庇護欲そそる涙目令嬢は開き直る
泣き虫と、孤児院にいたころから呼ばれていた。
たとえば背後から 「わっ」 と脅されただけでも泣いてしまう。ちょっとした悪ふざけだとわかっていても、勝手に涙が出るのだ。
最初のころ、いたずらっこたちは慌てて謝ってくれていた。けど、謝ってもらっても涙はなかなか止まらない。そして彼らは、先生に怒られる。
繰り返すにしたがい次第に、わたしは腫れもの扱いされるようになった。女の子たちはコソコソとわたしの悪口を言い合った。
「被害者ぶっちゃって」 「ずるいわよね」
それな。
だが、わたしだって、したくて目に汗かいてるわけじゃない。
思う反面、悪口を言われたことには素直にショックを受けたわたしは、物陰に隠れてめそめそ泣いた。女の子たちはそれも、見逃さなかった。
「わたし可哀想アピール、うざっ」
わたしには、アピールしてるつもりなんてなかった。
むしろ、わたしが泣くことで周りの人を困らせていると感じるたび、消えてなくなりたくなっていた。
だからこそ、ずっと、泣かないようにしようとあらゆる工夫をしてきたつもりだ。
涙が出そうになったら、思いきり自分の腕をつねってみたり、楽しいことを考えてみたり。涙を魔力で光の粒子に変えてみたときは、これだ!と喜んだのも束の間、なぜか前より 『あざとい』 と言われてしまった。
楽しい気分になれるという怪しげなキノコをコッソリ試しさえしたが、腹痛と吐き気と幻覚で院長に即バレし、めちゃくちゃ怒られて諦めた。
―― 結局のところ。どんなに頑張ってもわたしの涙は、勝手に出てきてしまうらしい。
聖女候補としてグレイシア子爵家の養女となり貴族学院に通い始めてからも、わたしの泣き虫は変わらなかった。
だが、ひとつ気づいたことがある。
わたしは転生者で、この世界は、前世でわたしがプレイしていた乙女ゲームとそっくりだったのだ。
気づいたのは、2年ほど前 ―― 編入したての学院の食堂で、縦ロールの黒髪が印象的なキツめの美少女、ローズベル公爵令嬢とその取り巻きに絡まれたときだった。
彼女らは、わたしがテーブルに肘をついてココアを飲んでいたのを盗み見ながらプークスクス(笑)とやりあっていたが、やがて、わざわざ連れだってこっちにやってきたのだ。
「ちょっと、あなた」 よくとおる華やかなソプラノが食堂の高い天井に響き、みんながわたしのほうに顔を向けた。
「マナーがなってなくてよ? テーブルに肘をついて飲食をするだなんて、それでよく貴族を名乗れたものですわね」
「ほんとうに」 と、取り巻きたちは善意に満ちた悲しげな顔をわたしに向けた。
「きちんとした家庭教師をつけてもらわなかったのね、おかわいそう」 「あら家庭教師は無理でしょう。孤児院出身ですもの」 「では孤児院の教育が悪かったのね。出資者が子爵家じゃ、しかたないのかしら」
プークスクスクスクス……
嘲笑がさざなみのように食堂じゅうに広がる。わたしはすでに涙目になってしまっていた。
けれど泣いているのがバレたら、また 『被害者ぶって、あざとい』 とか言われてしまう…… それは嫌だ。
わたしは、なるべく肩を震わせないように力を込めてうつむいた。
