「これにて、みっしょんこんぷりーと」
まとめるほどの荷物も無く、旅立ちの用意は身軽に終わった。
必要なものは空間魔術の中に一通り放り込んである。重たい荷物を背負うのは趣味じゃない。
「ビスク、いるか?」
教会の執務室をノックする。何度も話し合ったこの場所も、訪れるのはこれが最後だろう。
「癒術士様、目を覚まされたのですね。お体の調子はいかがでしょうか?」
「問題ない」
快調ではないが、問題はない。
魂に受けた負荷は一日二日で癒えるものではないが、勇者の力さえ使わなければそのうち回復するだろう。
「村の様子はどうだ?」
「皆様大事無くいらっしゃいますよ。残雪の除去に苦労しているようですが、この陽気です。近いうちに終わるでしょう」
「そうか。雪解け水が大量に出るだろうから気をつけろよ。救華に連絡を取って、しばらくは保護して貰ったほうがいい」
あの天下無敵の癒術士集団が来れば、この辺りはまるごと残さず救いつくされるだろう。
復興だなんて生ぬるいくらい完膚なきまでに事態は終わる。後のことは、あいつらに任せよう。
「此度の件、誠にありがとうございました。癒術士様のお力添えがなければ、きっとこの村は無くなっていたことでしょう」
「あー、いいっていいって。無事で良かったよ」
改めて頭を下げるビスクに、ひらひらと手を振る。
そういうのは柄じゃないんだ、やめてくれ。
「よろしければ宴席を設けさせていただきますので、心ばかりですが是非……」
「あほか」
真面目な顔でそんなことを言うビスクに、手刀を入れる。
「大変なのはこっからだろ。無駄なことに物資を使ってんじゃない」
「ですが……」
「救うことだけ考えろ」
救華の理念を改めて告げる。
それだけでいいんだよ、私たちは。ただ救って、救って、救い続ける。
救華ってのはそのための組織だ。
「じゃ、そんなわけで私は行くから」
「行くって、どちらに?」
「内緒だ。密告されちゃ困るからな」
茶目っ気を込めて、にやりと笑う。
「そういや言ってなかったけど。私、実は救華に追われる身なんだよ」
「は……は?」
「だから私の行き先は内緒ってことにしといてくれ。頼むぜ」
白衣を翻して踵を返す。
一応口封じはしたが、厳密に守られることは期待していない。救華に追いつかれるまで少しでも時間が稼げれば、それでいい。
「解決するだけ解決して、謝礼も求めず、その足で立ち去る。あなたはヒーローか何かですか……」
「かっこいいだろ?」
「それを言わなければ、もっとかっこよかったですよ」
肩をすくめる。知ってるよ。
なおも頭を下げるビスクをこそばゆく思いながら、私は執務室を後にした。
*****
早朝。少し溶け始めた硬い雪を踏んで、朝もやの村を立ち去る。
「ノアちゃん。村の人とお別れしなくてもいいの?」
「吹雪が止んでしばらく立つ。いつ救華が来てもおかしくないだろ、のんびりしてる暇は無い」
そんなわけで、荷物をまとめてさっさと村を発つことにした。
こんな時間でも起きているのは、それこそビスクくらいのものだろう。
「あいつらに捕まると面倒だからなぁ。ったく、過保護なんだよ。私は勇者だぞ」
「気持ちはわかるなぁ。あんまり無茶しちゃだめだよ、ノアちゃん」
「無茶しなきゃ死ぬだろ」
そう言うと、桜は少し複雑な顔をしていた。
これくらいの無茶なんていつものこと。別に今更、どうってことはない。
「そういえば御影ちゃんは?」
「置いてく」
「即決だ。それも断言だ」
いやだって、御影だぞ。神出鬼没の権化にして、自由の意味を履き違えた無法者だぞ。
ついてこいと言ったところで来るかどうか怪しいし、ついてくるなと言っても勝手についてくる。あれはそういうやつだ。
「あるじさま、ひどい。みかげはこんなにも、あるじさまをおしたいしてるのに」
「な? 勝手に来ただろ?」
「むー……。あるじさまが、しおたいおうで、つらたん。でも、そんなところも、すこすこ」
唐突に現れた御影は、よくわからない言葉を使った。
意味はわからないけれど、別にわかりたいとも思わなかった。
「御影ちゃん、おはよー」
「さくらさま。おはようございます」
「御影ちゃんも一緒に来る?」
「いけたらいくわ」
「それ絶対来ないやつだよね」
なぜだか知らないが、桜は御影語を絶妙に理解していた。
ともあれ来る気は無いらしい。今日の御影はそんな気分。好きにしてくれ。
「あ、そういえば、これ」
御影が取り出したのは一枚の手紙。
華王様の印が押されたそれを見て、私は静かに表情を凍らせた。
「これにて、みっしょんこんぷりーと」
「御影……。まさか、最初からこれ渡すために来たのか」
「せやで。すっかりわすれてた」
「お前な」
中身にぱらぱらと目を通し、私は頭を抑える。
あー……。ったく、もう。あの紅茶王め。何もかも手のひらの上かよ。
「はぁ……。行くぞ、桜」
「なんて書いてあったの?」
「……いってらっしゃい、ってよ」
エリクシルの方角の空を見上げる。
行ってきます。お世話になりました。また、お会いしましょう。
胸の内でそう呟いて、私は少しの笑みをもらした。
「いじゅつしさまー!」
村の中から元気な声が聞こえて振り向く。
村の出口でぶんぶんと手を振るのは、あの吹雪の夜に死にかけていた少女だ。その隣で、ビスクがぺこりと頭を下げる。
「ありがとー! ございましたー!!」
手を振る少女に柔らかく微笑んで、私もまた手を振り返す。
全てが終わったその時は、ただの癒術士としてこの国に帰ってこよう。
新緑の息吹を伝える風が吹き抜ける中。私は、いつかの帰国を心に誓った。




