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第25話:失われた記憶 -6-

「時間は過ぎていくが、船長たちは帰って来ない」

 バルガスは続けた。

「アベル君は眠り始めている。ロハス君は明日の商談のために作戦を練るのだと頑張っていたが、酒のせいか朦朧として来ている。単なる酒の作用なのか、それとも他に原因があるのか? 酒の周りが早すぎると感じるのは私が神経質になっているのか。深更が近付くほどに魔物の気配が強くなる。二手に分かれたのは失敗だったかもしれぬ」


 オウルは、おかしな思いを味わう。

 冷たい風の吹く真っ暗な街路。辺りは魔物の気配でいっぱいで、人間の息吹が感じられない。

 そんな景色の中をいつかどこかで歩いたような。

 定かではない記憶であるのに、肌を切るような寒さと石畳に響く足音が鮮烈に思い浮かぶ。


「扉を叩く音がする。時刻は深更を少し過ぎている。誰何をするが答えはない。アベル君、ロハス君は眠りこんで動かぬ」

 記録を朗読するバルガスの声は続く。

「扉の向こうに魔物の気配が濃い。今夜、すぐ近くに魔物が来ている。扉を叩く音はますます強くなっている。そろそろ筆を置くべき頃合だろうか。代わりに剣を取るか、杖を取るか。願わくばこの夜が明けた後、再びこの記録を読む者があらんことを」

 そこまで言って、バルガスは口をつぐんだ。


「それでどうなったのですかな」

 しびれを切らしたように、アベルが先を促す。

 バルガスは首を横に振った。

「この日の記録はここまでだ。この先はない」

 全員が静まりかえる。


「この日はということは、別の日の記録ならあるのか?」

 ティンラッドがたずねた。バルガスが嗤う。

「ある。翌日の記録を読み上げよう」

 闇の魔術師は頁をめくった。


「晴れ。気温変わらず、寒し。朝、宿屋の女主人が湯を持って来て目を覚ます。頭痛が激しい。船長とオウル君は今日は起きて来られないとのこと。出発の予定は明日に繰り越しになった。ロハス君が飲み過ぎたという。昨夜の記憶が女主人が部屋に酒を持ってきたところで途切れている。酒宴になったのだろうか」


 淡々と読み上げてから、バルガスは少し言葉を切る。

「どうした、先達」

 今度はオウルが尋ねる。

「この後、数行の空白がある。それから殴り書きのように続きがある」

 バルガスは皮肉っぽい声音で続きを読んだ。


「このような莫迦げた記録を何故つけているのか。たわごとを読み返したところで時間の無駄にしかなるまい。私も彼らに毒されてきたようだ。くだらん時間つぶしはここまでにしよう。……これで最後だ。この後の記録はない」

 そう言って、バルガスはパタリと手帳を閉じた。

「ロハス君、どうかね」


「あ、ああ」

 ロハスが気が付いたように帳簿をめくる。

「えーっと。朔の夜は……。収支記録はなし。いろいろな商品の品目が書いてあって、その横に値段が書いてあるな。言い値と付け値って書いてある。って、うわっ何だコレ、値切りすぎだろ。誰だよコイツ、原価同然で買おうとしてるじゃん。こんなんじゃこっちは丸損だよ。しかもどれだけ性格細かいの? 商品全部に難癖つけられてる。それに相手が出してきた売り物の言い値が完全にぼったくりだ。ひどいなコイツ。商人の風上にも置けない。こんなの取引じゃないよ」

 ぶつぶつ文句を言っている。


「いや、それは別にいいよ」

 オウルはウンザリして言う。それからその記録がバルガスの手帳にあった『ロハスの取引が難航していた』という話と符牒が合うことに気が付く。

「で、翌日はどうだ」

 たずねると。

「んー、別に何もないな。街を出たみたいだね。夜に、その日に食べた食料と水、酒なんかの記録があるだけで。宿代は前払いしていたし辻褄は合う……って、ちょっと待って!」

 ロハスは急に大声を上げた。

「オレ、街で水や食料の調達もしないで出発しちゃったわけ? 取引も何もしないで? 前の日あれだけ値段のことで熱戦したのに、結局何ひとつ買わず売らずで出て来ちゃったわけ?」

 ありえない。ロハスはそう、呆然と呟く。


「さて。そろそろ話をまとめる頃合のようだが」

 バルガスがいつもの皮肉っぽい口調で言う。

「まとめるも何もないだろ」

 オウルはぶっきらぼうに言った。

「朔の日に何かがあった。それ以上、明らかにすることは何もねえよ」


「確かに。我々の記憶は明らかに、朔の晩とその後とで断絶がある。この夜に何かがあったことは疑いの余地はあるまい」

 バルガスがうなずく。

「ソエルを出てから朔の日までの記録は連続しており、筋道も通っている。だが朔の翌日、唐突に私は自分が何のために記録を付けていたのか忘れ果て、ロハス君は商人なら当然やるべき務めを何ひとつ果たさず街を出ている」


「他にも細かい齟齬があったな」

 オウルは腕を組んで考えた。

「宿屋の主は男で、女房と子供がいるって話だったよな? それが途中から『女主人』に変わってるし。前の日までは出発のことなんか誰も何も言っていなかったのに、朔の翌日には当たり前のように出発が前提になってる」

「まるで追い出されたみたいだね」

 ロハスもうなずいた。

「オレに商売をさせる前に……!」

 拳を握りしめるが。


 イヤ、それ違うだろ。そうオウルは、心の中でツッコんだ。


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