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「高架の闇を切り裂いて飛ぶ疾風の機獣」

 オモチャを手に入れた子どものように振り回すかな、とも少し心配したけれど。

 桜は至って丁寧に、くるくると空飛ぶほうきフライング・ブルームを乗りこなしていた。


「よっ……ほっ、と」


 真っ直ぐに飛ぶだけのほうきブルームを重心移動で制御し、小さな弧を細かく刻む。うねった通路(空路と呼ぶべきか)をするすると抜ける桜は、初めてとは思えないほどに上手だった。

 そんな桜の呼吸に合わせて、私も魔力量を適宜調整する。カーブに合わせて緩急を調節し、真っ直ぐな道では思い切り伸ばす。何度か道を曲がる頃には、桜がどうしたいか分かるようになってきた。


「上手いな、桜。こういうの乗ったことあるのか?」

「んー。向こうではバイク乗りだったから」

「バイクって?」

「――高架の闇を切り裂いて飛ぶ疾風の機獣、かな」


 なぜだか桜はキメ顔だった。ハードボイルドな顔をしていた。

 バイクってものが何なのかは分からないが、心得があるのは本当らしい。ともすれば桜、私よりもずっと上手かった。


「待って……ちょっと……桜姉さん……! 速すぎ……!」


 後ろをへろへろとシュガーがついてくる。シュガーの飛び方も決して遅くはないが、桜がそれ以上に速すぎる。

 無理をして速度を出しすぎたか、シュガーはカーブで曲がりきれず大きく膨らむ。真っ白な内壁へと、吸い込まれるように突っ込んでいったのを見た時、私たちは既に反応していた。


