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第28話:砂漠の向こうへ -5-

 翌日は一日かけて、アベルが街とオアシスの周辺に魔物避けの神言を施した。 

 そしてその次の朝早く一行はその街を発った。

「ハールーンや。お前はわしの姉の子じゃ。パルヴィーンと共にいつまでもこの街にいて良いのだぞ」

 引き留める太守に、ハールーンはきっぱりと首を横に振った。


「ありがとうございます、叔父上。でも、叔父上にはきちんとした跡継ぎがいらっしゃる。僕がここに残っても皆のためにならない。それに……」

 青い瞳が名残を惜しむように、もう一度同じ色合いの瞳を探す。

「姉さまと僕は……もう一緒にいられない……」


「ハールーン」

 パルヴィーンが進み出て、宝石の象嵌された美しい短剣を差し出した。

「これを。お父様が最後に館を出る時、万一のことがあれば使えと下さったものです。持って行きなさい」

「姉さま。でも……」

 ハールーンは困惑したように姉の顔を見る。パルヴィーンはやわらかな唇をきっと引き結んで、弟にうなずきかけた。


「武器として使ってもいいし売ればお金にもなるはず。この剣は私の手元にあるより、あなたが持っていた方が役に立つわ」

「姉さま……」

 差し出された宝剣をハールーンは恐る恐る受け取り、それからギュッと抱きしめた。

「売ったりなんかしない。魔物の血でも汚さない。僕、これを姉さまだと思ってずっと大事にする」

「バカね」

 パルヴィーンは少しだけ微笑んだ。

「道具は道具にすぎません。必要な時には使わなくては駄目よ、ハールーン。そのためにあなたに託すのだから」


 それから姉弟は互いをじっと見つめあった。

 弟がたどるのはあてのない道。出立してしまえば帰ってくることはない。再び二人がまみえることがあるか分からない。

「姉さま。僕、行くよ」

 宝剣をしまい、ハールーンは言った。

「ええ」

 パルヴィーンはうなずいた。

「元気で」

「あなたも」


「姉さま……」

 声が詰まった。それからハールーンは、こらえきれなくなったかのように姉の細い体を激しく抱きしめた。

「姉さま。世界のどこにいても、僕はいつもあなたのことを思ってる。どうか幸せでいて……僕の大切な姉さま」

「ハールーン」

 パルヴィーンの黒い睫毛を涙が濡らす。

「私だって。私だってよ。ハールーン、私のたった一人の大切な弟……」


「おーい。早く行かないか」

 空気を全然読まない人間(パーティの統率者)が、間の抜けた声をかけた。

 その声に我に返ったように二人はぱっと離れる。


 最後にもう一度瞳を交わすと、かける言葉はもう互いになかった。

 ハールーンは黙って姉に背中を向けた。砂埃を巻き上げてラクダの方に歩いてくる。


「じゃあ行くか。みんなラクダに乗れよ」

 オウルの声で他の仲間たちもラクダの背によじ登る。ティンラッドはとっくに騎乗していたが。

「待って。ちょっと待って」

 ラクダと相性が悪いらしいロハスはもたもたしているが、最終的に何とか背中に収まった。


「叔父上。姉さまをよろしくお願いします」

 ハールーンの言葉に太守はうなずいた。

「安心しろ。わしの娘同様に大切に扱おう」

 ハールーンはうなずき手綱をとった。ラクダが進みだす。


「ちょっと待てよ」

 オウルも慌ててラクダを進ませた。ハールーンを先頭にパーティはよたよたと進み始める。

 太守が集めた楽隊が美しい音楽を奏でて旅立ちを見送った。

 ロハスは何度も振り返り、パルヴィーンに手を振る。

「ああ。美女が離れていく……短いご縁だったなあ」

 本気でがっくりしている様子である。

「まあまあロハス殿。美女を後にして旅立つのもまた一興。これが男の生きる道ですぞ」

 アベルがやけに生き生きしているのは、いい額のお布施を太守が出してくれたからに違いない。そして滞在を伸ばしてもこれ以上の金は出そうにないことを本能で察知しているのだろう、とオウルは意地悪く考えた。


 ハールーンのラクダはとっとと進んでいく。後ろとどんどん差が開いていくので、オウルは自分のラクダの足を速めて追いかけた。

「おい坊ちゃん。ひとりで進むなよ。先達はまだ半病人だし、ごうつく商人はラクダに乗るのがど下手くそと来ているし、船長とクサレ神官はすぐに気が散って勝手にとんでもない方向に行きかねないんだから、俺たちがしっかりしねえと……」

 オウルは言葉を止めた。

 並んで進むハールーンの白い美しい顔に涙があふれていた。


「……あのな」

 オウルは自分のこめかみを揉んだ。

「泣くなよ。男だろ」

「わがっでる!」

 ハールーンはくぐもった声で乱暴に言った。それでも涙は止まらない。

「今だけ……今だけだから……」

 

 吹く風が皮膚を切り裂くような寒い砂漠の朝。

 ハールーンの熱い涙は、いつまでもとどまることなく流れ続けた。



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