「い――っくぞボケがああああああああああああッ!!」
赤く朱く紅く燃える焔鳥と、癒龍の力を解き放った私が向かい合う。
上は豪雨。下は炎海。天災に等しい魔術と、天災を凌駕する魔法がぶつかり合う。
「お前が何にキレてるのかなんて知らねえけどよ! 無関係な人まで巻き込むのがお前の正義なのか! 何もかも焼き尽くすのがお前の炎なのか! 答えろよ!」
躊躇なく放たれた炎を掌底でかき消す。神獣種なら言葉は分かるはずだ。だが、そんなもの聞こえていないかのように焔鳥は振る舞い続ける。
何かがおかしい。何がここまで焔鳥を掻き立てる。いくら魔国の奴らがやらかしたからって、魔法を使うなんてやりすぎだ。
ふと脳裏に浮かんだのは――。凍狼に突き刺さっていた、濃密な瘴気を放つ呪具だった。
「――っ!」
考える暇も無く、焔鳥が真っ直ぐに突っ込んできた。
一瞬の肉薄。放たれる爆熱を氷の術式で中和し、焔鳥の突撃を生身で受け止める。
「そんなヌルい火で私を燃やせると思ってんのかよアホ鳥ィ!! もっと燃えろや!!」
クチバシを素手でつかみ、ぐるっと回してぶん投げる。出直してこい。
私は、正直、お前よりも。うちから燃え上がる魂のほうが熱くてしょうがないんだ。
(さあ、さあ、攻撃するのです! 魔力は足りていますか? もっともっと使いなさい! ほら、早く!)
「だっから黙ってろクソ蛇! 余計な魔力流し込むんじゃねえ! 大人しくしてろ!」
最大の敵は魂の中に居た。ふと思い出すのは、シュガーの実験台になったテンジクネズミ。今の私は|過供給(フェイズ3)くらいだろうか。
ああ、くそ。勇者の力ってのはこれだから嫌なんだ。
「い――っくぞボケがああああああああああああッ!!」
爆裂の魔術を足裏で発動させ、推力を得る。飛ぶ、というよりも吹き飛ぶのほうが正しい。
体にも心にも大きく負担をかけながら、強引に強引を積み重ねた弾丸のような肉薄。焔鳥が放つ熱も気にせず、正面からぶち抜いて殴り飛ばす。
空中での乱打、乱打、乱打。一撃一撃に魔力を込め、拳を振り抜くたびに魔術を放つ。鳥に格闘の心得など無いだろう。懐にさえ潜り込んでしまえば、後はこっちのものだった。
焔鳥は苦しそうに嘶くが、優位な距離は絶対に離さない。焼かれようと炙られようと構わず懐に潜り込み続け、位置を変えては殴り続ける。
そして、鳥の背面に陣取った時。生え変わった羽の裏に、それを見つけた。
「ははっ! やっぱりな!」
焔鳥の背に突き刺さっていたのは、凍狼に突き刺さっていたものとよく似た短剣。違いがあるならば、凍狼に刺さっていたものは黒い瘴気だったが、焔鳥に刺さったこれは白の燐光をまとっていることだろうか。
神獣すら狂わせる狂気のダガー。呪具への対抗術式を手に宿して、それを無理やりひっつかんだ。
「こいつさえぶっこ抜けば――ッ!?」
ダガーに触れた瞬間。
頭の中が。
声で塗りつぶされる。
正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義正義
執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行執行
断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪断罪
浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化浄化
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ――!
「――ちゃん! ノアちゃん! 避けて! 早くっ!」
モヤがかかったような曖昧な思考に、桜の声が割り込んできた。
わけもわからないままに癒術結界を構築する。大きな衝撃を受けて体が吹き飛び、高空から落下する。
ああ、くそ、マジかよ。分かった。分かっちまった。このダガー、呪具じゃなくて……!
