「砕けろおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
凍月の魔法が何もかもを凍てつかせ、私の表情も凍り付いた。
はっきり言ってこれは想定外だ。魔法なんてものに、対処できる手段はあまりにも少なすぎる。
考えろ。どうするべきだ。この状況でまず、真っ先に取るべき択は――。
桜を逃がすこと。
「桜、逃げろ」
「ノアちゃん、逃げて」
同じ言葉が交差し、私は桜の顔を見る。桜もまた、私の顔を見ていた。
「あれは魔法だ。常識の外にある奇跡の力だ。魔術だとか、剣術だとか、そんなもので刃向かえる領域じゃない」
「だったら尚更早く逃げてよ。ちょっと、あれ相手にノアちゃんを守り抜くのはできないかも」
「……言うじゃねえか、桜。私は守られる側じゃない、守る側だ」
「ノアちゃんこそ言ってくれるね。天斬寺流剣術に斬れないものがあるって言いたいの?」
悪態をつき、唾を吐く。
この状況だ。言い争っている時間も惜しい。だと言うのに、私たちは互いに口角を釣り上げた。
「私は勇者だ」
「なら、私だって女子高生だよ」
「そのジョシコウセイってのは強いのか?」
「私の国では無敵だね」
言い切った。言葉の意味は知らないが、威勢の良い言葉は嫌いじゃ無い。
ったく、もう。しょーがねえな。
「死ぬなよ、異邦人」
「怪我しないでね、幼女ちゃん」
パン、と桜と手を叩く。ああ、もう、バカだな私たち。
凍月から放たれる無慈悲な冷気が肌を灼く。だが、負ける気はしなかった。
「ノアちゃん、今度は斬るよ」
桜は竹刀を真っ直ぐに構える。
それは、あの時村で見たものと同じ構えだ。
「止めないでね。あれは、斬らなきゃいけない」
「今更止めねえよ」
だから、と言葉を続け、十字短剣を懐に収める。
「止めるなよ」
来い。小さく呟いた。
どくり。私の魂が脈動した。
(ああ、ああ、ああ! ようやく私を受け入れたのですね!)
「そうだ、力を寄こせ。お前のソレが必要だ」
(勿論です! 我が最愛の娘よ。私の全てを、今こそあなたに捧げましょう!)
脳裏に声が――。癒龍ウロボロスの声が響き渡る。
魂を接続する。私の魂に莫大な魔力が流れ込み、汚染される。
(ご加減はいかがでしょうか? 娘よ、あなたの体はあまりにも脆弱です。あなたさえ宜しければ、魔力に最適化した形へと作り替えましょうか?)
「ちょっと……黙ってろ……! クソ蛇……ッ!」
鳴り響く巨大な声に自我が大きく揺さぶられる。
歯を食いしばり、手のひらを何度もなぞり、私はここだと確かめる。
神獣・癒龍ウロボロスと魂を接続し、莫大な魔力を身に宿す。
それが、私をずっと苦しめてきた勇者の力だ。
「っだらあああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
体が弾けそうだ。溢れ出す魔力を逃がすため、無数の癒術を宙に描く。
幾重にも重なる熾天使の焰魂が凍月と正面から激突する。溢れんばかりの熱と、何もかもを凍てつかせる凍気がせめぎ合う。
ああ、くそ、吐きそうだ。最低に気分が悪い。
これだから、勇者の力を使うのは嫌なんだよ。
「ノアちゃん……?」
「桜ッ! やるぞ!」
「……うん!」
爆炎の魔術をかき鳴らしながら、強く叫ぶ。どちらかと言えば魔術は苦手だが、この状態の私にはそんなもの関係無い。
魂に流れ込む膨大な魔力を少しでも逃がさないと、神獣の魔力に何もかも塗りつぶされてしまいそうだ。
「かかってこいや、ボケ犬がああああああああああああああああああッッ!!」
叫ぶ。自我を強く持つ。私の戦意に呼応し、凍狼が飛びかかった。
絶対零度の爪牙を、身体強化癒術を施した素手で殴り返す。一挙一動に無数の魔術と癒術を重ね、爆炎が轟き灼熱が乱れ飛ぶ。
細かいことを考える余裕なんて、無い。
ただ、塗りつぶされないように、戦い続けることだけで精一杯だ。
ワンツーを入れて毛皮を灼き、ブローをねじ込んでアッパーでぶち上げる。溢れんばかりの魔力が私の体を後押しし、凍狼の爪牙とも互角に打ち合う力をくれる。
突撃を頭突きで相殺し、ソバットで強く蹴り飛ばす。怯んだ凍狼は距離を取り、私は額に流れる血を拭った。
肉弾戦は互角。無数の癒術が私の体を包み、凍月が凍狼に力を与える。簡単に決着は付きそうにない。
「ははっ……。おいおい、犬っころ、誰に躾けてもらったんだ!?」
(相手は凍狼です。この凍月の下で戦うのは下策ですよ! ほら、あの空に浮かぶ月を壊すのです!)
