「私は幸せなので、今回は無罪としましょう」
シュガーの魔法が吸い込まれると、焔鳥は落ち着きを取り戻した。
背中のダガーはまだ突き刺さったままだ。正義心の増幅は今も続いているはずだが、シュガーの魔法はそれすらも塗りつぶしていた。
意思なんて関係無しに問答無用で戦意を奪い去る魔法。
心をオモチャのように扱うそれを、魔法と呼ばずになんと呼ぶ。
「……終わった、か」
癒龍との接続を切る。頭の中に響く声も遠くなり、ようやく落ち着きを取り戻した。
魔力量が制限され、維持していた無数の術式が自壊した。降りしきる豪雨はやんで、自身にかけていた浮遊魔術が崩れ去る。
ふらりと落下しながら空に手を伸ばす。すぐにそれを掴んでくれた、一回り大きな手。
「ノアちゃん、お疲れさま。大丈夫?」
「しんどい……」
「無理するからだよ」
ひょいっとほうきの上に引き戻される。あー、疲れた。もう今日は何もしたくない気分。
「シュガーもお疲れ。さっきのって魔法だよな。使ったのか? 反動は?」
焔鳥と殴り合いながらも、シュガーが神獣の力を解き放っていたのは感じていた。
正直止めようかと死ぬほど迷っていた。シュガーまでこんな力を使う必要はない。私はこの道を選んだが、シュガーが神獣の力に頼らない答えを探すと言うなら、私はそれを否定しない。
でも、シュガーの叫びが聞こえた。欲しいものが、やりたいことが、行きたい場所があると。
だったら私はシュガーの選択を尊重したい。それが何かは分からないが、シュガーの求めるものを一緒に目指したいとすら思った。
「お疲れーじゃないですよ……!」
そんなシュガーさんは、荒く息を吐きながら、大層怒っていらっしゃった。
「なんっで神獣の力なんてぽんぽん使ってるんですかー! あんなん使うもんじゃないって私言いましたよね!? っていうか魔法使えるんですか!? いつから!? どういうことですか!?」
「あー、あー、すまん。黙ってて悪かった。全部説明するから、落ち着いてくれ」
「落ち着いてられっかばっきゃろー! ばーか! ばーか!」
荒ぶってらっしゃった。あーもう、悪かったってば。
っていうかこいつ、ひょっとして。
「シュガー。神獣との接続は切ったか?」
「あっ」
思い出したようにシュガーは胸に手を当てる。肩が上がって、下がって、二回深呼吸。
体から魔力が抜け落ちると、シュガーはようやく落ち着いた。
「お見苦しいところをお見せしました……」
「最初はそういうもんだ。私だって慣れてない」
シュガーは帽子を目深に被って恥ずかしそうにしていた。いつものシュガーだ。
それよりも焔鳥だ。炎を撒き散らすことこそ無かったが、それは依然として私たちの前で羽ばたきを続ける。
その瞳に憎悪は無い。正義や悪意が迸ることもなく、澄んだ切れ長の瞳がじっと私たちを見ていた。
「桜ー。任せていいかー?」
「はいはい。斬ればいいんだよね」
だるいながらも魔術を編み、水のヴェールを展開する。桜はゆるっと焔鳥の背中に回り込み、片手で竹刀を抜き放った。
竹刀の先で引っ掛けて、突き刺さったダガーを引っこ抜く。そのまま一閃斬って捨てれば、焔鳥を狂わせていたダガーはいとも簡単に砕け散った。
「ったく、手間かけさせやがって……。次からは黒服の男を見たら問答無用で焼き払うんだぞー」
なけなしの魔力で癒術を編む。傷ついた焔鳥を回復してやると、やつは甲高く嘶いて空へと飛び去っていった。
この激戦の中でも魔国の結界はなんとか持ったようだ。あちらこちらが焼け焦げていたが、これなら被害も少ないだろう。
なし崩しだったが、ひとまず守り抜いた。私にはそれで十分だった。
*****
で。今回の後日談。
なんだかんだで被害もあったので、私は癒術士としてあちこちを駆け回っていた。
救華の人間がこの状況を捨て置くわけにもいかないし。あっちで治してこっちで癒やして、戦闘癒術を振り回しながらお仕事すること数日間。
私の足音を聞いた怪我人たちが震え上がるようになった頃、シュガーが私に話を持ちかけた。
「ノア、大事な話があります」
ここ数日、シュガーはシュガーで大騒動をしていた。
大乱闘と言うべきか。大殺界かもしれない。とにかくシュガーは大立ち回りをしていた。
これまで永久欠番扱いだった魔法使いの座を奪い取ったシュガーは、その権限をフルに使って非合法な研究実験を片っ端から取り締まったのだ。
桜と二人であっちこっちで大掃除。一体何人の首が飛んだのかは分からない。何人ものマッドな魔術士をぶっ飛ばして、森羅の塔には創立以来初となる秩序が生まれたのだ。
……まあ、これはあくまで焔鳥との約束を守るためのもので。当のシュガーも「あくまで一時的なものですよ」と言っていた。
もう、これだから魔術士ってやつは。懲りないだろうな。
「ノアー? 聞いてますか?」
「聞いてるよ、どうした?」
「どうしたも何も、魔王の話ですよ。聞きたがっていたでしょう?」
あー、そういえばそうだったっけ。
そもそも魔王に繋がる情報を探して、ここまで来たんだった。すっかり忘れてたけど。
「魔王のこと、教えてあげてもいいですよ。でも交換条件があります」
「なんだよ、勿体ぶるじゃないか。何でも良いぜ。私にできることなら何でもしてやる」
ここ数日はずっとシュガーの家にお世話になっている。あの日焼かれてしまったシュガーの大魔術師祝いもまだできていないし、今はもう魔法使いになってしまった。
だからシュガーが言う事なら、本当になんでもする気だった。
「言いましたね。もう拒否権は与えませんからね……!」
「お、おう……」
シュガーは這い寄るような喉に絡む声で、念入りに確認した。なんだなんだ、何を求めるんだ。ノアさんはちょっと不安になってきたぞ。
「何をして欲しいかはわからんが、あんまり時間がかかるのはちょっと難しいぞ。旅の続きだってしないといけないし。あ、そうだ。せっかくだしシュガーも一緒に来るか? つっても、魔国がこの惨状じゃそう簡単には――」
「……私の要求は以上です」
「!?」
結局何を求められることもなく、シュガーは満足そうにしていた。なんだったんだ。
「これは桜さん的にはやや地獄ですけど、シュガーちゃんはどうでしょう」
「えへへ。私は幸せなので、今回は無罪としましょう」
「シュガーちゃん、もっと言いたいこと言っちゃっていいんだぜ?」
「これでいいんですよ。いつか気づいてくれれば、それで」
「……?」
桜とシュガーの間に交わされるコミュニケーションの意味は分からないけれど。
そんなわけでシュガーは、大混乱な魔国をほっぽりだして私たちと旅をすることになったのだ。




