「味噌煮込みうどんあるの!?」
唐突に現れて唐突に眠りについた御影を寝台にたたき込んで、仕切り直す。
と言っても、状況はさっきとは大きく異なっていた。
「元凶、止めに行くぞ」
言い切る。今の私たちにはその選択を十分にとれる。
場所の見当は付いた。だったら、もう躊躇う理由は無い。
が、ビスクの顔色は依然渋かった。
「癒術士様、危険ではないでしょうか」
「危険は承知の上だ。今更そんな心配は必要ない」
「せめて、村人を何人かお連れください。いざという時、身を守る術は必要でしょう」
……身を守る術?
そんなの別に必要ないっていうか、村人なんて連れてったって邪魔にしかならないし。
「できるならば、あなたには逃げていただきたい。通りすがりのあなたにここまでしていただくわけにはいきません。魔力も随分と消耗されたはずです。私たちのことは捨て置いて――」
「おいおい、待て待て。私は癒術士だ。人を助けるのは当たり前だろ」
「ですが……! これ以上は、あなたが……!」
あー、あー、わかった、わかった。
ビスクは完全に覚悟を決めた目をしていた。良いやつってのはこれだから困る。
言うつもりは無かったが、そこまで言うならしょうがない。
「私な、実は勇者なんだよ」
そう言うと、ビスクは固まった。
「神様から力を与えられたんだ。まあ、ちょっとばかし強すぎるせいで持て余してるが……。それを使えばこんな状況、どうとでもなる」
「…………」
「だからここは私に任せて――、どうした?」
「あなたは、こういう状況で冗談を言う人では無いですよね……」
「まあ、簡単に信じられないのは分かる」
8歳で、特級癒術士で、その上勇者だ。
特級癒術士仕様の白衣があるから、癒術士であることは説明はできる。
が、勇者の証しってのはまた別だ。勇者を勇者たらしめ根因は、力そのものにある。外から見ても分かるものではない。
「戦えるってことだけ納得しといてくれ」
「……気をつけて、くださいね」
「ああ」
なおも心配そうなビスクの肩を、桜が叩く。
びっと、親指を立てていた。
「大丈夫。ノアちゃんは私が守るから」
「いやあの、あなたも行かれるのですか?」
「もち!」
ビスクは更に心配そうな顔をした。
だろうな。桜も桜で、珍妙な少女にしか見えない。
「……桜、戦えるのか?」
「実戦経験ならあるよ?」
「あるんだ」
桜が来た日本という国は随分と物騒らしい。
吹雪の中で見たあの剣術からは、長年の鍛錬を感じられた。戦えるってのは嘘じゃないだろう。
「御影も多分戦えるとは思うけど……。来るかな、あいつ」
「ぐっすり寝てたからねぇ。起きるまで待つ?」
「待ってもいいが、あいつが私たちの想定通りに動くことはないぞ」
あの自由人の塊が、計画なんてものに囚われるわけがない。
その点について私は無限の自信を持っていた。
「やる気になったら放っておいても来る。やる気じゃなければ何言っても来ない。そういうタイプだ」
「自由だね……」
「自由なんだよ」
御影を計画に入れてはいけない。あれは、想像の埒外に棲む生き物だ。
そんなわけで登山組は私と桜の二人だけになる。それ以上は不要だろう。
「半日で戻る。それまで暖気を薪で持たせてもらうことになるが、良いか?」
「もう行かれるのですか? 少し休んでからの方が――」
「悪いな、じっとしているのは性に合わないんだ」
魔力は消耗している。だが、それは足を止める理由にはならない。
最善の状況なんてそれこそ想定外だ。与えられた手札で勝負し、出たとこ勝負で最善を掴む。
いついかなる時でも人を救うために、味方にすべきは時間だ。
「行ってくる」
「すぐ戻るよ」
「お気をつけて」
タン、タン、タンとハイタッチ。長い籠城だったが、うだうだするのもここまでだ。
そろそろ逆転と洒落込もうか。
*****
さく、と深く降り積もった雪を踏む。
すぽっ、と身長の四分の一が雪中に沈み込んだ。
「…………」
「ノアちゃん、だっこしよっか?」
「納得いかない……」
桜の手で雪から引き抜かれ、腕の中に収まった。
ああもう、これだから雪は嫌いだ。桜に浮遊魔術をかけて、私は大人しく縮こまることにした。
「ノアちゃんって本当に軽いよねぇ。ちゃんと食べてる?」
「余計なお世話だっつの」
正直あんまり食べてない。食べるのは苦手だ、すぐお腹いっぱいになる。
多くのエネルギーを必要としないこの体は、こんな状況では頼もしかった。
「これが終わったら、美味しいものでも食べに行こうよ」
「良いぜ。何か食べたいものあるか?」
「味噌煮込みうどん!」
山頂に向かって雪道を走り抜けながら、桜はそんなことを言っていた。
味噌煮込みうどんか。聞いたことあるぞ、最近エリクシルにもうどん屋なるものができたらしい。食べたことはないけれど、あんな珍しい店よく知ってるな。
「んじゃ今度行くか」
「味噌煮込みうどんあるの!?」
「ああ、最近出来たばっかりだけどな」
「実はここ、異世界じゃなくて名古屋なんじゃないかな……」
ナゴヤってなんだ。よくわからないけど、桜は小首をかしげていた。
「私、なんだかここでもやってけそうだよ。うどんがあれば生きていける」
「お、おう……。そうか」
「頑張っちゃうからね!」
ぎゅいんと、桜は加速した。
テンションが上がったらしい。私の頬に雪がべしべしと突き刺さった。
桜は雪中を突き進み続ける。御影がもたらした情報は正しかったのだろう、渦中に近づくほど寒さは増していく。
それに何より、私の勘が言っている。この先にはとてつもない怪物が居る、と。
御影のように存在を察知できるわけではない。魔王相手のように勇者センサーが反応しているわけでは無い。
ただ、全身を震わせるような大きな悪意が、濃密に私たちに向けられている。
私が感じ取ったのはそれだ。
「ノアちゃん。なんか、やばくない?」
「ああ、帰りたくなったか?」
「ううん。わくわくしてきた!」
言葉通り、桜はぎゅんぎゅん加速する。元気なやつだった。
道なき道を駆け抜けて、尾根を伝って山頂を目指すこと小一時間。
山頂の一歩手前で、私は桜を止めた。
「桜、そろそろ下ろしてくれ」
「あいよー」
ぴたっと桜は急停止し、私は腕の中から放り出された。
空中でくるりと体を回し、雪が降り積もった尾根にずとっと着地。
「おおー、ナイス着地!」
「同じ手は二度は食わん」
雪に埋まった足を引き抜き、自分にも浮遊魔術をかける。
ここから先に、私たちが追っていた元凶がいる。向こうも私たちに気づいているのだろう。向けられる悪意は濃く、鋭かった。
「……話ができそうな雰囲気じゃないな」
「お話しするつもりだったの?」
「ああ、戦うのはあくまでも最終手段だ。桜も手を出すなよ、円満にいこう」
戦う術は用意してあるけど、交渉で終わるならそれが一番だ。
懐にしまった十字短剣を確かめて、山頂へと歩を進めた。




