「店長、幼女様にヨーグルトを」
水路が巡る流麗な街並みを、昼夜を問わず灯された魔力灯がすっきりと照らす。
立ち並ぶ曲線を基調とした建造物は、実のところ骨組みにしか実体がない。壁や床なんかは、水路を伝って循環される都市魔力を用いて投影されたもので、ぼんやりと魔力の銀光を放っていた。
「わー……。異世界だー……」
そんな今更な感想が桜の口を突いて出ていた。
この街並みは魔皇国グリモワール特有のもので、エリクシル育ちの私にとってもあまり見慣れない。常々思っていたけれど、異世界人とは言え私たちの感性はよく似通ていた。
「ねえねえノアちゃん」
「どうした? 斬りたくなったか?」
「うん!」
そっかー。斬りたくなっちゃったかー。
私は桜の横腹を小突いた。だんだん桜の思考回路も分かってきた。
とりあえず、見慣れないものがあればまず斬りたがる。危ない人だった。
「ノアちゃん? 冗談だよ?」
「……本当かぁ?」
「無機物斬っても面白くないし。どうせ斬るなら有機物だよねぇ」
前言撤回。こいつ私の予想よりずっとやばい。
「それよりも桜、腹減ってないか? せっかく着いたんだし、何か食おうぜ」
「乗った!」
食べ物で釣れば気は逸れる、と。おーけーおーけー。私の中の桜メモに追記しておく。
何食べたい? 何でもいいよ。そういうのが一番困るんだよなぁ。じゃあオススメで! 地元じゃない街でオススメを求めるとは難易度が高い。ノアちゃんが食べたいのは? 何でもいい。同じじゃん。
そんなことをわいのわいのと話しながら、桜が一つの店を指差す。
看板には、極限スタミナ爆撃亭と書いてあった。
「……桜、あれか? あの店のことを言ってるのか?」
「うん。なんか、面白そうじゃない?」
いや……まあ……その……うん……。
目を引く店名では……ある……。
「行こうよ。ね?」
「あー、うん、分かった」
嫌な予感をひしひしと感じつつ、店の扉をがらっと開ける。なぜか引き戸だった。
店内に人は少ないというのに、妙な熱気が肌を叩く。飾り気の無いカウンターテーブルに、これまた無骨に置かれた丸太椅子。床は油でも引いたんじゃないかと思うくらいにはベタベタとしていた。
「らっさい」
愛想無く出迎えてくれたのは、太い腕を豪快に組んだいかつい店長。髪一つない頭には紺色の三角巾をギチっと締めている。
190cmはあるんじゃないかという大男に出迎えられ、私の顔は盛大に引きつっていた。
「桜? ねえ、桜さん? やっぱりここはやめません?」
声が上ずる。敬語だった。なぜか。
やめようよー、帰ろうよー。ここ絶対女子供が来ていい場所じゃないよー。
そんな泣き言も聞き入れてもらえず、桜は私の手を引いて店内に踏み込んでいく。気に入ったようだった。
「ノアちゃんノアちゃん、何食べよっか?」
「お水とか……サラダとか……そういうのがいいです……」
「今日はカレーフェアだってー。カレーしかやってないみたいだよ?」
店内に据え付けられたメニュー板を指差して、桜はにこやかに笑う。
その下には絶え間なく蒸気を放つ、巨大な寸動鍋が2つ。中ではどろりとした濃厚なカレーが揺蕩っている。あれが私の処刑具らしい。
待ってくれ桜。今一度考えてくれ。確かに私はこういう性格だ。年齢不相応だというのは自分でも分かっている。
それでも、食が細い八歳児にこれを食わせようっていうのはいくらなんでも酷じゃないか。
「もっと、こう、存在としてか弱いものが食べたいよぅ……」
「いっぱい食べなきゃ大きくなれないぜ」
「人が気にしていることを……!」
