34 カフェテリアにて(後)
わたしもさすがにカチンときて、口を開こうとした。と、ふいに、机の下で、つま先にこつんと当たるものがあった。ツクモの靴だ。
合図だ。とりあえず黙れということか。
むっとしながらも口を引き結ぶと、ツクモはわたしのほうを一瞬ちらっと見てうなずいてから、立ち上がった。わたしと失礼な青年の間に身体を割り込ませるようにして、彼と向かい合う姿勢になる。
「金山、申し訳ないがオレは今、研究協力者の方と重要な打ち合わせをしているところだ。遠慮してくれないか。研究の話はまた日を改めて、お互いに時間に余裕があるときにしよう」
「せっかくだから、旧交を温めたかったんだがなあ。君は社交の場にもなかなか出てこないし」
「そういう場は全く得意ではないので、失礼することが多いからね」
「変わらないね。中学高校の時から、そこらの愚民どもとは自分は違うという態度だ。ねえ、そこの少年。この人がちょっと失礼な態度だったとしても怒らないでやってくださいね。変わり者なんです、昔から」
「それともう一つ」
ツクモの声がもう一段冷ややかになった。まだ下の温度があったのか、と驚いてしまう。
「君がさきほどから大変な勘違いをしているようだから、訂正させていただくけれど、こちらは、尊敬すべきお父上のお言葉添えもあって、オレの研究に協力してくださっているお嬢さんだ。今日はオレがこうしてお預かりしてお話をうかがっているが、こんな失礼を許したとあってはご両親に顔向けできない。勝手な思い込みで少年だの底辺高校だのと、とんでもなく失礼な発言に関しては取り消して謝罪してもらいたい」
「へっ?!」
ここまで一方的に嫌味の絨毯爆撃をしていたはずの青年は虚を突かれた様子になった。
あれ。嫌味で男子扱いしているのかと思ったら、本当に男子だと思っていたらしい。わたしは彼に背を向けて座っているので、基本的には斜め後ろのほうからしか見てはいないとはいえ……よけい腹立つ。
ツクモはわたしのほうをちらっと振り返った。
「名乗らなくていいからね、こんな失礼な奴に。オレも紹介する気はないから。すぐ終わるから、少しだけ待ってて」
要するに、声を出すな、介入するな、ということだ。わたしとしても言い返したいことは山ほどあったのだけれど、これはどうやらツクモのケンカだ。わたしが横から買うべきではないらしい。とりあえず背筋を伸ばして、あえて真正面に顔を向けて――つまり、二人からは顔を少し背けて、うなずいた。ここはツクモに任せる。わたしは関わらない。
だが、青年の嫌味は止まらなかった。
「なんだ、築井はこんなお嬢さんと知り合いになっていたのか。じゃあ、再来週のチャリティ・ガラにも顔を出せばいいのに。お母上が心配していたぞ、また文史朗さんは出る気がないらしいと言って気をもんでいらっしゃった」
「母にまで連絡を取ったのか。君もたいがい暇だな」
ツクモもそろそろ、嫌悪感をオブラートに包むつもりがなくなってきたようだった。
「エスコートするご令嬢がいないから出ないのだろうとお母上はおっしゃっていた。きちんとしたご家庭のお嬢さんなら、ちょうどいいじゃないか」
「出るか出ないかはオレが決めることだ。同伴者の心配まで君にしていただかなくて結構。本当に、帰ってくれないか」
「そういって、君は引きこもってばかりいるだろう。いや、いいんだ。僕はそちらのお嬢さんに大変な失礼を言ったようだし、君は今日はとても紹介してくれそうにないから、そういう場で改めてご紹介いただいて、非礼を詫びる機会がもう一度いただければ、と思ったまででね。まあ、君がそのお嬢さんを他の人の目に触れさせたくないと言うなら仕方がないさ。お母上のお眼鏡にかなわなければ、どうせ、君には何もできないんだからね。秘密にしたくもなるだろう。せっかくできた女性の知り合いだって、なにせそんな少年みたいな子じゃあね、お母上にだってがっかりされるのが関の山だ。どうせ田舎の子で、立ち居振る舞いだってしれている。こんなに隠したがるあたり、家柄のいい人ばかり招かれているお母上の集まりみたいな、ちゃんとした席に連れてこられない程度の子ってことだろう」