そのとき急に、この次にローズベル公爵令嬢が行う言動が、ふっとわたしの頭をよぎったのだ。
なぜ、とわたしが疑問に思う間もなく、公爵令嬢はアゴをあげて見下し目線を決める。
「それにあなた。婚約者がいる殿方に気軽に近づくのも、はしたなくってよ? たとえマナーを知らなくても、良識があればわかることですわよね?」
磨かれたサンゴで造ったような紅の唇から出たセリフは、わたしの予想と一言一句、変わらなかった。
そして、わたしはハッキリと思い出した。
前世の新感覚乙女ゲーム 『悪役令嬢なんてお断り!〜贄の花嫁の愛と復讐〜』 のオープニングに、こんなシーンがあったことを ――
このゲームはタイトルからもわかるとおり、前世で流行りの悪役令嬢ものをベースにしている。
主人公はローズベル公爵令嬢。正しく優秀な美少女だが、光の魔力を持つ聖女候補として学院に編入してきたグレイシア子爵令嬢に婚約者であるレオン王太子を奪われる。そして、卒業パーティーでありもしない罪を咎められて婚約破棄され、隣国の辺境伯の第3夫人として嫁に出されてしまう。
隣国は魔族の国だから、こちらとしては花嫁とは名ばかりの生贄、という腹づもり。
ところがフタを開けてみれば、魔族の辺境伯はぞっとするほどの美貌を誇るイケメンだった。ローズベルはこの辺境伯を攻略しながら自分を追い出した祖国への報復を開始。
辺境伯の好感度があがれば、彼の力を借りてより苛烈な復讐ができるようになる。そのうちにほかの魔貴族とのルートが開き、どのルートをたどるかでエンディングが微妙に変わる。
(ちなみに辺境伯ルートでは辺境伯と第1夫人・第2夫人とはお互いに割り切った政略結婚であり、主人公との仲の支障にはならない設定)
しかしまあ、どのエンドであれ、ローズベルの祖国は滅び、王太子と聖女になっていたグレイシア子爵令嬢はともに処刑されてしまう ――
で、問題は。
その処刑される聖女ことサシャ・グレイシアが、すなわち現在のわたしだということだ。
ふわふわのミルクティー色の髪に桃色の瞳、愛嬌のあるタヌキ顔。ちょっとしたことですぐに被害者ぶって涙を流し周囲を味方につけ、ターゲットを悪者に仕立てて孤立させる…… いわゆる庇護欲そそるあざといタイプだ。
これまで試行錯誤してきた涙を止める術がぜんぶ効かなかったのは、ゲームの強制力のようなものが働いていたせいだったんだな。
ちなみに食堂でのローズベル公爵令嬢との対立シーンは、前世のゲームでいえばオープニングの頭にあたる。
前世のゲームでは、このあとローズベル公爵令嬢の婚約者であるレオン王太子がしゃしゃり出てサシャを庇う。食堂の事件をキッカケに王太子とサシャは親密さを増していき、公爵令嬢とその取り巻きがそれをサシャに注意することも比例して多くなっていく。上級貴族としては当然の指導であるという設定だが、サシャがあまりにも 『被害者ぶって』 泣くものだから、公爵令嬢の学校での立場は、どんどん悪くなっていってしまう。
そしてローズベル公爵令嬢は、卒業パーティーで断罪され、婚約を破棄される ――
以上が、わたしが知っているオープニングの全容だ。
(え? これってやばくない?)
