表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第五章 調査ふたたび

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/129

44 宮森家の墓所

 昼食はわたしの提案で、家に戻ってそうめんをゆでた。山中で戻るのに時間がかかるとかならともかく、すぐに行って戻れるなら、一番日の高い時間、クーラーのきいたところで一時間くらい休憩したって悪くないと思う。ツクモも、暑すぎる時間は昆虫の活性が低く調査の効率が良くないので、休憩は少し長くていい、と了承してくれた。母は病院の日勤の日だったので、父の分と三人分の支度だ。


 昼食の席で、めんつゆに薬味をほうりこみながら、父が言った。


「家を出る前に、母さんが言ってたんだが。築井君と郁子に伝言だって。母さんの病院の院長先生、代々、羽音木ここの家柄だろう。先代の院長先生が郷土史のアマチュア研究家で、医院に代々伝わっていた過去の日記や診察記録の研究をしたり、地域とのかかわりがわかる史料も集めてたんだそうだ。母さんが休憩時間の世間話ついでに、築井君の調査の話をしたら、興味があるんじゃないかって、仕事の合間に探しておいてくれるって院長先生が言ってたらしいよ。またそのうち、連絡してみてごらん」


 わたしとツクモは思わず顔を見合わせた。


 さっきは、ツクモの調査を気にする人なんて、そんなにいるものか、というのが二人の共通の認識だった。でも、意外に、こういう情報は早いスピードで広がっていくものなんだ。病院でももう、調査のことが話題になっているなんて思っていなかった。


 父が怪訝そうに首をかしげる。ツクモがにこやかにフォローした。父が心配しすぎるといけないので、脅迫の件はもう少し事情がわかってから必要に応じて話せばいい、とわたしが止めていたのだ。


「ありがとうございます。こうやって、地元の方の協力が色々得られるのはなかなかないんです。すごく助かります。宮森家が地元で長年信頼されているからですね」


「僕は遊びほうけていた後継ぎですからね、信頼どころか、どやされてばっかりなんですが。妻は看護師として皆さんにかわいがっていただいているようですね」


 父はツクモを相手に、しれっとのろけている。飯田さんも奥さんのことをずいぶん自慢していたけれど、こちらも、自慢の奥さんなのだ。


「うちの古文書のほうは、この前出して置いた分で、多少何かわかりましたかな。僕も色々、勉強をしないといけないなあ。郁子に教えてもらわないと」


「えー。じゃあ、それは神社のバイトにしてよね」


「不肖の跡取りだな、郁子も」


 わたしが軽口をたたくと、父は不満そうに口角を下げた。自分だって、修行はろくにしてなかったくせに。わたしがそこそこ神社のことを手伝っているのをもう少し評価していただきたい。


「まだ継ぐって決めたわけじゃないからね。手伝いはするけど」


「ご先祖様が泣いてるぞ。今日は、茶園のあたりをやってたんだろう。草葉の陰から見てたぞー」


「どういうことですか?」


 今度はツクモが首をかしげる番だった。


「茶園の横に、代々の神主と家族の墓所があるんです。山の奥のほうは神聖な場所なので、死の穢れは持ち込まないということで、そこに。いつ頃建てられたものかはわかりませんが、代々の神主の名前が刻まれた石碑もありますよ。石を建てたときに、箔をつける意味もあってある程度は過去に遡って名前を書いたでしょうがね。簡単に、小屋掛けもしているんです」


「へえ。午後の調査の時、見にいってもいいですか?」


「もちろん。郷土史家の先生なんか、たまに拓本を採りにきますな。あの辺は、常識的に田畑や墓所を荒らさなければ、誰が入っても構いませんから」


「石碑の拓本か。去年、道具まで買わされて実習でやったよ。あんなところのも取りに来る人いるんだね」


 わたしが言うと、ツクモは軽く手をたたいた。


「すごい、ふみちゃん。道具、まだある?」


「拓本の? あるよ」


 一生のうちにあと何度、石碑の拓本をとりたいと思うかわからないのに、道具一式は買わされてしまったのだ。由奈ちゃんと、絶対、教授が道具屋さんと癒着してるんだ、なんて冗談を言って笑ったくらいだ。


「せっかくだから、採っておきたい。やってもらえる?」


 こんなところで役に立つとは思わなかった。わたしは二つ返事で引き受けると、皿洗いを父に任せて、自分の部屋に道具を取りに戻った。



   ◇


 宮森家の墓所は、茶園の草刈り場の横にある。簡単な屋根と三方だけの壁で囲った中に、石碑が二つと、骨壺を納める石組があるだけの、簡素なものである。


「結構風化してるね。きれいに採れるかなあ」


 わたしは石碑の裏側に回り込むと、石の表面を観察して腕組みした。わたしにとっては、年に何度か墓参りに来る、ただの『じいちゃんとばあちゃんのお墓』だったのだが、改めて見ると、確かに、大きなほうの石碑の裏側には幾つもの名前が刻んであった。墓に死者が入るたびに彫り足しているらしく、一番端にある祖父の名前はまだくっきり彫りこまれているが、先頭のほうの名前はうっすらとして、消えかかっているように見えた。


