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兎人族のビオレッタ

「おい、あれってロゼッタ様?」

「うわぁ、昨日まで地味地味だったのに、どうしたんだろう?」

「髪がすごく綺麗ですね……。話しかけてもいいのかしら?」

「あれだろ、子息が話しかけると、『あいつ』に裏に呼ばれるんだろ?」

「今までの地味な格好って『あいつ』の好みのためって聞いたことあるよ」

「というより、今日のロゼッタ様、本当に綺麗……」

「あら、アイギス様が来ましたわよ。この時間は珍しいですわ。……お顔が引っかき傷だらけですわ」


 朝の教室、俺は緊張で吐きそうだった。


 いつもならセリアと教室で学園の大半の時間を過ごす。だが、セリアは――「あなたはいま動かないと一生後悔しますわ! ロゼッタさんのことは嫌いじゃないんでしょ!」と言われ叩き出された。


 ロゼッタのことは嫌いじゃない。ああ、そうだ、ちゃんと婚約者としての愛着というものを持っている。


 でも、俺は貴族だ。愛なんて知らない、愛が無くても結婚しろと言われた。

 

 父上と母上を見て、家族に愛なんてないということは知っている。


 愛がないなんて普通だと思っていた。

 それに、結婚したら、どうせ仕事でロゼッタに構ってやれなくなる、今のうちにそれに慣れされておく必要がある。


 伯爵婦人は子供を生んで、旦那の身の回りの世話をして――っとセリアに言ったら顔を引っかかれて、猫上級魔術で殺されそうになった……。


 解せん……。


 とにかく、ロゼッタに謝ろう。どれが理由かわからないけど、『とりあえず』謝ろう。謝ればどうにかなる。

 そう思って、俺はセリアが用意した花束を……こんな花束なんてもらっても嬉しいのか? ただの花じゃないか。やっぱり龍の木彫りの方が――


 教室の扉を開けて、視線を彷徨わせる――

 ロゼッタの席には知らない人がいた。俺は少しムカッとした。俺の婚約者の席に座るなんていい度胸だ。

 九尾の守護者のトップであるこの俺が――


「――っ!?!?!?!?」


 声が出なかった。とんでもなく美しい女性がいた。俺はその人を知っている。本当は綺麗だから、他の子息どもが騒ぎ立てないように地味な格好をしてくれ、と子供の頃に『お願い』をした。


 美しい姿に戻ってしまったロゼッタが席に座っていた。

 俺はロゼッタを見て固まっていた。


 自分の心臓の音だけが聞こえる――


 熱い、胸が熱い。なんだ、この湧き上がる気持ちは? 


「……いや、きっと気の所為だ。……ごほんっ、今日はその」


「授業のノートなら机の上にあります」


「いや、違う」


「……お弁当は後で教室に侍女が届けます」


「それは少し怠惰ではないか……いや、あとで受け取ろう。そんなことより、今日はロゼッタに話がある」


 俺は震える声で、ロゼッタに伝えようとした。


「ロゼッタ、き、昨日は誕生日なのに会えなくてすまなかった。この花束を受け取ってくれ」


 ロゼッタは何も言わずに花束を受け取ってくれた。

 俺は心底ほっとした。これで今まで通りだ。……うん、セリアの言ってた通りだ。いくら親しい身内でも謝るのは大事なんだ。本当に何が悪かったかよく分かっていないが。


 きっとロゼッタも笑って――えっ?


 ロゼッタの目が灰色に見えた。そこには何も感情がなかった。まるで、俺を認識していないかのような瞳だった。


「ありがとうございますアイギス様。……お花には罪がないですわ。……誰か、これを教室に飾ってくださいな」


 平坦な声色、俺はどんな恫喝よりもそれが怖いと感じた。

 嫌な汗が背中に流れる。これは、俺が強敵に襲われそうになった時と同じ気配だ。


「ロ、ロゼッタ、昨日の会えなかった埋め合わせで、今夜レストランに行かないか?」


 ロゼッタの乾いた笑い声が聞こえてきた。目が笑っていない。



「……あらあらあらあら、申し訳ございません。今日は用事がありますわ」


「な、なら明日は!」


 ロゼッタがため息を吐く。それだけで俺は膝を突きそうなほどのダメージを受ける。


「はぁ、明日も用事がございますわ。――あの、話が終わりでしたらどうぞお帰りください」



 ロゼッタは怒っていない、怒鳴っていない、冷たくもない、ただ、ただ、平坦でなんの感情も籠っていない言葉で俺に言い放った。


 なんでもないその言葉が俺に胸に深く深く刺さる――


 俺はこの時、セリアが言っていた言葉を全て受け取る事ができた。


 俺は何か間違えたんだ。


 どうしていいかわからず、クラスメイトがいる教室を走って出ていった。


 なんだか、ひどく悲しい気持ちになり――俺はよくわからない気持ちがこみ上げてきた。悲しいのに、ロゼッタの姿を見ると、なぜか心臓が跳ね上がるんだ。胸が痛いんだ。


 ……もしかして、俺は……今まで、間違えていたのではないか? ロゼッタを傷つけていたのではないか? 