ゲームの内容を思い出した瞬間、わたしは背筋にいきなり氷水を流し込まれたような寒気をおぼえた。
寒気は、このあと王太子が本当にしゃしゃり出てきたことで、ますます強まった。
このまま放っておけば、わたしはやがて、王太子を誘惑したあざとヒロインとして国じゅうから恨まれながら処刑される運命 ―― いや、ないわ。
処刑されるのも嫌だけど、特に、好きでもない男を誘惑した認定されたうえに結婚して死ぬときまで一緒とか、ないわ。きもっ。
しかも養父母や国民のみなさんまで巻き込むなんてダメ、絶対。
もしこれが前世の転生小説だったら運命回避などありきたりすぎて、すでに飽きられてしまったストーリー…… とはチラッと思った。
けど、わたしは物語のなかの人物じゃない。ゲームの世界に転生しといてなんだけど、わたしも養父母も国民のみなさんも、みんな生きてるんだから。
やっぱりここは、回避一択。
それ以外の道は、ない。
―― こうして、ローズベル公爵令嬢に食堂で絡まれて以来、約2年。
わたしは王太子に親切ごかして接近されたりローズベル公爵令嬢に誤解されたりしないよう、できる限りの努力をした。
まず、泣くときは誰も見ていない物陰で、は必須。
また、ローズベル公爵令嬢に 『自分もレオン殿下に近づかれて困っている』 旨を根気よく訴え続けたりもした。
けど訴えるだけでも、そのときの苦々しい心持ちが蘇り、どうしても涙があふれてきてしまう。
そのせいで、わたしがいくら訴えてもローズベル公爵令嬢と取り巻きたちからは 『被害者ぶってマウントとってるの?』 という類の反応しか返ってこなかった。
もうこうなりゃヤケだと 『お友だちになってください!』 と直接、申し込んでみたこともあった。身の程を知りなさい、と一蹴されたので、次は 『お仕えさせてください!』 と言ってみたがダメだった。
そして王太子をなるべく避けるという方針も、あまり成功はしなかった。
私に落ち度はなかったはずだ。
王太子の出没しそうな場所には一切、近寄らなかったし、学院では目を引かないよう地味なかっこうを心がけ、伊達メガネまでして野暮ったさを出すようにしていた。
聖女としての能力を発揮するのも控えた。魔法の授業など光の魔力を披露するシーンでは必ずお腹が痛くなったりこけたりして台無しにするよう頑張ったのだ。
光魔法さえ使わなければ、在学中に聖女の身分を得て王太子にロックオンされるような事態には陥らないはず。
期待をかけてくれている養親のグレイシア子爵には申し訳ないが、目先の評価より国と自分の将来のほうが当然、大切だもんね。
―― しかし結局、わたしの努力はほとんど実らなかった。
王太子はストーカーもびっくりな勢いで、わたしが泣いているところに必ず現れては、勝手にローズベル公爵令嬢を悪者にした。
聖女としての能力を抑えたのは、信じられないことに、なんと裏目に出てしまった。レオン王太子からこれまた勝手に 『オレがいなきゃダメな、守ってあげたくなる女』 認定され、よけいにベタべタされたのだ。ゲームの強制力、ひどすぎ。
王太子からのアプローチをキッパリ断れれば良かったのだが、わたしはいくら聖女候補とはいえ、身分は子爵令嬢だ。遠回しに困ると伝えるのが、精一杯だった。
1度だけ、あまりに近づかれるので不敬罪覚悟で王太子をビンタしてみたことがある。
さすがにわかるだろ、わかれ!
そう念を込め、もし処刑になるなら断頭台で王太子のセクハラっぷりを暴露しながら死んでやろうと泣きながら叩いたのに、なんと王太子はわたしを 『男性に慣れていない清純派』 だと誤解した。
どうも王太子の意識の根っこに 『オレ様に惚れられたら当然、嬉しいだろ』 という確信が居座っており、それが正しい理解を阻んでいるようで ―― この言い方、面倒くさいな。
つまり王太子は、相手に対する理解力も理解する気も皆無。一歩ずれればモラハラになること間違いなしの、けっこうヤバめな気質だったのだ。
ビンタの件は不問、というか 『なにも起こらなかった』 ことにされてしまった。不敬罪にならなくて良かったが、ちっとも嬉しくない。
まあ、こんなわけで。
結果的には、これといった対策がなにもできないまま卒業パーティーの日となり、そして。
ゲームどおりの婚約破棄・断罪劇が始まってしまった ――
「ヴィクトリア・エレーナ・ローズベル! おまえとの婚約を破棄する!」
ああ、やっぱり。
わたしは王太子に無理やり肩を抱かれながら、涙目でローズベル公爵令嬢の蒼白な顔を見守る。
こんなときくらい、涙が止められれば。きっぱりと周囲のみなさんと王太子の誤解をとき、この断罪劇を中止してみせるのに……!
