「そういうとこやぞ」
ちなみに狂乱の魔王は、食べ終わったらさっさと帰った。
不可思議な消え方をするでもなく、ドアを通って歩いて帰った。
「結局なんだったんだあいつ」
「カレー食べたかったんだよ。カレーは平等だから」
「その謎理論もなんなんだよ……。うう、食べ過ぎた。気持ち悪い」
「ちょっと休んでいこっか」
桜に手を引かれ、ベンチに腰掛ける。あー、もー。美味しかったけど当分はご免だ。
横になって体を休めていると、カレーで火照った体を6月の風が撫でていく。心地よい。旅の疲れもあって、体力に恵まれない体が急激に眠気を訴えだすくらいには。
「桜ー……」
「はいはい」
ダメだ、このままだと寝そうだ。そんなことを訴えたつもりだったが、何を勘違いしたのか桜は私の頭をちょいと持ち上げると、自分の膝の上に乗せた。
膝まくらであった。桜は満足そうだ。寝ろと言うのか。
眠気に逆らう気力も徐々に薄れてきて、うつらうつらと目を閉じる。
そんな時、たん、と軽い足音が聞こえた。
「そんなところで寝たら、風邪ひきますよ」
少女特有のオクターブが高い声。落ち着きの中に、少しだけ険のある声だった。
この声には聞き覚えがある。以前魔国を訪れた時に、この声で何度もきぃきぃとどやされた覚えが。
有り体に言ってしまえば知人だ。眠気に侵食された私のシナプスも、眠いなりにそこまで結論を叩き出す。
が。
そんなことどうでもいい。そう思えるくらいには、私は眠かった。
「おやすみ」
「へ、え? あ、はい、おやすみなさい……じゃなくて!」
狼狽していた。桜とはまた別の意味で分かりやすい声だった。
仕方ないからゆっくりとまぶたを持ち上げる。真っ黒なドレスローブを纏い、つばの広い帽子を目深にかぶる、私と同じ年頃の少女。垣間見える紅の瞳は少しだけ不安そうに揺れ、私の顔をじっと見つめる。薄紅色のショートヘアが彼女の少女らしさを殊更に引き立てていた。
「よっす」
挨拶をしてみる。少女は、こほんと咳払いをして、少し落ち着きを取り戻した。
「久しぶりですね、ノア。こちらに来ていたことは知っていましたよ。残念でしたね、この国に居る以上あなたの居場所は筒抜けです。観念して早く私に会いにくればよろしいものを――」
「おやすみ」
「……え、ちょっと、待ってください。寝ないで、ねえ、ノア?」
そんなこと言っても眠いんだもん。桜ー、ごめんー。私寝るわー。
完全に睡眠モードに入った私の頬を桜が優しく撫でる。やめろよー、くすぐったいなー。
突如、肩をがくがくと揺さぶられた。
「おー! きー! ろー!」
「なあああああっ! 何すんだ、待て、ストップ! 吐く! 吐くから!」
無理やり叩き起こされて、渋々体を起こす。あーもー、眠いのに、もう。
あくびを噛み殺し、感じた疑問をそのまま突きつけた。
「シュガーじゃん。こんなところで何してんの?」
「だからっ! ノアがいつまで経っても会いにこないから、迎えに来たんじゃないですかー!」
「……なんで?」
この少女のことは知っている。知っているが、さりとて魔国に来て真っ先に挨拶するような仲でもない。
半ば本気で疑問に首を傾げていると、桜がちょいちょいと私の頬をつつく。
「ねえノアちゃん、紹介してよ」
「あー、そうだった。すまんすまん」
完全に桜を放ったらかしにしてしまっていた。ごめんごめん。
「シュガー・ラブ。私の友達で、最年少の大魔術師でもある。もっと言うなら魔国の勇者だ」
「ふん、私を知らないなんてとんだモグリも……友達!? ノア、今、あなた、真っ先に友達って言いませんでした!?」
「え、まずかったか?」
シュガーは愕然としていた。なにかまずいこと言ってしまったらしい。シュガーはちょっとつっけんどんな所があるし、友達扱いは早かったかも知れない。
かと思うと、シュガーはつばの広い帽子を目深に被り直して顔を隠していた。垣間見える耳が、ちょっと赤かった。
