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「しがない世界の裏方さ」

 他愛もない話をしながら二人並んで道を歩く。

 一人旅のつもりだったが、こうして相棒がいるのは存外心地が良かった。旅は道連れというのも嘘ではないらしい。


 感傷に浸りながら空を見る。青く晴れ渡った空には、雲ひとつ無く。

 黒い花びらが、凶星のようにひらめいていた。


「…………?」


 風が吹きすさび、黒い花びらが舞い踊る。

 私の前で風が集まる。吹き込んだ花びらが、私たちの目の前で渦巻いて形をなす。


「――さて、開演と行こうか」


 花びらの中から声がする。

 その声はよく覚えている。忘れてなどいない。忘れるはずもない。


「星のきらめきを知ってるか? 花の彩りを知ってるか? 大海に眠る深き青を、砂漠を照らす月の銀を、荘厳な山を染める雪の白を知ってるか?」


 カツンと革靴が鳴り響く。

 黒い花びらから姿を現したのは、漆黒のスーツを着込んだ男。


「そうだ、この世界は美しい。今更語るべくもないほどにね」


 それは4月に討ったはずの存在。

 世界に災禍と災厄を撒き散らす、勇者わたしの大敵。

 なぜだ。なぜ、お前が、生きている。


「魔王……ッ!」

「久しぶりだね、小さな勇者ちゃん。君に逢いたくて地獄の底から戻ってきたよ」


 そんなことを言う魔王は、邪悪に微笑んだ。

 私は即座に十字短剣ロザリオダガーを抜き、呼応するように桜は竹刀を構える。

 勇者センサーが煩いくらいにがなりたてる。これは、紛れもなく、私の敵だ。


「ああ、そんなに構えなくてもいいよ。今日は君たちに挨拶しにきただけなんだ」

「戯言を……。死んでないとは思っていたが、こんなに早く姿を見せるとはな」

「そう、戯言だ。意味がなく、意義もない。人の間には虚無しかない。僕はそれすらも愛おしいんだ」


 私の言葉を聞いているのか。魔王は、それこそ意味のない言葉を続ける。


「だからこそ、許せないよね」


 魔王は邪悪に微笑んで。

 悍ましい悪意を、無邪気にばらまく。


「こんなに美しい世界も、いつの日か退屈に腐りながら滅んでいくんだ。そんなことは許せない。だって、美しい世界には美しい幕引きを与えるべきじゃないか」


 渦巻く魔力が鼓動を放つ。

 純黒の力が、荒れ狂う瘴気が、魔王の体から放たれる。


「たとえば、こんな風にね」


 魔王は両手に一つずつ、魔力の球体を作り出す。

 透き通る漆黒のガラス玉。回転する魔力が内側に向けて凝縮し続ける、卓越した魔力制御が生み出した芸術。


「加速魔術は知ってるよね。その名の通り、物体にエネルギーを付与して加速させる魔術だ。魔術屋なら誰でも使えるこのありふれた魔術に、もう一つ、魔術を重ねてみたいと思ったことはあるかな?」


 左右の球体に加速魔術が施され、回転速度が上昇する。

 単純にして強力な実戦魔術。何度も目にしてきたありふれた魔術に――。

 私の本能は、濃密な脅威を感じていた。


「重ねるのは複写魔術のちょっとした応用だ。光の速度を加速魔術に複写する。するとほら、この通り」


 加速魔術が複写魔術で上書きされる。魔術を使って、魔術を書き換える。

 芸当と呼ぶことすらおこがましいそれは、魔力制御なんて陳腐な言葉では言い表せない。

 こんな悪魔のような難易度の魔術を平然と操る存在が、一体世界に何人――。いや、歴史上に何人居た?


「完成したのは光速の物体。事象を積み重ねる科学では難しくとも、現象を切り貼りする魔術なら簡単に実現できるんだ。さて、ここで問題。――光速の物体同士を衝突させた時、何が起こると思う?」


 体が跳ねた。

 止めなければならない。そう判断して魔術を編み始めた私の意識を、桜が追い越す。


「――っやあああああああああああッ!」


 竹刀を白刃に変え、迷うこと無く魔法を使う。

 星夜天斬流。凍月すら斬り捨てた、星を斬り裂く桜の魔法。

 しかし、それすらも間に合わない。


「中級魔導・超重力球ブラックホール


 魔術でも魔法でもない、怪物じみた魔力制御が生み出した絶技。それを魔王は、魔導と言った。

 発動を許してしまったそれに、桜の魔法も私の魔術も追いつかない。

 光速まで加速した2つの魔力球が、瞬く間も無く衝突し――。


 揺らいで、消えた。


「正解はね」


 桜が振り下ろした魔法が、勢い余って魔王を裂く。

 遅れて発動した私の術式が、魔王の体を拘束する。

 そのどちらも正面から受けてなお、魔王は平然としていた。


「何も起こらない、だよ」

「……は?」

「忘れたのかい? 僕は君に殺されたんだ。殺されて、因果律から追放された。今の僕が何をしたって何も起こりはしないさ」


 君が僕を殺していなければ、今この瞬間に世界は滅んでいただろう。そんなことを魔王はうそぶく。

 魔法を発動し、大きく消耗した桜が崩折れる。私の頬を嫌な汗が伝う。

 こいつは――。一体、なんなんだ?


「ああ、自己紹介がまだだったね。さっきも言ったけど、今日は本当に挨拶をしに来ただけなんだ」


 魔王は懐から小さなダガーを抜いた。瘴気を放つそのダガーには見覚えがある。

 それは、凍狼に突き刺さっていたあの呪具だ。


「僕は狂乱。狂乱を司る魔王。最高のショーに最悪の幕を引く、しがない世界の裏方さ」


 狂乱。狂乱の魔王。狂気と騒乱に微笑みを讃える、勇者の大敵にして超越者の一人。

 死んだはずだ。実際に死んでいる。だと言うのに、こうして私の前に再び姿を見せた。


「人よ、生を謳歌せよ! 自然よ、世界を歌い上げろ! 星々よ、我らを祝福しろ!」


 遠く理解が及ばない狂気を撒き散らし、死人は高らかに哄笑する。


「その末に、狂乱の幕を引こうではないか」


 またね、小さな勇者ちゃん。

 最後に優雅に微笑んで、狂乱の魔王は姿を消した。


 残された私たちの間に、場違いなほど柔らかい風が吹き抜ける。

 それは新緑の風が瑞々しく薫る、立夏のある日のことだった。

5月の章・了

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