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昆虫オタクと神社の娘【完結済】  作者: 藤倉楠之
第十章 対決

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106 空き家の縁側で(中)

「やめろ、金山」


 ツクモがすばやくわたしと金山さんの間に踏み込んで、金山さんの手首をつかんだ。


「ふみちゃんを放せ」

「お前はどこまで知っている」


 わたしは金山さんに掴まれた腕を強く引いた。ツクモが押さえていてくれたおかげで、どうにか逃れることができた。縁側から立ち上がって、金山さんと正面から向かい合った。


「金山さんのお父様が、亡くなる前の年に、チョウを目撃されたんだそうですね。翌年、調査でここを訪れて、その帰りに、交通事故で亡くなった。それが、金山さんの生まれる少し前だったと」


「そこまでわかっているのか。ならば、こちらがその日付にこだわって譲れないことはわかるだろう」


「チョウと、有毒かもしれない植物が、不用意に世に発表されれば、この山の生活も神社の祭りも崩壊してしまうということもわかっています。チョウ見たさに、神事を尊重しないマナーの悪い野次馬が大挙して訪れるかもしれません。あるいは、この山にしかない植物を、麻薬か何かのように勘違いして、盗みに入ろうという人間が訪れるかも。そうおっしゃったのは金山さんご自身ですよね」


 わたしは一度言葉を切って、金山さんを正面からにらんだ。


「お守りの成分がどうこう以前の問題です。調査結果が、羽音木山と七曜神社の都合を無視して公表されるなら、いずれにしても、金山さんのご提案に、我が家がお引き受けするメリットが感じられないんです。山ごと買い取るなんて、神社をたためとおっしゃるのと同じです。到底受け入れられません」


「こんな集落も神社もさっさと終わってしまえばいいんだ。お前だって、こんなところで崩れかけた神社を守って一生を終わらなくてよくなる。感謝してもらいたいくらいだがね。こんないい条件を提示できるのはこれきりだよ」


「わたしがなにを大切にしてどんな一生を送るか、金山さんにご教示いただく必要はありません。神社とご神域の存続は、宮森家にとって、絶対に譲れない一線です」


 わたしは言下に切り捨てた。


 その崩れかけた神社を量吉さんがどんなに大事にしてくれたかと思うと、目の前が怒りでゆがむような思いだった。


 金山さんにとって量吉さんが祖父であることはわかっている。だが、わたしにとっても、量吉さんは、祖父の代わりのように、幼いころからかわいがってくれた人だったのだ。父と母が結婚する前に、どちらの両親も亡くなっていたため、わたしは祖父母という存在を知らずに育った。集落のおじいちゃん、おばあちゃんたち全員が、わたしの祖父母のような存在なのだ。


「ところで、調査に関しては、ツクボウさんが先約だと申し上げました。七月のうちに調査を申し込んでいただいて、父も了承しているんです。ツクボウさんは、調査結果の発表についても、神社に十分配慮した形をとってくださるとおっしゃっています」


 わたしがちらっと視線をやるとツクモは深くうなずいた。言葉にして確認したのは今が初めてだったけれど、ツクモが、研究でわたしと神社を傷つけるつもりがない、という本意は、何度もきちんと伝えてもらっていたのだから、わたしにとっては同じことだ。


「金山さんのご提案をお引き受けする筋合いもメリットも、七曜神社にはございません。お守りの件についても、ツクボウさんのご協力で、調査を開始し、すでにある程度の結果を得ています。そちらが告発すると言うなら、すぐにしかるべき筋にこちらのこれまでの調査結果をお渡しして、検討をお願いすると同時に、神社としても公式コメントを出す用意はあります。後手に回るつもりはありません」


 わたしは金山さんの目をまっすぐに見て言った。


「では、交渉は決裂ということだな。どうなっても構わないということか」


 あきれたように肩をすくめた金山さんに、わたしたちのやり取りを黙って聞いていたツクモが声をあげた。


「そこで、オレの話になるわけだけど」


 ツクモは持ち歩いていたトートバッグから、缶コーヒーを一本取り出した。ことんと音をたてて、金山さんの前の板張りの床にそれを置く。


「冷えていなくて申し訳ないけど、どうぞ。その銘柄が好きなんだろう? わざわざ、うちの研究所の近くの運送会社の駐車場まで買いに来るんだから。でも、どうしてわざわざ夜更けにL県まで来たのかな。東京にも売ってるんじゃないかとオレは思うんだけど」


 金山さんは怪訝な顔をした。


「何のことだ」


「うちの研究所は、地域との関係が良好なんだ。困ったときはお互いに助け合う関係でね。研究所に入った泥棒を追跡したいから、防犯カメラの映像を貸してくれないかって、正面切って、協力をお願いしたんだよ。そうしたら、研究所に泥棒が入った日の夜に、君が近所でこのコーヒーを買った映像が見つかってね。驚いたよ」


