遅れてきた子(2)
ロシュの腰にしがみついているのは少女である。少し怯えたような色を瞳に湛えて覗き込んできていた。
「セリーヌ……、じゃないよね? こんなに大きくない」
「もちろんさ」
彼の娘セリーヌはまだ三歳だったはず。
不安げに揺れる瞳は黒い。どうにも生気に乏しい印象。寄る辺を求めてさまよっている。ようやく背中に掛かろうかという髪も真っ直ぐで黒。ブルネットに碧眼というロシュとは似ても似つかない。
(全然見覚えない)
リリエルの記憶のどこにも引っ掛からない。
「彼女はミレニティ・ユング」
記憶にない名前。
「んー、誰?」
「驚くなかれ。あの魔王の孫さ」
「魔王? ケイオスランデル?」
それは三つの鍵の協定者の一人。第二次統一戦争をわずか三日で終わらせた英雄たちの一角である。戦後は行方不明になっていたはずだ。
「彼が見つかったの?」
ロシュは調査を続けていた。
「ああ、残念ながら魔王ジェイル・ユングは四ヶ月前に亡くなっていた。なんと辺境の開拓惑星ベッフェルベリでずっと暮らしていたらしい。ところが不幸が続いてこの子だけ孤児として残されていた」
「身寄りもなしで?」
「彼を魔王と知らなかった街の人が面倒を見ていたよ。どうやら開拓に多大な貢献をして世話役的な仕事もしていたらしくてね。その恩返しじゃないかな」
見守られながら一人で暮らしていたという。
「だから引き取ってきた。当分は僕が後見人としてミレニティを育てる。まだ学校に通わせないといけない年だからね」
「幾つ?」
「九歳」
おずおずと答えてくる。
少女の持つ不安感は急に新たな生活になってしまったからだろう。まだ、自分の身の置き場に迷っている感じ。
「やっと見つけたからって連れてこなくても」
不安が助長されるだけ。
「ちょっと……、いや、かなり面白い子なんでね。今後は君にも導いてもらいたいと思ってる」
「あたしが? 導くってなにを?」
「この子は間違いなく魔王の後継なんだよ。その実力のほどを見極めてほしい」
リリエルは顔をしかめる。よく調べたのだろうから血統は間違いないのかもしれないが、だからといってアームドスキン乗りにする必然性はない。まだ子供なのだから普通に育ててやればいいと思う。
「それって……」
「ミレニティ、今度はあのお姉さんと試合してもらってもいいかい?」
少女はうんうんと頷いている。
(今度は?)
その一言に引っ掛かる。
「ここじゃなんだから場所を提供してくれないかい?」
「もう、なんなのよ!」
珍しく勝手を言うロシュに困惑する。
「相手してあげなよ。きっと君も得るものがある」
「ジュネ?」
「面白い感触なんだ。それにあの身のこなし」
しゃがんだガルドワ総裁と顔を近づけて話している少女はそのつもりでストレッチをしている。その身体の使い方は完全に戦闘を生業とする者のそれに匹敵していた。
(子供でも素人でもない?)
そう思わせるものを持っている。
「一番近場のトレーニングルームに案内してあげて」
「承知でやんす」
ビジネススーツのロシュと並んで小さなフィットスキン姿の少女。背のわりに手足は長く思えるが筋肉質というわけではない。
(生身で大人と手合わせするとか無謀。絶対に力負けする)
彼の意図が読めない。
パイロットブルゾンを脱いでヴィエンタに渡しながら首をひねる。ロシュが後見するのなら鍛える必要なんてまるでないのだ。
「いつでも」
間合いを取って対峙する。少女はこくんと頷いた。最初は戸惑っていたようだが、トンと踏みだす。戦気眼に反応はない。
(フェイント?)
