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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第十章 対決

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95 蛇のように冷たく、蜜のように甘ったるい(前)

 その時だった。ダイニングテーブルの上に置きっぱなしになっていた父のスマホが、びりびりと音を立てた。医院にいたときのまま、マナーモードにしてあったらしい。テーブルの天板にバイブレーションが共鳴したせいで、着信音を鳴らしたときよりもむしろ耳障りで大きな音だった。


 母が急いで取りに行き、スマホを父に渡した。父は画面を見て顔をしかめた。


「噂をすれば、です。夕方の人」


 ツクモと島木さんにも緊張が走った。


「出て、スピーカーで通話してください。私と築井さんはいないふりで。夕方に、一度は断ったんですよね? では、もう一度断ってみてください。出方を見ましょう」


 早口で促す島木さんの言葉に父はうろたえた。


「いいんですが、スマホの操作が」


 機械が苦手な父は、スピーカーで通話する操作が分からないのだろう。わたしは急いで横から助け船を出した。


「わたしがやるから、合図したら普通に電話しているつもりでしゃべって」


 通話ボタンをタップし、すかさずスピーカーマークをタップすると、父に手で合図した。


「もしもし」


 父がやや固い声で話しかけると、電話の向こうから、耳に覚えのある快活な声がした。


『どうも、先ほどはお忙しいところにお電話して失礼しました』


 ツクモは苦い顔で誰にともなくうなずいた。金山さんだ。


「夕方お電話くださった方ですね。あの時は出先でざわざわしていたもので、失礼しました。もう一度、お名前を伺えますか?」


『M大学大学院理学研究科の鴻巣研究室に所属しています、金山と申します。今はお話ししてもよろしいですか?』


 ついに言った。二度会っただけのわたしにも、金山さんの声がはっきりわかった。


「構いませんが、調査のご依頼でしたら、返答は変わりませんよ。先ほど申し上げた通り、けがをしてしまって、ご案内が難しいんです」


『お手間はとらせません。許可をいただくだけでいいんです。他の調査の兼ね合いもあるので、九月十五日、十六日に入らせていただきたいんですが』


 こちらが断っているのに、日付まで指定して強引に話を進めようとする。快活さの奥に、ゆがんだ苛立ちのような気配が感じられた。


「あいにく、その日でしたら、なおさらお受けできません。神社の祭りの日で、人手が足りないんです。ただでさえ一年で一番忙しい日なのに、今年は僕のけががあるものですから、家族や氏子さんにも相当負担をかけることになりそうなんですよ。この上、外部からの調査への対応は手が回りそうにありません。申し訳ないがお断りさせていただきたい」


 父もカチンときたのだろうが、極力穏やかに事情を話して、断ろうとした。


『そちらに手間はとらせないと言っているでしょう。ただ、許可を出すだけです』


「そういうわけにはいかないんですよ。うちの神社のある羽音木山には、神社にとって重要なご神域、禁足地となっている地域があります。そこに立ち入られては困る。宗教上の重要な問題です。それを尊重していただかないことには、山に入っていただくわけにはいきません。柵やしめ縄で囲っているわけではないので、よく知っているものを案内につける必要があるんです」


『そうですか。それは困りました』


 電話の声が、いちだんと冷たく低く下がった。


「祭りが終わって、ひと段落してから、もっと後ではダメなんですか。大学の学術調査なんですよね? 僕のけがはすぐには治らないかもしれませんが、後日きちんと調査の計画や目的を伺ったうえで、日程や他の関係を調整すれば、家の者なり、集落の人間なりを頼んでご案内することはできるかもしれません」


 わざわざ日付指定してきた金山さんの反応を探るためだろう、父はさりげなく提案した。


『そこは、その日付でお願いしたいんですがねえ』


「では、ご協力はいたしかねます」


 父が毅然というと、電話の声は酷薄な調子で薄く笑った。


『いいんですか。そちらも、困ったことになると思いますが』


 来た。これが、本来の狙いだ。


「どういうことですか」


 父の声は緊張と怪訝がまざったトーンだった。芝居をしているのか、素なのか。対人面では妙に繊細なところがある父なので、本当に極限近くまで緊張しているのかもしれない。


『この調査はこちらにとっても、とても重要なものだとご理解いただきたい。ご協力いただいたら、大変感謝します。それに、そちらにとっても、けっして悪い話ではないんです。今、なにかと御厄介に見舞われているのではないですか。お気づきだといいんですが』


