93 電話の男
「実は今日、病院にいるときに、電話があったんです。御祈祷やらなんやらで神社を空けることも多いので、連絡先として固定電話と携帯電話の両方を公開しているんですが、その携帯の番号のほうに」
父は渋面で言った。
数年前、集落からIT系の専門学校に進学したお姉さんに頼み込んで、格安のバイト代で作ってもらったごくシンプルなWEBサイトがあるのだ。御祈祷、地鎮祭などのご相談はこちら、と、父はメールアドレスと電話番号を二つ、掲載してもらっていた。
「愛想のよさそうな若い男の人の声で、自然調査に協力してくれる山林を探していると。ちょうど大きなけがをしてしまったので協力は難しいと思うし、病院なので込み入った話はできない、と言って切ろうとしたら、切り際に、また連絡すると。その時にはちょっと厚かましい感じの人だな、くらいにしか思っていなかったんですが」
「相手は名乗りましたか」
緊張した面持ちで、ツクモは尋ねた。
「大学生、いや、大学院生かな。東京のM大学大学院理学研究科と。M大学ってあれですよねえ。国立T大学を最近偏差値で抜いたと噂のすごいところ」
ツクモと飯田さんと、金山さんの母校である。
「なんて言ったかな。漢字がすぐに想像できない感じの研究室。ハチの巣、じゃなかったと思うんですがそんな感じの」
「鴻巣研究室ですか」
「ああ、それ! コウノスね。そう。地名でもどこかありましたっけね。コウノトリの巣ですかね」
「金山だ」
「え? 金山さん?」
ツクモはぎゅっと目をつぶって、数度首を横に振った。それから意を決したように、その名を口に出して問いかけた。
「カナヤマリョウキと名乗りませんでしたか」
「いや、院生さんのお名前は聞かなかったんです。でも、カナヤマ? ちょっと待ってください。なんか引っ掛かる」
父は怪訝そうな顔で腕を組んで首をひねった。
「ツクモ。これって、犯人は金山さんなの?」
「今回の一件で、金山が噛んでいるのを否定する証拠を探す方が難しくなってきている。決定的な証拠もつかめてはいないんだけど。でも、鴻巣先生の名前を出すなんて他には考えられない」
「でも、金山さんは、チャリティー・ガラでわたしのジャケットに神社への脅迫状を入れることは不可能だって、ツクモが言ったんだよ」
「金山がふみちゃんをもっと前から知っていたら可能だ」
「でも、知り合いじゃないってば」
「うん。だから、違うと思いたかったんだけど。オレも、十二のころから知ってるやつがここまでするとは思いたくなかったんだけど」
「郁子」
父が腕組みをほどいた。
「和室から、じいちゃんの書付けが入った手文庫を持ってきてくれないか」
「おじいちゃんの? なんで今」
「その名前に、聞き覚えがある。じいちゃんの日記にあったはずなんだ」
「いやいやいや。金山さん、ツクモと同い年だよ。おじいちゃんが死んだころって、生まれたかどうかくらいでしょ」
「いいから。父さん動けないから。頼む」
父はこういう時には頑固で、言い出したら引かないし、それ以上の説明もしようとはしない。わたしは首をひねりながらも和室に行き、漆塗りの重い木箱を持って戻った。
父はそれを開けさせて、中を手で探った。
中に入っていたらしい、散虫香の、すっとする柑橘と薄荷の香りがあたりに漂う。この家では、長期保存が必要な物には散虫香がつきものなのだ。
「たしか、父が亡くなる前の年の日記です。父は晩年、僕が読むことを想定して日記を書いていました。主に、行事について、氏子さんについて、税金やなんかの手続きについてです。僕が逃げ回って話を聞こうとしなかったから、日々書き留めることで、何かあっても困らないように、というつもりだったようです。その中で印象に残っていたんですが、カナヤマと名乗る青年から、山の調査を依頼されて、断ったという記述があるんです。今後も彼の依頼は受けるなと、念を押して書いてありました」
「なんで、彼の依頼は、なの? ご神域がだめなら、そこはみんなだめなんだから、わざわざその人を名指しする必要ないじゃん。今回のツクモの調査みたいに、ご神域じゃないところならいいですよっていう回答だってあり得るはずだし」
「そんな文句、父さんに言われてもわからんよ。じいちゃんの日記なんだから」
祖父の日記は、ごく普通の大学ノートにつけられていた。表紙に、使い始めた日付と書き終わった日付だけがマジックで大書され、中には父でも判読に苦労するという金釘流のボールペン字がぎっしり並んでいる。
「ここです」
父は該当するページを見つけたようで、ツクモと島木さんに向けて、開いた日記帳を差し出した。
「ちょっと読みにくいですが」
『九月十六日
祭り、二日目、無事、了。
カナヤマリョウセイと名乗る青年より、再度、調査依頼あり。断る。彼の依頼を聞いてはならない。
九月十七日
祭事はすべて終わった。明日、仮社の撤収確認、関係各所へのお礼と報告。
九月十八日
昨夜、交通事故で亡くなったのが、例のカナヤマリョウセイ氏だったと聞いた。少々ぶしつけなところがあったとはいえ、まだ若い方だったのに、気の毒だ。量吉さんが祟りをしきりに気にして、気を病んでいる。定期的に様子を見にいく必要あり』
「交通事故? これって、ご神域の祟りだって量吉おじいちゃんが気にしていたやつかなあ?」
「どういうこと、ふみちゃん?」
ツクモに尋ねられて、わたしはご神域に近づいたため、祟りで交通事故が起こったらしい、という、医院で聞いたうわさ話を披露した。
「量吉さんはすごく怖がっていたって」
島木さんは、わたしが話している間に、持ってきたノートパソコンで何事か調べていたが、見つけたようで、画面をこちらに向けた。
「この事故ですかね」
複数の新聞社が過去に配信した記事を横断検索できる有料アーカイブだ。
島木さんが検索して見つけ出した記事は、二十五年前の九月十九日、地方紙のL新聞のものだった。
『県道一七四号で単独事故 乗用車の男性死亡
十七日午後二十時すぎ、L県M町〇〇の県道一七四号で、上り方向に走っていた乗用車がカーブで路肩に衝突、炎上する事故があった。この事故で乗用車に乗っていた東京都の会社役員・金山令正さん(三十八)が死亡。警察は金山さんが何らかの原因でハンドル操作を誤ったとみて捜査している』
「島木さん、これ、あいつの親父さん?」
ツクモの表情がこわばった。
「そうです。私はこの時まだ、ツクボウには入社していませんでしたが、お名前と、亡くなった時の状況は、他の仕事の都合で聞いたことがありました」
島木さんはうなずいた。
「金山さんのお父さんが、この近くで事故に遭ったの? 二十五年前って、ちょうど金山さんが生まれる前後の話だよね?」
「そういうことになる。あいつは冬生まれだから、生まれる三か月くらい前なのかな。でも、リョウキは、お父さんが亡くなってからずいぶん経って、引き取られたんだ。この時は、金山家はリョウキの存在を知らなかったはずだ。リョウセイさんは知ってたかもしれないけど」
「そして、そのリョウセイさんは、うちのおじいちゃんに羽音木山の調査を依頼して、おじいちゃんはそれを嫌がってた。ところが、リョウセイさんは祭りの日の夜、事故にあって亡くなってしまった。量吉さんは、リョウセイさんが祟りにあったと怯えていた……」
これまで知らなかった情報が洪水のように一気に明らかになってきて、思考がパンクしかける。だが、その中で、わたしの記憶に引っ掛かるものがあった。