「こっちの大きいほうが、神主さんの墓なんだね。隣の小さい方が家族の分か。家族のほうは、名前を入れるとかないんだね」


 ツクモも観察して言った。確かに、そちらには字の彫りこまれた跡がない。


「人数は当然家族のほうが多いはずだから、キリがないというのもあるかもね。昔のことだから、当主とそれ以外では扱いも違ったのかも」


「うん、その感覚があるのはわかる。今でも、ちょっとはそういう気配を感じる」


 ツクモも腕を組んでうなずいた。そういえばツクモも、この辺を治めていた築井氏の、次期当主の弟ということになるわけだ。世が世なら、藩主様のせがれというやつだ。


「とはいえ、時代が違うから、それがいいか悪いか、今の感覚では語れないよね」


 わたしが言うと、ツクモもうなずいた。


「今のオレの感覚で言うと、長男だったら親父やじいさんとだけ一緒のお墓になるっていうのは、ピンとこないな。うちの、築井の本家のは今でもそうなんだけどね。ここみたいに、当主と家族が別なんだ。でも、分家した人が亡くなったら、お墓は新しく自分の家で建てて、その当主も奥さんもそこに入っている。まあ、死んじゃった後のことなんだから、違和感を感じてるのは残された方の人だけで、死んだ本人は案外、お墓がどうでも気にしてないのかもしれないけどね」


 まあ、そう言われればそうなのかも。よっぽどの恨みや気がかりがない限り、死者の魂は仏教だったら浄土に行くし、神道だったら自然にかえる。よっぽどの恨みや気がかりがある人は、墓の形式的な問題以前のことを気にしているだろうし。


 わたしは拓本用の和紙を取り出すと、彫りこまれた文字を覆うように広げた。テープで仮止めしてから、霧吹きで水を吹き付けていく。乾いたタオルで押さえて、紙を密着させた。


「こんな風に採るんだね」


 ツクモは興味津々でわたしの手元に注目している。実習で一、二度やっただけなので、そんなに観察されると緊張してしまう。


 それでも、布でできたテルテル坊主のような、タンポという道具で薄くむらなく墨をつけていくと、紙の表面に字が浮き上がってきた。


 代々の神主の名前なので、最近の人は宮森姓だ。だが、何世代か遡ると、古文書にあったとおり、「宮守」の表記で彫られていた。明治より前になると、苗字というより、役職としての認識が強かったということなのだろうか。農村だったこの辺りは都市部と比べても識字率はよほど低かっただろうし、戸籍が制度として厳密にあったわけでもない時代なので、漢字でどう書くかは、名乗る人次第な面もあったかもしれない。


 その名前は、和紙に慎重に墨をのせていく中で、不意にわたしの目に飛び込んできた。


「ツクモ。見て。これ。この人だけ、表記が違う」


『御谷守 千香』


 これも、みやもり、だろうか。


 この表記をされている名前は、このひとりだけだった。ただ、その一代前の部分が、空白になっている。


 今から数えて、十四代か十五代前。

 三百年くらい前だろうか。


「ふみちゃん、これって、あの人かな。古文書にあった、『ちか』さん」


「ああ!」


 山中で発見され、神職を継いだ身元不明の少女だ。

 年代も合う。享保年間ではないか、という話。享保は八代将軍徳川吉宗の治世、千七百年代前半だ。


「じゃあ、この人の前は、(よし)さんのはずだけど」


 わたしは言いながら慎重に作業を進めた。その名前はなかった。空白の前の代は男性の名前だ。


「ないね。どういうことなんだろう。この表記も不思議だ。今より、苗字や名前の表記を統一することには重きを置いていなかったはずだけど。でも、わざわざ、谷を守るという表記をするのは、何かの意味があったのかな」


 ツクモも、思案顔に顎のあたりを親指で撫でた。


「わかんないことだらけだね、こっちも。うちのご先祖も謎だらけか」


 軽い口調で言いはしたものの、手は止めなかった。一度始めた作業は、慎重かつ手早く終わらせないと、紙が乾いてずれてきてしまうのだ。わたしは残りの作業を進めて、拓本を取り終えた。


「少なくとも、神社の文書にあった、『ちか』さんが実在したらしいことはわかったわけだ。しかも、少し特殊な位置付けで」


 そんなわたしの手つきをじっと見ながら、ツクモは半分独り言のようにゆっくりと言う。口とは裏腹に頭の中で高速で何かを処理しているらしい様子が、どことはない気配で感じられた。色々入力したあとのパソコンが、一瞬挙動が遅くなって、ランプだけが高速で瞬いているときのことをふと連想した。


「ツクモ、前向きじゃん」


「後のことは、もう少し、文書の調査を進めないとわからないな。今日のところは、草地の昆虫の予備調査が優先」


 ツクモは、ほどなく乾いた和紙を、わたしが道具と一緒に持ってきた古新聞に挟んでしわにならないようにたたんだ。当面、情報処理が追い付いたらしく、その様子はいつも通りに戻っていた。


「あのフキバッタ、同じのがいるなら、もう何頭か揃えたいな。種の同定が確実になるから。できれば、雌雄ペアで」


「えー、まだ捕るの……」


 げんなりした声をあげたわたしの様子を意にも介さず、ツクモは採集用具を置いていた草地に向かって歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


色々なジャンルの作品を書いています。
よろしかったら、他の作品もお手に取ってみてください!
ヘッダ
新着順 総合評価順 レビュー順 ブクマ順 異世界 現実 長編 短編
フッタ

― 新着の感想 ―
[一言] まぁ卑弥呼の後継者も壱与だったり台与だったりしますしねぇ。 昔の人の名前表記はいろいろと複雑。 そこに何らかの意図があるんじゃないかと勘繰ってしまう。 ふみちゃんちは果たして……?
[一言] ふみちゃんのご先祖も複雑な歴史を経てきているのでしょうか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