何が何でも桜はこの店にするようだった。私は盛大に慄いていた。
せめて少しでもマイルドなものをと探していると、隣のカウンターに座る男が声をかけてきた。
「爆撃亭のカレーはどれも美味しいけど、スタミナ焼豚カレーの生卵トッピングがオススメだよ。是非とも味わってほしい」
「あ、じゃあそれにしよ。すみませーん! それ2つくださーい!」
私の分も桜は勝手に注文する。この時の私は、自分でも不思議に思うくらい穏やかな気持ちになっていた。
にっこりと笑って隣を向く。やあ、余計な入れ知恵をしてくれてどうもありがとう。
殺す。
「やあ」
「……お前、なんでここにいる」
余計な入れ知恵をしてくれた男は、ピッチリとした黒いスーツを着ていた。
特徴を極めて掴みづらい平凡な顔に、特徴をなぜだか掴めない黒髪。笑っているはずなのに笑っていないような、どこまでも不透明な本心をまっすぐに表した表情。
狂乱の魔王。
先月私たちの前に姿を表した邪悪の源が、飯屋に居た。
「お前なんでここにいる!?」
「同じ質問だね」
「いや、待て、待ってくれ。先月めちゃめちゃ意味深な感じで消えたじゃないか! なんでこんな場所に居るんだよ!」
こんな場所、と言われた店長が少し動揺している気配がした。でも、そんなことには構っていられなかった。
「今日はオフだから」
「オフ過ぎだ!」
「じゃあ、君に会いたかったからじゃあダメ?」
「塵も残さず消し飛ばすぞ」
店内で術式を編もうとした私を、店長がぎょっとした目で見ていた。
救華の名を背負う者として、店に迷惑をかけるわけにはいかない。術式を霧散させて席につくと、店長はほっと胸をなでおろした。
「まあまあ、ノアちゃん、落ち着いてよ。カレーは平等だから」
「だからなんだよ、少なくとも8歳女児には平等じゃねえよ……」
ああもう、桜は桜でカレーのことで頭がいっぱいかよ。なんか私も、色々とどうでも良くなってきた。
「ノア、辛いのは苦手なのか? だったらヨーグルトを頼むと良い。大分食べやすくなるから」
「ファーストネームで呼ぶな、狂乱」
「じゃあなんて呼んでほしい?」
「どうでもいいわ」
「店長、幼女様にヨーグルトを。後ミルクも」
「分かった! 分かった! ノアでいいから! それはやめろ!」
だから幼女って呼ぶなっつってんだろうが……!
突っ込むのにも色々と疲れた頃、ついに例のブツがテーブルに置かれる。
堀の深い皿にこんもりとよそわれた白米の隣に、泉のようなルーがどろりと広がる。その上には焼豚が何枚も重ねられて、頂上には生卵が堂々と乗っかっていた。
小皿に入ったヨーグルトと比べると、あまりの異様なそれに、私の表情は完全に固まっていた。
「お、来た来た」
「いただきまーす。あ、これ、結構辛いね」
カウンターの左右に布陣する、異世界人と魔王は余裕の表情で山を削りにかかる。
その中央に挟まれた私。何を隠そう勇者である。
覚悟を決めなければならなかった。
「…………」
突貫したそれは、完全に未体験のものだった。
炸裂した味の爆撃が舌を焼き、濃厚に濃厚を重ねがけしたような情報の洪水が脳を突き抜ける。かつてこれほどまでに衝撃的な食べ物を口に運んだことがあっただろうか。いや、無い。
知らない味だ。だが、これは……。
「悪くない、っていうか美味しい」
そう呟くと、店長は満足げに頷いた。美味しいよ、これ。
辛いし、重いし、食べにくいし、でも美味しい。ヨーグルトの力を適度に借りながら、少しずつ減らす。
結局全部は食べ切れなくて、最後は桜に手伝ってもらったけれど。たまには、こういう店も悪くないなって思った。




