オウルはその後、面倒ごとを起こさないことの大切さについてじっくりと説教をしなくてはならなかった。
こいつの不運の半分くらいは本人の軽率さが招いているに違いない、と確信しながら。