「だーっ!! うるせえ!! 頭に響くから喋るんじゃねえッ!!」
ウロボロスが私に何か言うたび、私の魂が揺れ動く。
今の私は、人間の魂の中に神獣を飼っている状態だ。こいつが身じろぎ一つするたびに、私という檻は簡単に壊れそうになる。
強く、強く、意識を強く持つ。
「桜、月だ! あの月、斬れるか!?」
「おっけー! やっちゃうよ!」
まるでいつもの調子でにへらと笑う。そして、桜は静かに目を閉じた。
桜の周囲から魔力が消える。私がかけた熾天使の焰魂も、凍月から放たれる極寒の凍気も、桜の周りだけは何もかもがゼロになる。
それは明らかに異常な現象。魔法と呼ぶにふさわしい、超常の奇跡。
「星夜天斬流――」
目を開く。
僅かに、桜の手先がブレる。
握られていた竹刀が形を変える。
それは、美しい純白の刃だった。
「習式・羽々斬ッ!」
上から、下に。
刃が真っ直ぐに振り下ろされる。
ただ、それだけの動作で。
界が二つに分かたれた。
「――っ!?」
右と、左に。
吹雪が斬られ、雪原が斬られ、音が斬られ、光が斬られ、凍月が斬られた。
その刃の直線上にあったものは、距離も射程も関係無く、桜が望むままに断ち切られた。
望むもの全てを切り裂く、凄まじい魔法。
そんな奇跡を実現するためには、一体どれほどの代償を――。
「ノアちゃんっ! 今だよ!」
「――ああッ!」
考えている暇は無い。桜は月を、凍月の魔法を切り捨てた。
だったら次は私の番だ。
「癒龍ウロボロス! やるぞ、応えろッ!」
(ええ、ええ! あなたがそれを望むなら!)
天に片手を突き上げて、私の魔法を発動する。
幻想の世界樹が顕現し、大いなる緑が私たちに新たな因果を紡ぐ。
清浄なるものには救済の因果を、不浄なるものには崩壊の因果を結ぶ、逃れる術は無い絶対の救済。
「世界樹の聖緑――ッ!」
世界樹が一際強く輝くと、私たちに祝福が与えられた。
あらゆる傷害を強力に阻む、救いの緑が吹き荒れる。この世界樹が輝き続ける限り、私たちには傷一つつくことはない。
そして――。神獣の背に突き刺さった黒い短剣に、自壊の因果が結ばれた。
「砕けろおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
体の中に混沌と渦巻く、全ての魔力を世界樹にたたき込んだ。
ウロボロスの魔力を喰らい、輝きを増し続ける世界樹が大きく枝葉を伸ばす。
短剣が砕け散り、吹雪が徐々に静まろうと、聖緑は拡大を続ける。風と共に流れる聖緑は、寒さの中で力を失った山の緑に命を吹き込み、何もかもを塗り替えていく。
やがて吹雪が収まると、山は青々とした元の姿を取り戻していた。
「はっ……はっ……」
(よくやりました、我が娘よ。ですが体力不足は改善した方が良いでしょう。もっとちゃんと食べて――)
「消えろ、クソ蛇が……ッ」
荒い息をつきながら、ウロボロスと魂の接続を切る。流れ込み続ける莫大な魔力が消え、鳴り響くウロボロスの声が小さくなる。
ゆっくりと、手を閉じて、開く。自分の自我を確かめる。
――大丈夫。私はまだ、私のままだ。
「ノアちゃん……。ノア、ちゃん……?」
不安そうな声を漏らす桜は、私と同じように、自分の手をじっと見ていた。
手を開いて、閉じて、何度も繰り返して。
「ああ、そっか。そうなんだ」
そして、納得したように呟く。
「これが、魔法を使うってことなんだね」
実際に使ったことで、分かってしまったのだろう。
魔法という神域の技を使うには、人の心はあまりにも脆すぎるということを。




