「今宵のむーたんは血に飢えてるぜ」
整備された街道をしばらく歩くと、大きな都市が見えてくる。
いくつものハニカム構造が折り重なった結界に覆われた都市。内部には白亜の巨塔がいくつも立ち並び、統一された美しさを見せた。
「わあ……」
桜が声を上げるのも分かる。大陸で最も洗練された都市の名は伊達ではない。
魔皇国グリモワール。魔術研究の中心地にして、先端魔術の発信拠点だ。
「すごいね、とても綺麗。あの真ん中にある大きな塔って何かな?」
「あれが魔国のシンボル、森羅の塔だ。魔国でも選りすぐりの魔術士が集う最先端の魔術研究施設。森羅万象をも観測してみせる、と謳っている」
「行ってみたい!」
「観光施設じゃないんだ。入るのは難しいぞ」
「ええー……」
恨めしそうな目で見られても私にはどうにもできないよ。
街へと通ずる陸橋を渡ると、結界の境界にある検問所にたどり着いた。
ゲートのような装置を、旅人がウォークスルーで抜けていく。検問所の役割を為していないようにも見えるが、あの装置こそが魔国における鉄壁の門番だ。
「魔国では独自の入国審査をしていて、検閲所を渡る時に魔力波長を計測するんだ。問題ある波長だった場合、結界が収束して入国を拒絶されるシステム。でもな、ここで困ったことが起こるんだよ」
「ん、何かまずいの?」
「私の魂にはウロボロスがいる。一人の二種類の魔力波長、それも片方は神獣種だ。そんなもの計測しようものなら莫大な魔力量を検出して、計測器がぶっ壊れる。というかぶっ壊した」
初めて魔国を訪れた時のことだった。
まだ7歳だった私が計測器をぶっ壊したことで、検問所は大パニックに陥った。神獣種が検問所を突き破ったなんて噂が飛び交い、プロの魔術士まで出払ってきた程だ。
「ちょっとした魔術戦なんかも繰り広げたぞ。信じられるか? 7歳の女の子に対して、プロの魔術士が束になってかかってきたんだ」
「それでそれで、どっちが勝ったの?」
「私」
「7歳大勝利かー……」
まあ、これでも勇者だからね。
ちなみにその一件以来、私は魔国の魔術士に恐れられている。ごめんて。
「まあ、そんなわけだから。また計測器ぶっ壊しても悪いし、私たちは別口から行こう」
「はいはいはい! 魔力計測やってみたいです!」
「だから神獣飼ってるとぶっ壊れるんだって」
桜の正体は不明だが、自己申告によると私と同じく勇者の可能性がある。
実は、それを調べるのも魔国を訪れた目的の一つだ。
桜を連れて詰所に行くと、真っ昼間から居眠りをこいている魔術士が一人。
存分に安寧と惰眠を貪ってらっしゃった。
「おい、おい、起きろ」
「ん……。ああ、なんだ……? 旅人ならあそこのゲートを通ってくれ」
「通ってもいいが、またぶっ壊すぞ」
「そんなゲートをぶっ壊すなんて、あの“七災”じゃあるまいし……」
「私の顔を忘れたか」
そこで魔術士は大きなあくびを一つ。目をこすり、大きく伸びをする。
ぱちくりと瞬いた目が、私に焦点を合わせた。
「……“七災”!? まさか、貴様、ノア・スカーレットか!」
「もう七災じゃないぞ」
「白衣の悪魔め……! 一体何をしに来た! 誕生日おめでとう!」
「ありがとう。入国を頼む」
「承りました。少々お待ちください」
普通に頼むと、普通に仕事モードに入った。
中々に面白いあんちゃんだった。助かるよ。
「ちょっと魔術使うからなー。手出してくれ」
言われたままに手を出すと、魔術士が私の手の甲に紋様をなぞる。
刻印魔術か。ゲートの代わりに、これで管理するらしい。
「痛いの痛いのとんでけー」
「別にどこも痛くないが」
「なあ、アメ食うか? ケチャップ味とマヨネーズ味、どっちが良い?」
「お前私のこと子供扱いして――なんだそのアメ。ちょっと気になる」
「ほれよ、持ってけ」
両方とも貰ってしまった。わーい。後で桜と食べよう。
「で、この人も入国したいんだが」
物珍しそうにキョロキョロとしている桜を指差す。
「ああ、だったら普通にゲートをくぐってくれ」