涙目で 『公爵令嬢は悪くないんです!』 『わたしがいけないんです!』 などと訴えても無駄どころか害悪にしかならないことは百も承知。
絶対にローズベル公爵令嬢のぞく全員が、誤解するだけだ。
『サシャ・グレイシア子爵令嬢は自分を迫害したローズベル公爵令嬢さえもかばう、清らかな心の持ち主だ。それにくらべて、あの女は……』 とかなんとか。
そんなわけない、と前世のゲームプレイヤーも孤児院のなかまも全員わかってたのに、どうしてこの学院の人は全然、わかってくれないんだろうな。
原因はもちろん、ゲームの強制力のせいだろう。
だけどどうしても思ってしまう。脳みそ何のために使ってんの? 真実を探ろうとか一歩引いて正確に状況判断しようとかまったく考えず、感覚に訴える情報だけ鵜呑みにして推測と思い込みだけで動く人間ばかりって、支配階級として大丈夫?
王太子、おまえも含めてな……!
「なぜ、突然、そのような……」
ローズベル公爵令嬢は震えながら、普段とは違うか細い声を、必死でつむぐ。
「り、理由をお聞かせ願えますか」
「はっ! この期に及んで知らぬふりを押し通す気か!? おまえは、身分をカサにきてグレイシア子爵令嬢を迫害したであろう! 知らぬとは言わせぬ! この卒業パーティーにいる全員が、証人だ!」
レオン王太子の朗々とした声。
前世のゲームで聞いたときにも思ったが、いかにも正義に酔ってます、って感じだ。当時は、こんなに腹立たしい声を出せるなんて天才、と声優さんの力量に感服したものだったが……
演技じゃなくて本気だと思うと、イライラと同時にバカバカしさがこみ上げてくる。
かえって迷惑なことをやらかしながら 『ボクってすごいでしょ!』 とドヤれるのは、2歳児までだ。
―― ゲームの強制力とか抜きにして考えるなら、そもそも、全部、レオン王太子のせいじゃない?
こいつがもし、わたしにかまおうとせず普通に婚約者を大切にしていたら…… わたしは泣き虫なりに平穏な生活を送れてたんじゃない?
2度と戻ってこない10歳代の貴重な2年間を、無駄な試行錯誤に費やさなくても良かったんじゃない?
もう、なんか、虚しすぎて涙でてきた…… うううっ
「ほら見ろ、ヴィクトリア・エレーナ・ローズベル! おまえの行いのせいでグレイシア子爵令嬢も、こんなに傷ついているだろう!」
「ううっ、ひくっ…… ち、ちがいます…… っ!」
わたしは涙に邪魔されながらも、声をできる限り張りあげた。
―― この世界がわたしにとってはもう、ゲームじゃなくて現実だからこそ、見えてくることがある。
傷ついてるとしたらそれは、わたしより断然、ローズベル公爵令嬢のほうだ。
なんと驚くべきことに、公爵令嬢はこの脳内2歳児のことが本気で好きだったのだから。なぜ過去形かといえば、いくらなんでもそろそろ目をさましているだろうと、わたしが推測しているから。
―― だって、その辺まったく理解せず、衆前でいきなり婚約破棄言い出すなんて、終わってるよね? 王族としてじゃなくて、人として。
涙に隠れた内心のひそやかな毒舌を察することもなく、脳内2歳児はわたしの肩を抱く手に力を込める。
「この期に及んで、この女をかばう必要などないんだよ、サシャ。きみは優しすぎる」
「うううっ…… 違う、んです……!」
わたしは泣きながら身じろぎし、王太子の腕から逃れようとしてみせた ――
「大丈夫だよ、サシャ。きみは悪くないんだ。堂々としていなさい」
いやそんな 『優しいオレ』 アピールしてもらわなくても、わたしが悪くないことくらい知ってる。
ついでに言えば公爵令嬢だって、こんな目に遭わなきゃならないほど悪いことは、していない。
というか、いくら脳内2歳児でも、いいかげん気づけよ。誰が悪いかっていえばそれはもう、周囲を慮る気ゼロで軽率に親切の押し売りし続けて自分だけ気持ちよくなってるおまえだよ。
もう本当こいつ、誰かに成敗してほしい ―― あれ? そういえば。
『泣いて被害者ぶる』 って、こういうときにこそ、使えるんじゃない?