 その事実に気がついた俺は……後悔という感情だけが胸に残り、何が悪いかわからないどうしようも無さが混ざり合って、子供みたいに泣いてしまった……。

 


 

 ***




 こんなに穏やかな気持ちで学園に来れたのは初めてだと思う。

 私は昨夜両親と話し合った。議題は私の婚約を白紙に戻す、ということ。


 こちらは下位の貴族、こちらから婚約破棄を伝えようとすると、あの刹那家が激怒するだろう。両親は刹那家の強さを知っている。


 九尾の妖狐族。強い力を持っている一族で、帝都には多数の分家も存在している。そんな家柄と対立するのは得策ではない。


 一夜では話し合いが終わらなかった……。私には味方が必要だと思った。






「――ええ、話はわかりましたわ、ロゼッタさん」


 放課後、帝都のカフェで刹那家のビオレッタ伯爵夫人と待ち合わせをした。今後の相談をしたかったからだ。


 ビオレッタ伯爵夫人は私の話を聞き終えて、ふんわりとした笑みでカフェラテを楽しんでいた。


「私、実はね、このお店のオーナーなのよ。……ここだけじゃない、あそこのチェーン店も、あっちのショッピングセンターも。……貴族ってお金がかかるでしょ? 今の時代、領地運営なんてしないし、ただの名誉職みたいなものだし。お金はこの世界で力となるわ」


 貴族が領地を治めていたのは随分と昔の話だ。今は、国の中枢が上級役人を派遣して各地を治めている。

 貴族は爵位により、それぞれの重要な役割があり、国を支えている頭脳のようなもの。


「あの……、ビオレッタ様、もしかして……」


 私は一つの可能性を見出していた。なぜなら、私が初めビオレッタ様と出会った時、今の自分を見ているようであった。


 ということは――


「ええ、近い内、離婚しますわ。……時代遅れのあの人はもう駄目、わたくしが引導を渡します」


「そうですか……、なら、私もアイギス様と婚約破棄できるんですね」


 ビオレッタ様が少し悲痛な表情でカフェラテを口に付けた。


「……ロゼッタさん、私は可能な限りアイギスを修正しようとしたわ。でも、あの家では無理だったのよ。……もしも、あの子が違う環境で、違う生活をしていたら――あるいは、違う家の子だったとしたら――私、思うの。あなたにとって最高の旦那になるんじゃないかって」


「え? 絶対に嫌ですわ」


 私が即答するとビオレッタ様は苦笑した。


「……まあそうよね、今までが今までだったし。……ねえロゼッタさん、私は約束するわ。あなたがアイギスとの婚約破棄を半年、いえ、三か月待ってくれたら、私はあなたの人生を全力で支援するわ」


 ビオレッタ様が刹那家をどうにかする。本当か嘘かわからないけど、私の狸の直感では本当だと告げている。ビオレッタ様のオーラは尋常の貴族ではなかった。

 きっと私はちゃんと婚約破棄もできるんだろう。


「あなたの妹さんたちの婚約者も素敵な人を探しておくわ。乙葉家の方には私から言っておくわ。もちろん、三か月経って、アイギスが駄目だったら婚約破棄してもいいから。もちろん、並行してあなたにピッタリの素敵な人も探しておくわ」


 三か月……、その期間、我慢したら妹たちが幸せになれる可能性が上がる。

 すごく嫌だけど、それなら――


「わかりました」


「ええ、契約成立ね。ちゃんと契約書は書くから安心してね。じゃあ、色々終わらせてくるわ――」




 ***



「ロゼットとは婚約者じゃない? 仮婚約者? 龍人族の公爵家カムイ様? 鬼人族の辺境伯子息エリオット様?」


 俺の目の前には、鬼の形相をしている母上と、目が血走っているセリアがいた。今朝から親父の姿が見えない。屋敷の様子もおかしい。これは一体――


「ええ、あなたは生まれ変わる必要があるわ。とりあえず、ここに座りなさい……。石の上だから膝が痛い? そんなのロゼッタの苦しみに比べたらどうでもいいでしょ? 学園? そんなもの今日は行く必要ないわ。あなたに自分の愚かさわからせるために」



 俺は自分の浅はかさを知った。地獄というものは身近に存在するものだと――





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