「良いのか? ぶっ壊れるぞ?」
「俺たちのゲートをぶっ壊せるのは、八災の嬢ちゃんだけだぜ」
魔術士はパチンとウィンクをかます。妙にいいキャラしてやがった。
「あいつな、私と同じで勇者の疑いがある」
「これマジ?」
「魂に神獣飼ってる疑惑がある。念の為調べてほしい」
「了解した。ちょっと待ってろ」
魔術士の兄ちゃんは通信鏡を使い、何処かへと連絡を取る。この場ですぐに検査、とはいかないらしい。
「森羅の塔から応援を呼んだ。これから簡単な検査をして、問題がなければ波長を登録して入国という手続きになる。良いか?」
「簡単な検査の詳細を教えてくれ」
「全128項目からなる魔力波長観測実験だ。勇者級のデータは喉から手が出るほど欲しいからな。八災、君も受ける気は無いか?」
「超簡単な検査にしてくれ、と要望があったと伝えろ」
「……ケチ」
魔国の魔術士というのは、どいつもこいつもデータに飢えている。私も以前に計測器をぶっ壊した時、ついでとばかりにあれこれと協力させられた。
いちいち付き合っていたら、入国する頃には日が暮れてしまう。流石にそれはやってられない。
待っている間、備え付けのベンチに腰掛けてアメを舐める。桜は迷いに迷った結果、マヨネーズ味を選んだ。
ケチャップアメの絶妙な塩気に顔をしかめていると、桜はゲートをじっと見ていた。
「私も、ゲート壊してみたかったなぁ」
危ないことを呟いていた。
「あのゲートを斬ったら魔術士と戦えるんでしょ? ねえノアちゃん、斬っていい?」
「ダメ」
「だよねぇ」
大変好戦的だった。良識はあるんだけど、桜はたまにすごいことを言い出す。
桜が血気にはやったら私が止めよう。私はいつかの誓いを思い出した。
「……桜。どうしても我慢できなくなったら、私が相手するからな」
「え、え、え。どういう意味?」
「体がうずいて仕方ないんだろ。大丈夫だ、私も心得はある」
「どういう意味なの!? ねえ、ちょっと!?」
言わなくても分かってる。戦の心得があるものとして、戦うことはアイデンティティそのものなのだろう。
あれだけの剣術を持つ桜だ。より強いものと戦いたいという欲求は、あって然るべきだった。
「違うの……。ノアちゃんは私を誤解してるよ」
「違うのか?」
「私はただ、天斬寺流剣術がこの世界でも最強だってことを証明したいだけで。本当は心優しい少女なんだよ」
「心優しい少女は最強を証明したがらない」
「へへへ。今宵のむーたんは血に飢えてるぜ」
桜は言い訳を諦めた。素直に楽観的なバトルジャンキーだった。
「染み付いた技術は決して裏切らない。積み重ねたものがどこまで通じるか、試さないと気がすまない。ね、ノアちゃんだってそうじゃない?」
「私はむしろ力を捨てたいんだって」
「力と技術は別物だよ。勇者の力は与えられたものでも、癒術士の技術は積み重ねたものでしょう? それは譲れないし、譲らないし、譲っちゃいけないものだよ」
それは……。まあ、そうかもしれない。
私は癒術士であり、勇者でもあるが、どちらか一つを選べと言うなら癒術士であることを選ぶ。
たとえ勇者が唯一無二の存在で、癒術士がありふれたものだとしても。私が望む姿は癒術士だ。
「だとしても、やっぱり私は違うかな」
「そうなの?」
「救華の癒術士は理想を追わない。自分を証明するために救っちゃいけない。必要だから救うんだ」
癒術士の価値は死亡率の統計で計れる。私たちの存在証明はどこまでも数字だ。
奉仕だとか、献身だとか、そんな曖昧なものはもっての外だ。真心や笑顔なんてものを向ける暇があるのなら、より数字が改善される行動を選ぶべきだ。
「求めるのは現実だ。私たちの魂は、どこまで効率的に人を救えるかを突き詰めるかに宿る」
「温もりが足りない」
「いいんだよ、救うことのほうが大事だから」
「でも、ノアちゃんらしいよ」
「よく言われる」
塩っぽいアメも溶けて、少しお腹も空いてきた。
そろそろ入国できないかな、と、私たちはのんびり待ち続けた。