そうだ ―― これまで、誤解されて陰口を叩かれたりイジメられたりするのがイヤで。
なにより、周りを困らせたり嫌な思いさせたりするのが、申し訳なくて。
泣くのを抑える方向でしか頑張ったことがなかったけれど。
どうせ誤解されるんならむしろ開き直って、積極的に利用すれば、わたしプロ級の詐欺師になれるんじゃない?
つまり涙を意図的に上手く使えさえしたら、公爵令嬢の断罪回避も可能。わたしも、本来の野望にむかって邁進できるようになるに違いない。
よし、この涙、最大限に活用し ―― 見た目は大人、頭脳は2歳児、女の敵のアホ王太子、レオン殿下を成敗してあげよう。みてろよ。
「うううっ…… ひっ…… っく……っ!」
わたしは、ひときわ盛大にしゃくりあげた。
「っ…… レオン殿下はっ…… いっ、いつも……! わたしの話を、聞い、て、くださ、らない……っ」
「は!? 私か!?」
王太子は、初めてうろたえた。
そうだおまえだよ。
「……っ わた、わたしっ!」 再びしゃくりあげると周囲のみなさんの同情の目が、こちらに集中する。
この調子だな。
「わたし……っ ろ、ろろっローズベル公爵令嬢の、ご迷惑になんか、ななな、なりたくないって! ここ、婚約者様を、たっ、大切にっ、してあげてくださいませ、って……! わわ、わたし! なん、な、なんどもっ、ももっ申し上げたのに!」
「えええっ、そんな……!?」
レオン王太子の、困惑しきった声。
周囲の目がわたしから王太子に、いっせいにスライドした。こんどは同情ではなく、疑わしげな眼差しばかりだ……
それを感知してか、まだわたしの肩に添えられていた豪華な衣装に包まれた腕が、もぞもぞと所在なげに動く。さっさとどけろ?
「……っ ややや、やっぱりっ! ととと、取るに足らないっ、てて、低位貴族のむむ、娘のっ、ももっ、申し上げること、なんかっ…… レオン殿下のお耳にはっ、ぜ、全然、ととと届いていなかった、んで、すね…… っうううっ……」
わたしは両手で顔を覆い、さらに涙を流した。
「だか、だから、わたしのててて、貞操をっ、無理やり奪うような真似をおおおおおっ!」
「し、してない!」
ばっっ
音がしそうな勢いで、レオン殿下の腕がわたしの肩から離される。やれやれ。あとで消毒必須だな。
「れ、レオン殿下はっ…… こ、こちらが…… うううっ! だだだ、黙って、しし、従わ、なければならない、たた、立場だからってっ…… ううううっ」
「こ、この……っ」
「うううっ! ごめんなさいっ! わたしが悪かったんですぅっ! 殴らないで、くださいま、せ……っ!」
「なんでそうなるんだ!」
わたしに尋ねる前に、おまえの隠れモラハラ気質を反省するんだな。あと側近と家庭教師も入れ替えろ。そもそも 『俺に接近されたら、どんな女も大歓迎するはず』 みたいなこと、なんで思い込めた? 周囲の人間がその辺注意もせずにヨイショするだけだったからだよな?