「言わせておけば何から何まで……! ふみちゃんに謝れ!」
先に堪忍袋の緒が切れたのはツクモのほうだった。青年の胸倉をわしづかみにする。
「じゃあ、いいじゃないか。謝るチャンスをくれよ。その子を再来週のガラに連れて来いよ」
青年はツクモの怒りなどどこ吹く風で、へらへらとおちゃらけた口調でツクモを挑発した。やっと嫌味が実を結んだといった、得意げな様子が気に障った。
「だから、研究協力者だって言ってるだろう。なんで巻き込もうとするんだ」
「そうでもしないと、君が出てこないからさ」
周囲の人たちが、さすがにちらちらとこちらを気にし始めていた。そりゃそうだ。中学校のクラブの部室じゃあるまいし、いい大人が普通、こんなところでいつまでも言い争いはしないだろう。
ツクモはわたしに介入してほしくなさそうだったけれど、もうそろそろ、止めたほうがいいだろうか。
わたしが腰を浮かしかけたとき、救世主が現れた。
「モンシロ! ここにいたのか!」
のんきな口調で、飯田さんが入り口から声を掛けてきたのだ。ほっとしてわたしは座り直した。
飯田さんは一瞬でトラブルを見て取ったのだろう。普通なら、そこそこの席数があるこんな食堂で、入り口から一番奥の席の人間を大声で呼んだりしない。あののんきな口調も多分フェイクだ。
我に返ったように、ツクモは青年の胸倉をつかんでいた手を離した。
その間に、飯田さんは大股でこちらに近寄ってきた。
「さっきの、結果出たぞ。研究室のほうでちゃんと話したいんだが」
そこまで完全に青年を無視して言ってから、飯田さんはようやく気が付いたように、片眉を上げて青年に目を向けた。
「おや、金山君。今日来る予定だとは知らなかったな。鴻巣先生はお変わりないかい?」
「ええ、お元気です」
「ぜひ、俺がよろしく言っていたと伝えてくれ。また今度の広島の学会ではご挨拶できると思うけれど。鴻巣ゼミなんだから、金山君の修論はリライトして、そのうち、どこかに投稿するんだろう? 全然うわさを聞かないけど。君がどんなのを書くのか、読むのを楽しみにしているから、アクセプトされたら教えてくれよ。それにしても、鴻巣先生は俺が在籍してた頃より、ずいぶん甘くなったんだな。D一なんて研究室で一番忙しくて、こんなところで油を売ってる場合じゃないと思っていたけれど」
これもよくわからないけれど、たぶん、飯田さんの威圧行動だ。金山と呼ばれた青年は、飯田さん相手にはやりにくそうだった。
青年は視線を周囲にさまよわせた。その目が、事態の成り行きが気になって身体ごと振り返っていたわたしの視線とぶつかった。初めてまともに目が合った。彼は怪訝そうにその目を細めたあと、わずかに大きく見開いた。なぜだろう。こんなふうにこの男ににらまれる覚えはない。しかも、最初は怪訝そうだったその表情に、隠す気のなさそうな嫌悪感がにじんだ。
だが、彼はわたしには直接何も言わず、きびすを返した。肩越しに捨てぜりふを言う。
「じゃあ、今日はお邪魔のようだから失礼しよう。築井もお嬢さんも、また、再来週。お母上には君がちゃんと同行者を見つけたと言っておくよ」
「おい、勝手な真似を!」
ツクモの制止も聞かず、青年はそそくさと立ち去った。歩きながらスマホを取り出して、誰かに電話をかけているようだった。
「あいつ、おふくろに電話かけやがった」
ツクモは疲れたように目をつぶると、もともと座っていた椅子にどさっと倒れ込むように座った。
「毎回何しに来るんだよ金山は」
飯田さんも苛立った口調だ。もう完全に置いてきぼりの私は、首をかしげるしかない。
そんなわたしの様子に、先に気が付いたのは飯田さんのほうだった。
「モンシロ。とりあえず、ラボに戻るぞ。ここだと周りにご迷惑。お前はとにかくちゃんと事情を説明しろ」














