「あなたの刃となりましょう」
「私はねー。異世界から来たんだよ。たぶんね」
食堂で二人、遅い夕食を取りながら話をする。
今の時刻は夜遅く、起きている人は誰も居なかった。ので、キッチンの鍋に残っていたスープを温め、パンをいくつか拝借した次第だ。
保存食とは違い、比較的もちもちしているパンを桜は美味しそうに食べていた。
「あったかくて美味しいねえ」
「それよりも話が聞きたい」
「ノアちゃん。食べながら喋るのは、お行儀悪いよ」
正論だった。
でも、今は正論よりも話が聞きたい。異世界ってなんだ。
「桜、頼む」
「しょーがないなぁ。ちょっとだけだぜ?」
ぱちんとウィンクをして、桜はパンを口の中に放り込む。
もったいぶっちゃって。まったく。
「こことは違う世界。遠く離れた混じり合わない世界。魔術も癒術も存在しない、科学が支配する平穏な世界。私は、そこからやってきたの」
「それが、ニホンってやつか」
「日本は国名だよ。ここでいうと、エリクシルみたいな。あ、でも、エリクシルは地球で言うところの都市国家みたいな感じなのかな? 厳密にはちょっと違うかも」
桜が言うには、ニホンというのは無数の街がある巨大な国らしい。
一つの大きな街の周囲に複数の村があるエリクシルとは、国家の規模がまるで違う。それでも規模としてはまだ小さい方と言うのだから驚きだ。
「どうやって来たんだ」
「んーっと……。よくわかんないけど、通学中にふと目がくらんだの。何かの声を聞いた気もする。あと……。星が、降ってた」
「星? 流星か?」
「そう、流星を見た。それで、気がついたらあそこに倒れてた」
流星、か。
桜を見つけたとき、私も流星を見ていた。数日前のことだ、忘れるはずもない。
「だからどうやって来たのかってのは、よくわからないんだ。それに、どうやって帰ればいいのかも」
「そうだな……。帰らなきゃいけないよな」
「あ、そっちはどうでもいいよ。別に帰っても、帰らなくても」
「いいのか? 故郷なんだろ?」
「ノアちゃんだって故郷を捨てたじゃない」
それはそうだけど、私は自分でそれを選んだ。それに、帰ろうと思えば帰ることができる。
でも、桜は違う。巻き込まれるままに故郷を捨て、帰る術も見つからない。
「ううん、同じだよ」
桜は静かにそう言った。
「人生は偶発的で、サイコロを転がすように局面を迎える。私は生きたい。生きていたい。でも、生きるってことはしがみつくことじゃない。生きるってのは切り開くことだ」
語る彼女は、澄んだ瞳でどこかを見る。
刹那的で、力強くて、少し怖いくらいの冷めた覚悟。
桜という少女に似合わないくらい、強い言葉が耳孔を打つ。
「何があっても、何がなくても、どこに居ても、どこに居なくても、私が私である限り私は私だよ。ここが日本だろうとエリクシルだろうと、天斬寺桜は揺るがない。それでいいんじゃない?」
「過去のこと、惜しくないのか?」
「惜しいよ。でも、未来のほうが大事。でしょ?」
秘めやかに微笑む桜を、私は眩しく思った。
過去に縛られず、失ったものを躊躇わず、迷わず未来に手を伸ばし続ける。
私もいつか、そんな強さを得られるのだろうか。そう考えると、体がぶるりと震えた。
「ちょっと湿っぽくなっちゃったかな、ごめんね」
「ああ……。いや、聞けてよかった」
「でさでさ。それよりも、これからの話をしようよ」
いつもの調子の桜に、私は少しだけ苦笑する。
目を爛々と輝かせる桜は、これから起こる全てのことに期待しているようだった。
「そうだな。予定は大分遅れちまったが、エリクシルに連絡を取る。桜は救華に保護してもらってくれ」
「ええー!?」
「――って言ったら、嫌がるだろうな」
「あ、ノアちゃん。ひどいよー。分かってるなら言わないでよね」