そんな能なしばかりなら、代わりにマトリョーシカでも並べといたほうが、よっぽどマシだろ。
「……っ うう…… ううううっ……」
わたしは存分に肩を震わせ、指の間からすすり泣きの声を漏らす。
これまでの王太子の迷惑な言動、および孤児院の女子たちやローズベル公爵令嬢と取り巻きのみなさんから言われてきたことなどを思いだせば、涙は際限なく出てくるというものだ。
「いいかげん、泣きやめ! だいたいおまえが、そうやって私の気を引こうと泣いていたのが悪いんだろう! このクソビッチが!」
「まあ……」 「ひど……」
いまや、ローズベル公爵令嬢をはじめ、会場のみなさんの眼差しにはレオン王太子への非難と侮蔑が含まれている。
王太子が必死で 「被害者は私のほうだ!」 とか訴えているが、誰も聞いていない。
そりゃそうだ。
現に王太子は、公の場で子爵令嬢の肩を抱き寄せて、将来の後ろだてとなるはずの公爵家の令嬢に断罪と婚約破棄を叩きつける、なんて非常識なマネをしでかしたんだから。
この時点で会場のほぼ全員が、レオン王太子に見切りをつけたことだろう。
そのうえで、わたしは会場のみなさんにとって非常にわかりやすいシナリオを提供してあげたのだ。
『この騒動の始まりはそもそも、非常識な王太子が権力と暴力を振りかざして低位貴族の娘を手ごめにしようとしたこと』 というね。
ゲームの設定を非難するようで製作者に申し訳ないが、実感としては 『立場をわきまえない頭おかしい子爵家の娘が王太子を誘惑し、嫉妬した公爵令嬢にいじめられた』 なんてものより、よほど常識的である。
「うううっ…… レオン殿下、そんな…… うっ…… ひどいですぅ…… わた、わたしにっ…… あんなこと、しておきながら……っ」
もし、レオン殿下に対応力があるのなら、わたしの訴えも周囲からの目も無視してこの場をおさめることに全集中しただろう。
しかし残念ながら2歳児は急には成長しない。
わたしの涙と生まれて初めて味わっているだろうアウェー感ですっかりパニックに陥った王太子殿下は、またしても 「違うんだ! 襲ってない!」 と大絶叫で墓穴を掘っている。無駄な作業、おつ。
「私は、その! く、口づけをしようとしただけで!」
「まあ!」
ローズベル公爵令嬢が、はっきりと柳眉を逆立てて王太子をにらみつけた。
「それも、サシャが、泣いていたから、慰めようと 「い、いっ、いやあっ……! うううううっ……」
わたしはあのときを思い出し、ひときわむせび泣き、引き裂かれるように身悶えする。いやほんとまじでキモかったからな、アレは。
『お気の毒に……』 『わたくしじゃなくて、良かったわ……』
周囲の痛ましげな視線は、もろにこう言っていた。
王太子はそれでもまだ、おバカ丸出しの主張を繰り出している。
「それも、未遂だったんだ!」
ビンタしたからな。わたしが。
とは、もちろん言わない。
好きでもない権力者から強引にキスされるのとくらべたら、ビンタくらい百回くらってもまだお釣りがくるわ。
被害者のわたし、めちゃくちゃ可哀想で涙、無限にでる。
「っ…… ゆゆゆ、おゆ、おゆるしくださいっ! い、い、いやあっ……! うううううっ……」
「ほんのすこし、鼻先をかすっただけだろうが! そんなことで、泣くな!」
「ああああ…… ももも、申し訳、ごっ、いやぁぁぁ……! お、お許し、くく、くださっ……」
いくらでも泣けるけど、いつまで続けるんだろう、これ。
そろそろ、誰かになんとかしてほしいところ ――
「承りましたわ」
事態に収拾をつけてくれたのは、ローズベル公爵令嬢ヴィクトリア様の美しくも静かな声だった。口の両端をきれいに吊り上げたアルカイックスマイルが、こわい。
会場は、当然ながら、すでに公爵令嬢を断罪する雰囲気ではなくなっている。
むしろ全員の心のなかで断罪されているのは、王太子のほうだろう。
「わたくし…… いいえ、ローズベル公爵家としましても、この婚約は解消を検討するのが妥当かと存じます。その旨、父に申し伝えておきますわね」
そしたらレオン殿下は、廃嫡になるな。この国の貴族やってたらわかる。
この国の最大勢力であるローズベル公爵家の離反や独立を防ぐためにも、ヴィクトリア様との婚約は、王座に必須なのだから。
それでも聖女を婚約者に据えれば神殿と国民を後ろ盾にできるから大丈夫、とレオン殿下は計算していたんだろう。3周まわってもあり得ないがな!