リリエルは泰然と待つ。
目を丸くしている。やはり先ほどのは誘いだったようだ。全く反応しない彼女に違和感を覚えているのだろう。
「ミレニティ、それは彼女に通用しない」
「そう?」
次は金線が走った。明らかに届かない間合いなのに顎に伸びてくる。遅れて爪先が飛んできた。一足に滑ってきた身体から繰りだされている。
(それでも甘い。見えてるものは避けられる。この子の自信を砕く気かしら? 心得があるのは認めるけど)
鋭さは本物。素人なら確実にヒットするし、戦闘職でも油断していれば食らう。しかし、それまで。
「ふっ」
一つ息を吐いて手で払おうとする。その瞬間に金線が消失した。
(なんで?)
気づけば別の場所に出現している。しかも至近距離で。咄嗟に上体を反らした途端に鼻先を足刀がかすめていった。避けなければこめかみに直撃している。
「すごい。見えるんだ」
ミレニティが小さく囁いている。
「あんた」
「だったら」
胸の中央を貫く金線。左足を滑らせて半身に。払いのけようとしたはずの一撃が今度は肩を薙ぐそれに変わっている。受けに入るとそれも消えて、次は小さな身体が足元にある。顎に跳ねあがってきた蹴撃をどうにか肘で逸らした。
(変幻自在? 違う。動かされてる)
いつの間にか少女の射程に取り込まれていた。
「どうだい? 面白いだろう。これに我が軍の誇るエース級が撃破されてるんだ」
「冗談でしょ」
口では否定するが信じられる。
「なにをどうする気だったのか知らないけど、魔王はこの子を仕込んでいる。戦闘技術は一流のそれなのさ」
「確かに。ただの腕自慢じゃこれは捌けない」
「ミレニティ、このお姉さんは本気を出しても大丈夫だよ。やってみなさい」
次は一遍に金線が何本も出現する。間合いを外すのは逃げるようで癪だ。最低限の一本を弾くべく手を伸ばす。
ところが、それも消えて摺り足を払う一閃を感じる。堪らず引いたところに胸元への攻撃線。体勢は崩れているので仕方なく掌底を拳甲で受けた。
「パン!」
弾ける音とともに二人は分かれる。
(昔、お祖父様に一度だけ聞いたことがある)
古い記憶を掘り起こす。
「前にな、勝てねえと思った奴が一人だけいる」
「誰? ユーゴおじさま?」
「ハズレだ。そいつは魔王って名乗っていやがった。笑えるだろう?」
その片鱗を身をもって感じている。とりわけ速いのでもなければ、間違っても一撃の重さで負けているのではない。異能があるのでもなければ、技のキレとしても特筆するほどでもない。
(これが魔王の後継)
愕然とする。
(ただ、組み立ての天才なのね。避けられない詰めの一撃に誘導されてる)
しかも、即座に彼女の特性を把握している。そのうえで組み立てているのだ。幻惑のフェイントの数々。リリエルがそれを頼りに今まで戦ってきただけに無視するのは不可能。
(疑えば致命傷になる。だからお祖父様は勝てないって言ったのね)
同じ戦気眼持ちの彼女には痛いほどわかる。
額に伸びてきた金線を下に躱して身体を滑り込ませる。そのときには左右から円弧を描くフェイント。両手で側頭をガードして前蹴りを放つ。金線の起点が移動した場所へ流れるような回し蹴り。
(戦気眼をフェイントに使うならやりようがある)
起点を攻め続ける。攻撃は来なくとも必ずそこにいるのだ。組み立てる暇を与えなければいい。
「そんな。有りなの」
「こっちの番!」
捨て身に近い戦術だが有効なはず。攻め立てつつ決定的な一撃を入れられる機を待つ。が、捉えきれない。
「しまっ……!」
呼吸の隙を突かれて間合いに入られる。横腹への金線を躱したところで顔面に蹴りの一閃が伸びてくるのを感じた。見苦しくも膝を落として転がって逃げる。
(これも限界がある。組み立てが巧いだけ回避も上手なのね)
相手の体勢も予想しながら組んでいるのだ。
(でも、もう一つだけ手はある。これは技術だけじゃ絶対に躱せない)
リリエルはミレニティに正対して構えた。
次回『遅れてきた子(3)』 「それだよ、それ。ミレニティに経験させておきたかった」