「厄介ですか。いったい何のことを?」


『足元に火がついたような状況なんですよ。そうですね、どこからお話ししましょうか。あなたは、ご自分が神社で売っているお守りがとんでもないものだとはご存じないんですか?』


 蛇が舌なめずりするような、冷たく値踏みするようなな声音だった。


「お言葉ですが、うちは神社ですから、お守りは売るものではありません。神様からお預かりして、お守りを受けたいと希望された方にお授けするものです。お代も、神様へのご奉仕のためにお預かりするものなんです」


『そんなことはどうでもいい』


 いらだちが電話の向こうの声ににじんだ。父は、基本的には冷静で温厚な人間なのだが、いくつか、こだわりの強いポイントがある。お守り問答はその一つで、いつもここに引っ掛かって、神社のことをよく知らない人と言い合いになるのだ。わたしは内心、はらはらした。何も今、そのこだわりを発動しなくてもいいのに。


『お守りの香袋のことです。その中身は、羽音木山でとれる植物を干して作られていると聞いていますが、間違いありませんか?』


「はい。おっしゃる通りです」


『失礼ですが、成分をきちんと確かめたことはおありですか?』


 島木さんの手が素早く動いた。手帳に書いたメモ書きを父に見せる。


<していない、と。知らないふりで>


 父は緊張した様子で答えた。


「いいえ。昔ながらのものですから。今まで何の問題にもなったことはありませんが」


『今後はそうはいかないと思いますよ。僕はとある筋からそのお守りを入手して、成分分析をしたので、こうしてお話ししているんです。そのお守りに使われている植物には、ある種のアルカロイドが含まれています』


「はあ」


 不得要領な父の応答に、電話の声は噛んで含めるように説明した。


『アルカロイドと言っても種類がありましてね。カフェインのように多くの人がごく日常的に接するものもありますが、中には、コカの葉に含まれるコカインであるとか、チョウセンアサガオに含まれるアトロピンであるとか、使いようによっては麻薬、あるいは人を死なせるほどの劇薬になりうるものもあるんです。ところが、こちらのお守りに含まれるアルカロイドにはどうも未知の植物が関わっているようだ。この植物の存在が僕としてはとても気になるのです』


「はあ。でも、お守りですよ。袋に入れたまま持っているだけのもので、口に入れたりするわけではありません。それに、積極的に宣伝はしていないので、ほとんど常連さんにお授けするだけなんです。お授けした記録も取っていますし、個数も限られているので、悪用されるなんて考えにくいのですが」


『そんな悠長なことを言っていていいのですか。悪意を持った人間にこのことを利用されたら、そちらの神社など、一瞬で吹き飛んでしまいますよ』


 それこそ悪意を持った人間特有の、蜜のように甘ったるい口調で彼は言った。


「利用?」


『この、特有の成分を持っている未知の植物のことが世間に知られたら、興味本位や批判したいだけの有象無象が羽音木山に押しかけて、大変な騒動になりかねませんよ。そういうことになる前に、きちんと対策をとるべきだとは思われませんか』


「どういったご提案なんですか」


『困ったことになる前に、問題を丸ごと、うちに任せていただきたいんですよ。そうしたトラブルを回避するノウハウはある。そちらには手に負えないでしょうから。山林ごと、売却という形でも構わない。その地域の標準的な地価に多少は色をつけてご提案できますよ』


「無茶を言わないでください。うちは小さいですが、先祖代々この地で続けてきた神社なんです。それこそ、調査もしないうちから、電話ひとつで右から左に売却なんて言われても。そもそも、あなたがたのメリットは何なんですか」


『新種、未記載種の研究には、いつでも、先鞭をつける学術的な名誉やメリットがあるものです。その上、こちらは、製薬関係の企業ともパイプがありますから、こうした新種の中から実用化が見込める研究成果が上がれば、山の一つや二つ、大した投資でもないんです』


 父は眉をひそめて、島木さんとツクモを見た。

 とんでもなく大きく出てきた。山ごと売れ、なんて提案、呑めるわけがない。


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― 新着の感想 ―
[一言] お父さんはいい人だけど、相手がずる賢いと対抗するのは難しいですね。
[一言] 痛い所ついてきますねぇ。 だけどその有象無象への情報の主な発信源はおみゃーだろ。 下手すると屍鬼のラストみたいな業火エンドになったり……せんよなぁ?(゜Д゜;)
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