頬を膨らませてぷりぷり怒る桜に、ごめんごめんと手を振った。
冗談だよ、冗談。分かってるさ。
「一緒に来るか?」
「もっちろん!」
「即答と来た」
「だって、ノアちゃん面白そうだもん」
面白がられてしまっていた。
いや……。まあ、うん……。私と居れば、退屈しないとは思うよ……。
「そういえばノアちゃん。ノアちゃんって、結局何のために旅してるの?」
「そうだなぁ……。話せば長くなるんだが」
既に一人の魔王を討ったこと。
華王様に怒られて、大喧嘩したこと。
世界を救うため、他の魔王を討つ旅を始めたこと。
私は桜に、これまでの経緯を改めて説明した。
「そっか。じゃあ、ノアちゃんは勇者として、世界を救う旅をしてるんだね」
「……いや」
ぱちんと、指を鳴らす。
展開するのは幻聴の魔術。ここから先の話は、誰にも聞かれるわけにはいかない。
「それは建前だ」
私は、華王様を騙した。
エリクシルを騙し、人々を騙して旅に出た。
世界を救うだなんて、そんなものはおためごかしに過ぎない。
「本当の目的はな、桜と同じだよ」
「私と同じ?」
「生きること。生き続けること。この閉じた生を切り開くこと。それが私の目的だ」
これを誰かに言うのは初めてだった。
勇者ノア・スカーレットの真意。今まで誰にも話してこなかったそれを、私は桜には伝えておきたかった。
「勇者がどういう存在かなんて、いまさら語るべくもないだろ。魂がバケモノと接続されて、自分の身すら滅ぼしかねない力を与えられて、波乱に満ちた運命を余儀なくされて。それで世界を救えだなんて、よく言ったもんだ」
「ノアちゃん……」
「――わかるんだよ。このままだと私は、長生きできない」
確信は無い。だが、楽観的に考えることもできない。
私の魂に巣食うモノは、このまま仲良くしていればどうにかなるような、そんな程度の存在では無いことだけは確かだ。
私の寿命がいつなのか。いつ果てる命と定められているのか。
それが分からないから私は急いだ。16歳まで待っていられなかった。
「私の旅の目的は、呪われたこの力を捨てることだ」
勇者の力なんて、ちゃんちゃらおかしい。
私に言わせれば、これは呪いだ。
勇者って生き物は、世界を救うという大義名分のため神様に供された生贄に過ぎない。
いいさ。世界がそれを望むなら、生贄の役は担ってやっても良い。
だが――。大人しく死んでやるつもりなんて、無い。
「つっても、まずは世界を救ってからだけどな。力捨てたら魔王倒せませんでしたーじゃ話にならない。さっさと魔王を討滅して、使命から解放される。力を捨てるのはそれからだ」
「それでいいの? 使命が終わってからで間に合うの?」
「間に合わせる。だから急いでんだよ」
使命が終わった時には手遅れだった、なんてことにならないように。
因果律に追いつかれるよりも早く、私は使命を終わらせる。
終わらせて、この勇者の力を捨てる。それが私の望みだ。
「勇者らしくなくて悪いな。幻滅したか?」
「ううん、そんなことない。むしろ、ちょっと安心した」
「安心? なんでだ?」
「ノアちゃんって、誰かのためならどこまでも頑張っちゃいそうだったから。ちゃんと自分のこと考えててくれて、安心したの」
肩をすくめる。そんなに良い奴じゃないよ、私は。
気がつけば夜もそろそろ明ける。随分と長い間話し込んでしまった。
「私は今日ここを発つつもりだ。改めて聞くが、来るか?」
「もちろん。不肖の身ながら、この天斬寺桜。あなたの刃となりましょう」
いつかに聞いたその言葉を、桜は今一度繰り返す。
それはきっと彼女にとって大切な意味を持つのだろう。
私がそれを受け取ると、桜は花咲くような笑みを見せた。