「そう。呪具じゃないんだ」
ピタリと。唐突に。前触れ無く。
時が止まった。
世界から彩りが失われて何もかもが静止する。落下していた私も、羽ばたいていた焔鳥も、国を包み込む炎のゆらめきも、時間を喪失して運動を止める。
そんな閉鎖された時間の中、空間を割って歩くのは黒スーツの男。
狂乱の魔王。現れたそれは、ニィと口で弧を描いた。
「前の時に分かったよ。呪いの力では君の魔法には抗えないからね。世界樹の聖緑、本当に容赦がない魔法だよ。この僕が何一つ抵抗できなかったのだから」
言葉を出そうにも口は動かない。視線を動かすことすら叶わない。狂乱の魔王は、わざわざ私の目の前まで空間を歩み、なにもない虚空に腰掛けた。
「だから今回は聖具を使ってみた。焔鳥が持つ正義の心を増幅し、愛と勇気の力を与えた。分かるかい? あれは、世界を浄化するために不浄なる存在と戦っているんだ。つまり正義はアレにあり、悪とは君にある。それが、今回の幕引きだ」
お気に召してくれたかな、なんて言って狂乱は微笑む。
わけがわからない。神獣を狂わせるような聖具を何処から持ち出した? 因果律から追放された身で、どうしてこんなことができる? 何故それを私に教える?
こいつは――。一体、何がしたいんだ?
「君の疑問には一言で答えられるよ」
口元で描いた弧が深まる。邪悪に微笑み、狂乱は大きく手を広げた。
「そう、全ては狂乱ゆえに。万象は狂騒に始まって、狂乱の中で幕を引く。共に世界の終焉を彩ろうじゃないか、小さな勇者ちゃん」
パチンと指が弾かれる。唐突に世界に色が戻り、肌で風を感じ取る。
体が落ちる。世界が運動を始める。止まっていた時計が再び回り始める。
狂乱の魔王は目の前から消え去り、私は、この業火の空域に戻ってきていた。
「わっけが……わかんねえけど……ッ!」
浮遊魔術を高速多重展開。空中で制御を取り戻し、傷ついた体にフルセットの癒術を叩き込む。
額から流れる拳を血で拭う。少し目に入っていたが、痛みは気にならなかった。何度か瞬きをすれば、ぼやけた視界がクリアになる。
体勢を立て直したところで、ほうきに乗った桜が私の側に並んだ。
「ノアちゃん! 大丈夫!?」
「平気だ! それよりも桜! 頼みたいことがある!」
「斬るの!? 斬っていいの!?」
桜は慎重に私に尋ねた。斬ることはできるが、本当にそれをしていいのか、と。
「斬るのは焔鳥じゃないぞ。あいつの背中に小さなダガーが突き刺さっていた。先月の凍狼と似たものだが、私の魔法で砕ける性質じゃない。桜の魔法で、焔鳥を殺さない程度にあれだけを斬って欲しい」
「飛び回る鳥の背に突き刺さった小さな的か……。難しいね」
近づくことすら困難な相手だ。私の補助抜きでは接触する前に炎に焼かれる。
近接攻撃を得意とする桜にとっては正直相性が悪い。だが、私たちには、それくらいしか――。
「ちょっと、ちょっと待ってください! 待ってくださいよ!」
桜の後ろでシュガーが声を上げる。ああ、そうだった。シュガーには何も説明してなかった。
「それって神獣の力ですよね!? 大丈夫なんですか!? 魔法って言ってましたけど、使えるんですか!? 桜さんも!?」
「シュガー。後で全部説明する。今はこれに集中してくれ」
「でも……でもっ!」
こうしている間にも焔鳥は攻撃の手を緩めない。天空から飛来する隕石のような火球を蹴り飛ばす。話している時間もくれないようだ。
「やるぞ、桜!」
「おっけー、なんとかしてみるよ!」
パンパンパン、と桜と三回手を叩く。やるしかない。やるしかないんだ。
そんな私たちを見て、シュガーは帽子を目深に被って小さく呟いた。
「置いてかないでよ……ノア……」




