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「もう、涙も出ないや……」

 眠い目をこすりながら、漏れ出るあくびを噛み殺す。

 昨夜襲撃的に勃発した枕投げにより、私の安眠は無きものと化していた。とは言え日が昇ると目がさめるのは、染み付いた習慣によるものか。

 しゃっと、カーテンを勢いよく開く。温かい朝の陽が、躊躇なく室内を焼き払った。


「うぐっ……」

「のあー……やめてください……」


 床に転がる昨夜の襲撃犯二人が情けない声を上げていた。本当、何やってんだこいつら。

 気が向いたら起きろよーと声をかけ、一人で台所へ向かう。許せシュガー、勝手に食材使うぞ。


 ハムエッグとトーストを揃えて焼き、キッチンの棚から缶詰を引っ張り出した。

 魔国には中々珍しい食べ物があって、加工された食品が魔術圧縮されて空間保存された缶詰が普通に売られている。少し開けるのにコツがいるが、保存食としても便利なこれは魔力缶と呼ばれている。

 魔力缶から取り出したコーンスープを温めて、もう一度寝室へ。


「起きろー。ご飯だぞー」

「まだ……眠いよぉ……」

「おかーさーん……」


 泣き言を言いながら、二人はゾンビのように立ち上がった。浄化してやろうか。

 椅子に座り二人はもそもそと朝食を取る。私も食卓についた。


「ノアちゃんのご飯……いつ食べても同じ味がする……」

「計算された地味な味……」

「黙って食え、黙って」


 普通に焼いただけじゃないか。スープに至っては市場品だ。味に差異なんてあってたまるか。


「そうじゃないの……愛が足りないの……」

「この女には人としての情がないのですよ……」

「なんなんだよ、もう」


 散々な言われようだった。一体私が何をしたって言うんだ。

 ご飯も食べ終わって、顔を洗って、ようやく二人がしゃっきりしだして。

 さあこれからどうしようか、っていうタイミングで、私は切り出した。


「そういやシュガー。シュガーに渡したいものがあるんだよ」

「……? なんですか?」

「ちょっと待ってろ」


 空間魔術を開き、異次元空間をごそごそする。

 えーと、どこしまったっけ。ああこれだ、あったあった。


「よいしょっと」


 引っ張り出したのは両手で抱えるほどのサイズの紙箱。

 エリクシルで購入して、ここまで空間保存して持ってきたものだ。


「ノア……まさか……」


 少し潤んだ目でシュガーは私を見る。にっこり笑って、それに答えた。


「シュガー、誕生日おめでとう」

「…………」


 シュガーは、すごく、すごーく微妙な顔になった。


「ノアちゃん……。誕生日じゃなくて、大魔術師メイガスだよ」

「あ、やべ。そうだった」


 桜がそっと耳打ちする。なんで知ってるかは分からないけど、そういえばそうだった。

 私はこほんと咳払いして、仕切り直す。


「……シュガー。大魔術師メイガス就任、おめでとう」

「いまさら遅いですよっ!」

「本当ごめんって……。いや、ほんとに。ずっと覚えてたんだけど、昨日は色々あったからさぁ」


 そういうとこやぞ、って目で桜が私を見ていた。

 これは私が悪い。素直に頭を下げた。


「エリクシルのシュクレって洋菓子屋のケーキだ。甘いの好きだったろ?」

「……ありがとうございます。夜、一緒に食べましょうか」

「ああ、そうしよう」


 少し拗ねながらも、シュガーはそれを受け取ってくれた。

 ほっと一息。ついた。その時。

 窓からビシュッと差し込んだ熱線が、凄まじい勢いでケーキの紙箱を焼き払った。


「…………」

「…………」

「…………」


 無言が訪れる。焼き焦げた紙箱がぐずぐずと焦げ落ち、床に黒い炭を作る。

 何が起こったかは分からない。分からないけれど、私と桜は、シュガーの様子が無性に気になった。


「……あはは」


 気丈にも彼女は笑っていた。見惚れるような美しい笑みで、ゆっくりと天井を見上げて。


「もう、涙も出ないや……」

「シュガー! 今度一緒に美味しいもの食べに行こう! お祝いだ! なんでも奢ってやる!」

「そうだよ! 三人で国中の美味しいもの食べつくそう! ね! ノアちゃんあげるから!」


 全力だった。全力のフォローだった。なりふり構ってられなかった。

 わいのわいのと騒ぎたてると、シュガーはぐしぐしと目元を拭った。元気だして。ノアさんはシュガーちゃんが心配で心配でしょうがないよ。


 カッと外が輝いて、再びの熱線が窓枠を溶かす。ああもう、クソ。さっきからなんなんだよ。私のシュガーを泣かせたのはどこのどいつだ。

 窓から見上げた空の遠く。魔国を覆う大結界の上空に、それは居た。


 鮮烈に光り輝く聖なる光。中天へ浮かぶ太陽よりも眩しく、神々しく輝くそれは、巨大な鳥の形をしていた。

 燃え上がるような鮮烈な朱を引いて空を舞い、焼き付くような印象を空に描く。その鳥の体は絶えず燃え盛り、炎の中で幾度となく蘇り続ける。


 苛烈な正義にその身を焦がす、紅蓮の大翼。

 太陽の神獣、焔鳥フェニックス。


 恐怖よりも、何よりも。不思議と私は、ただ美しいと感じた。


「おいおい……なんだよ……」

「ノアちゃん、これは?」


 桜に聞かれるが、分からない。状況は分からないが、とにかく私は外に出た。

 魔国が焔鳥の襲撃を受けている。ハニカム構造の大結界がなんとか攻撃を防いではいるが、それをも貫いた攻撃が街中に被害を出していた。


「なんで焔鳥が人を襲う? あれは正義の神とも言われるくらい善悪に敏感な鳥だ。人間の街を襲うなんて、よっぽどのことをしない限りは……」


 よっぽどのこと。

 ふと思い当たる節があって、振り向いてシュガーの顔を見る。

 たとえば。シュガーがやっていたような、実験動物に大量の魔力を流し込む行為は、よっぽどのことではないだろうか。


「違います、違いますよ! 私のせいじゃないです! あんなの序の口に過ぎません!」

「……序の口?」

「他の魔術士たちはもっとエグいことやってますもの! 最も効率よく生命を壊す魔術を開発したりだとか、魂を摘出してぐちゃぐちゃにかき混ぜたりだとか、大地に流れる地脈を都合よく操作しようとして失敗させただとか、禁術実験したら霊峰をふっとばしただとか!」

「全部アウトだよ! いい加減にしろグリモワール!」

「あなたたちエリクシル人にはわからないんですー! 未知を求めて深淵を覗き込み、狂気すらも魔術に変えるのが私たちなんですー!」

「ばーか! ばーか!」

「あほー! まぬけー!」


 最後は子どもの喧嘩になった。桜が「すていすていすてーい」と仲裁に入る。

 くっそ、こんな国、いっそ焼かれちまえばいい。そう思いつつも結局は十字短剣を構えた。


「止めるぞ!」

「おっけい、そう来なくっちゃ!」

「ノアがくれたケーキの恨み……! たとえ神獣だろうと、ハラワタかっさばいてフライドチキンにしてやりますよ!」


 一人、凄まじいまでのやる気を放っていた。またいつか買ってくるから。落ち着いてね。

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