 ツクモの言葉に、金山さんの顔が次第に青ざめていく。ぎり、と歯ぎしりの音をさせつつ、金山さんはツクモをにらみつけた。


「そんなもの、警察は採用しないさ。自販機でコーヒーを買ったからなんだって言うんだ。何の証拠にもならない」


「そうかな。そこから、研究所までの道のりを遡っていくと、コンビニエンスストアの前を三分くらい前に同じ服装の人物が通り、ガソリンスタンドの前を五分くらい前に通っていた。コンビニも、ガソリンスタンドも、研究所に侵入盗が入ったことを伝えたら、厚意で協力してくれたんだ。研究所から普通に歩いてきたら八分くらいかかるんだけど、自動販売機の映像のちょうど八分くらい前に研究所の駐車場全体をとらえていた防犯カメラに、同じ服装の人物が遠目にうつっている。一つ一つは大したことないかもしれないけれど、並べて提示した時に、警察以前に、君のお兄さんたちはどう思うだろうか。大ごとにしたくはないんだ。君のお祖父さん、春に大病しただろ。これ以上血圧が上がったら大変だからね」


「祖父には……」


 彼の表情に不安のひびが入った。金山のお祖父さんはやはり、彼のアキレス腱なんだろうか。


「ふみちゃんも、ふみちゃんパパも、調査そのものに頭から反対なわけじゃない。なのに、君はどうしてそんなに急ぐんだ。窃盗、傷害、脅迫。これまで、そんな尻尾をつかませるようなことはしてこなかったじゃないか。中学高校でさんざんオレを小突きまわしてた時だって、下手な証拠をのこして停学になるような真似はしたことがないだろう」


「傷害だの、脅迫だの、何のことだ」


「金山」


 ツクモは背筋を伸ばした。


「飯田さんのガスクロで、研究所から盗まれた昆虫麻酔薬がオオミズアオの三角紙からもスズムシの菓子箱からも検出されてる。密封して保管しているから、警察に訴えたときにも証拠能力があるだろう。チャリティ・ガラで侵入騒ぎを起こした過激なファンの男の証言もしっかりとっている。さっきの防犯カメラの映像と合わせれば、研究所と神社への脅迫の件はそのまま君につながるんだよ。こちらが告訴すれば刑事事件だ」


「そううまくいくものか」


 そうはいうものの、金山さんの表情に入ったひびは少しずつ広がっていくようだった。


「宮森さんの自転車のことだって、君がここを拠点に動かしていた人間は、島木さんが本気を出して調査すればすぐに見つかる。それで傷害罪も乗る可能性があるんだ。乗った人間が怪我する事態は十分予測可能だったはずだ」


「そんなこと、おまえにできるわけない。金山の人間に」


「金山家がどうというなら、そもそもの発端の、君がうちの研究所に侵入した件は、同業他社として、仁義にもとる行動だ。いくらお兄さんたちでも、社内でも社外でも、きっと君を庇い切れない。ひとたび明るみに出てしまえば、君を守ってくれる人間はいないよ。違うか」


「祖父は……祖父は、金山の人間が築井にいいようにされるのを黙ってはみていないぞ」


「そのお祖父さんが、この失態を犯した君を、明確な証拠を残して築井に借りを作った君を許すと思うか。出るところに出ればこっちが勝つ。それがわからないほど、金山翁が判断力を失っているんなら、出るところに出るまでだ。もっとも、そうなる前に、社へのダメージを考えれば君のお兄さんたちが全力で止めるだろうがね。君は、誰の信頼を損なうのがまずいかもっとよく考えた方がいい。もう、会社の実権はお兄さん方にうつっているんだろう」


「あのジジイにはそれがわかっていない。自分はもう年老いて何もできないということが納得できないんだ。あいつを納得させなければ、見せしめに僕と母が追い出される。会社はともかく、家中のことはあいつにまだ権限がある。僕一人ならどうとでもなるが、母は」


 追い詰められたように金山さんは口走った。


「君が急ぐ事情は、それか。おじいさんの短気で、お母さんが追い出されることを防ぐ。そのために、できるだけ早くおじいさんが気に入るような業績を上げなければならない、今年でなければ間に合わない。そう思っているのか」


「うるさい! 余計なお世話だ」


 金山さんも立ち上がった。ツクモとにらみ合う。


「だが、事態はどんどん君に不利になっている。君が軽率な行動をした結果、ばれれば君は破滅だし、おじいさんがお母さんを追い出すのも時間の問題だ。違うか。だから、オレは最初に君に言ったんだ。オレの話を聞くことは、君の不利にはならないと」


 ツクモは追及の手を緩めなかった。後悔させてやる、といつになく激しい言葉を口にしていた時と同じ横顔だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] こうなると金山のプライドの問題の気がします。 バカにしていたツクモの言葉に耳を傾けてられるか。
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