「わ、きゃっ――」

「桜!」「ノアちゃんっ」


 互いの言葉が交差する。桜は最小限のターンでくるりと回転し、私は魔力をほうきブルーム魔力炉エンジンに送りつける。

 急激に魔力炉が唸りを上げ、急加速。一瞬で風景がすっ飛んだかと思うと、次の瞬間には壁とシュガーの間に割り込んでいた。


 そこからの一瞬。意識が加速する。


 伸び切った速度を殺すべく、桜は無茶な機動でほうきの機首を持ち上げる。ほうきブルームのベクトルは真上へと切り替わり、体にガクッとGがかかった。

 呼吸を揃えて私も全力ブレーキをかける。不安定な機動で速度を殺したが、桜は制御を失わない。半分ほどその場で宙返りした状態で、ピタリと停止した。


「良い腕だ」

「任せたよ」


 刹那の交錯。ここまできたら十分だ。突っ込んでくるシュガーに対して、音速で癒術を編み上げる。


「癒術防御・軟式――!」


 結界術式を展開し、柔らかくシュガーを受け止める。同時に魔術炉を再点火すると、桜が推進力を操作して、崩れかけたバランスを器用に保持した。

 一度近くの浮き部屋まで飛び、そこに着地する。危ないところだった。


「わ、わ、わ、わ」

「大丈夫だ。びっくりしたな。怪我は無いか?」

「……ノア。下ろして、ください」


 抱きとめていたシュガーを床に下ろすと、ぺたんとへたりこんだ。

 怪我は無いみたいだ。大事なくてよかった。


「不甲斐ないところをお見せしました……」

「いや、すまん。私たちも調子乗りすぎた」

「シュガーちゃん、ごめんねー。大丈夫?」


 桜がぺたぺたとシュガーの頬を触ると、シュガーはぎこちない笑みを作った。いや、本当ごめん。

 シュガーはそろそろと立ち上がり、自分のほうきにまたがる。


「……行きましょうか」

「ゆっくり飛ぼうね、ゆっくり」


 それからはシュガーの速度に合わせて、私たちはゆっくりと塔の内部を飛んだ。



 *****



 森羅の塔の内部は、外から見るよりもずっと広大だった。

 上へ向かっても頂上には近づかず、下に飛んでも最下層にはたどり着かない。

 飛びながらシュガーが「必要に応じて時空間をリアルタイムで延伸させているんですよー」と言っていた。簡単に言うが、原理は私もわからない。


 上に行ったり、下に行ったり、右にも左にも行ったり、時空の境目を通り抜けたりすることしばらく。


「ここです」


 人気も無くなってきた暗い通路で、シュガーは初めて止まった。

 魔力炉の火を落とし、すたっと着地。独特の歩調でかかんと床を踏み、壁を四回ノックした。


「お前は誰だ」


 しわがれた声がどこかから聞こえてくる。シュガーは平然とそれに答えた。


「私はスズメ。私が射った。弓で、矢羽で、駒鳥を射った」

「ようこそスズメ。今日は駒鳥のお葬式」


 壁が渦巻き、門となった。ねじれた時空間がどこかに繋がる。

 随分と手の混んだ仕掛けだ。それだけ、この先に隠されているものが大切なのだろう。


「入ってください」


 誘われた先は薄暗い通路。深淵へと繋がるような長く暗い道には、照明一つ存在していない。

 シュガーは袖からチケットを取り出し、同じく取り出した羽ペンを走らせた。一瞬だけ燃え上がったチケットはゆらめくように消えていく。気がつけば、私たちの足元にぼんやりとおぼろな光を放つカボチャのランタンが置かれていた。持ち手にはコウモリの意匠があしらわれている――シュガーの趣味なのか?


「さっきからすごいな。どういう魔術なのか見当もつかない」

「ここは魔術士たちの聖域、森羅の塔です。この塔の中では、あり得ないことはあり得ない」


 ランタンを揺らして歩きながら、シュガーは得意げに言う。救華の信念が『何としてでも人を救う』ならば、森羅の塔は『何としてでも謎を明かす』だ。


「いいなー。私も魔術っての、使ってみたい」

「桜姉さんは……ああ、そういえば、魔力が無いんでしたっけ」

「知ってるのか?」


 シュガーには、桜のことは簡単にしか紹介していない。名前と、一緒に旅をしていることだけだ。

 異世界からやってきたことだとか、魔法が使えることだとか、勇者疑惑があるだとか、そんなことは何も教えていなかった。


「桜さんの検査結果を確認しました。魔力が使えないのではなく、魔力そのものを検出できない。非常に興味深い現象ですね、私どもの間でも、もっぱら議論のタネとなっております」

「耳が早いことで」

「ノア、彼女について何か知っているでしょう? 教えて頂けませんか?」

「んーっと」


 桜の方を見る。にっこり笑って、「いいよー」なんて能天気なことを言っていた。


「連れてって解剖したりしない?」

「……ノア、私たちを何だと思っているのですか。貴重なモデルケースをむやみに傷つけるなんて、魔術士として恥ずべき行為です」

「そこは人としてって言ってほしかった」

「理を歪めるのが魔術士です。人道が人を縛るなら、私たちはそれすらも歪めましょう」


 その言葉は救華として、癒龍国エリクシルが誇る世界最大の人道組織に属する人間として、聞き逃がせるものではなかった。


「人道は人を縛らない。それは人々にとって救いであり、道標だ」

「道なんて自分で作ります。私たちにはそれだけの力がある。ノア、あなたもそうでしょう」

「だからこそ力なき人々を導くんだよ。この世界は強者だけのものじゃない」

「そうしたければそうすればいい。私には、それよりも知りたいことがある」

「え、え、え? 二人とも、急にどうしたの?」


 徐々にヒートアップする議論の間で、桜がおろおろとしていた。

 すまん、許せ、桜。確かにさっきまで私たちは桜の話をしていた。でもな、人には譲れないものだってあるんだ。


「差し伸べる手が必要な時なんてどこの誰でもあるだろう」

「私はそれを否定しません。ですが、肯定もしませんよ。人はもっと自由であるべきです」

「その自由は混沌と裏合わせだ」

「でしたら、秩序と束縛は同一であると言いましょう」

「ちょっとちょっと、待って待って! すとーっぷ!」


 止まらなかった。止まる必要すらなかった。

 癒龍国エリクシルと魔皇国グリモワール。救華と森羅の塔。癒術士と魔術士。人道主義と物質主義。

 実は、この両者。正反対の理念を持つがゆえ、とても仲が悪い。


「シュガー。行き着いた果ての世界には何がある」

「それは誰にも分からない。だから私たちは求めるのです」

「私は何があったって構わないと思っている。ただ、一つだけ、絶対に存在しないといけないものがあるんだ」

「……人、ですか」

「そうだ。そこに生きる人がいなければ、全ての答えは意味を失う」


 シュガーは少し考え込む。それから、ふっと、頬を緩めた。


「相変わらずですね、ノア」

「相変わらずだな、シュガー」


 正反対がゆえに仲が悪い。それは、私とシュガーの間には当てはまらない。

 私はシュガーの考え方、結構好きだったりする。きっとシュガーもそう思っているだろう。


「……? 喧嘩じゃないの?」

「すまん。面倒くさいんだよ、私たち」

「自分で言いますか。私も同類ですけれど」


 互いが互いに無いものを持っている私とシュガーは、これで結構仲が良かった。

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