―― レオン殿下の廃嫡はかまわないけど、わたしまで巻き添えをくうのは御免だ。この男とは関係ないアピールをするため、もう少しだけ泣いておこう。
「うううっ、いい、いけませんわ、ヴィクトリアさま……! れれれ、レオン殿下は、わたしのことは、た、単なるひひひひ、暇つぶしで、ううっ…… ほ、ほんとうにあ、愛しておられるのは、ききき、きっとっ……」
「いいのよ、サシャ。さすがに、目がさめましたわ」
ローズベル公爵令嬢の声は、苦笑を含むと優しくなるようだ。
「場をわきまえずに婚約破棄を宣言されるようなかたや、逆らえない立場の女性を、嫌がっているのにもてあそぶようなかたに、国主になる資格があるかは…… 国王陛下と父が、よく検討してくださるでしょうから」
「ううううっ…… ヴィクトリアさま……!」
「サシャ、あなたに非がないことも、よく申し添えておきますわね」
公爵令嬢という立場上、ヴィクトリア様は、わたしには謝れない。けど、こう思っているからこその発言だろう。
誤解して、ごめんなさい ――
もろいわたしの涙腺は今度こそ、本格的に決壊した。
泣き続けるわたしに 『被害者ぶって』 『あざとい』 と言う人は誰もいなかった。
―― その後。
ローズベル公爵令嬢は無事、レオン殿下との婚約を解消。レオン殿下に代わり、新たに王太子となった弟のシリル殿下に猛烈にアプローチされており、次の婚約も間近なようだ。
王太子の座を追われたレオン殿下は国外に婿入りが決まったらしい。噂では、白粉で複数の溝をがっちり埋めて作った滑らかな肌と豊かなアゴ肉がチャームポイントで加虐趣味のある女帝の、第8番目の夫になるという。
そしてわたしは、パーティーでレオン殿下をこきおろした時もそのあとも泣きまくっていたために、 『なにがあってもとりあえず泣く人』 と公認され、以後は誤解されることが少なくなった。
学院卒業後はしばらく神殿につとめ 『涙の聖女』 なんていう、ちょっと恥ずかしい2つ名をもらったりもしたが……
今日これから、自ら望んで、国境をこえる。
魔族の辺境伯の花嫁になるために。
なぜなら、前世のゲームでわたしの推しは辺境伯その人だったからだ。
月の光を紡いだかのごときサラサラのプラチナブロンドと、血の色の瞳。魔族随一の攻撃魔法の使い手であることもあって、その美貌は見る者に畏怖を感じさせるほど…… なのに、攻略が進んでいくに従って、ちょっと抜けた一面や、照れたお顔や、蕩けんばかりの甘い表情を拝見させてくださる ―― もう最高。好き。彼のためなら国境どころか、大気圏だってこえられる。
自分を魔族の花嫁候補として売り込むときには 『国のために、わたしが犠牲になります』 と泣きながら申し出て、みんなの同情と尊敬を過剰に買ってしまったのだが……
ごめん、じつはリアル辺境伯への期待が、目からとめどなくあふれていただけなんだ。
もちろん、祖国への復讐なんて考えていない。この涙を最大限に利用し魔族の好戦派を一掃、かつ辺境伯を友好派に洗脳して、推しと一緒にまったり平和な一生を送る所存。
それが、わたしの真の野望だ ――
「サシャ、あなたならきっと、魔族とこの国の友好の懸け橋となってくれるでしょう」
「うううっ…… ヴ、ヴィクトリアさま……!」
国を出る馬車を見送ってくれるローズベル公爵令嬢の顔を見ただけで、わたしはまた泣いてしまった。
シリル殿下といい関係を築いているローズベル公爵令嬢は、前世のゲームのなかで復讐に走っているより、よほど幸せそうで…… ほんとうにほんとうにほんとうに、良かったな、と思う。
「ううっ…… ぐすっ…… 辺境伯を、泣き落とせるよう、精一杯、努力いたします……」
涙ながらに誓うわたしを乗せ、馬車は魔族の国へ向かい、ゆっくりと動き出した。
(終)
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