「なるほど。ノアちゃん被害者の会か」
桜はシュガーの肩を優しく叩く。シュガーの耳はますます赤くなった。何かが通じ合ったらしい。
よくわからないけれど、私はただただ小首をかしげていた。
*****
「久しぶりだなシュガー。元気してたか?」
眠気もある程度飛び、思考能力を回復した私はコミュニケーションを行うことにした。
若干袖にしたことを恨んでいるのか、シュガーは恨めしそうな顔でクレープを舐める。シュガーはまだお昼を食べていなかったらしく、「一緒にお昼を食べましょう」と誘われたが、私たちはしこたま食べた後だ。
タイミングが妙に悪い。仕方ないのでクレープ屋に落ち着いた次第だった。
「元気してたかーじゃないですよ、まったく。でも、ノアも相変わらずですね。背が低いのも含めて」
「シュガー、一口食べるか?」
「え、いいんですか? いただきます。わーい」
私の手に持つチョコレートクレープを与えると、シュガーは無邪気に喜んだ。なんかノリで付き合ったけど、正直もう一口も入らないんだ。
「シュガーちゃん、質問してもいーい?」
「いいですけど……ちゃん? シュガーちゃん、私ですか?」
「ダメかな?」
「あ、いえ、是非とも! 是非ともシュガーちゃんでお願いします! シュガーちゃんです!」
シュガーちゃんが気に入ったらしい。そうか、じゃあ私もシュガーちゃんって呼ぼう。
「……ノアは、だめ」
「ダメなのか? シュガーちゃん。可愛くていいと思うぞ」
「だめ。呼び捨ての方が、ノアっぽいもん」
よくわからないが、妙にこだわっていた。名前の呼び方にこだわりポイントがあるらしい。シュガーのツボは分からなかった。
「シュガーちゃん、今何歳?」
「8歳です。ノアと同い年ですよ」
「ノアちゃんとはどういう関係?」
「友達……って、言ってましたけど。馴れ馴れしくて困っちゃいますよね」
「ノアちゃんよりも仲いい友だちいる?」
「いませんけど……。あ、いえ、違うんです! 友だちがいないってわけじゃないんです! ただノアが特別ってだけで、え、あ、ああっ、私何を――」
「うんうん、わかるよー。それでそれで、ノアちゃんのことどう思ってるの?」
「まって、まって! なんでそうクリティカルな質問ばかりするんですか!?」
クリティカルな質問らしい。どのあたりがクリティカルなのかよくわからないが、桜は勝ち誇っていた。
「桜お姉さまと呼びなさい」
「くっ……。勝てない……!」
上下関係まで構築されていた。なんなんだよ。二人して楽しそうだな。
「大丈夫。悪いのはノアちゃんだから」
「ですね。全部ノアのせいです」
「どういうことだよ」
よくわからなかった。チョコレートクレープをほんの一口だけ舐める。甘くて胸焼けしそうな味がした。
「シュガー、一口食べるか?」
「……そんなもので買収されませんからね。でもいただきます」
私が差し出したクレープをかじると、シュガーはぱっと顔を輝かせる。顔がもう美味しいと言っていた。
「ふふ、ここのクレープは魔国でも随一のお店なんですよ。この味を知らずして魔国は語れません」
「そうだな。こんなに美味しいクレープなんだ。シュガー、もう一口食べてくれ」
「あの、さっきから私に食べさせようとしてませんか?」
「違う。私はただ、シュガーが喜ぶ顔が見たいんだ」
適当なことを言って押し付ける。お腹いっぱいなの。食べてよ。
さっきまで喜んで食べていたシュガーは、なぜだか石のように固まっていた。帽子を目深に被り、クレープを手にもじもじとしている。
「ノアちゃん」
「? なんだ、桜」
「そういうとこやぞ」
「……なにが?」
桜は私の頬をむにむにとつまむ。なーんーだーよー。やーめーろーよー。
結局シュガーは、手にもったクレープが溶けそうになるまで、しばらく再起動しなかった。




