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「こいつ、私のストーカー」

 まどろみの中から、ゆっくりと引き上がる。


「…………」


 日の出前、静かに目を覚ます。

 意識のスイッチが切り替わるまでの数分間、曖昧な境界を漂いながら、ぼんやりと考えていた。


「…………あと」


 どれくらい持つだろうか。

 思ったままに動いた口をつぐむ。誰かに聞かれてやいないだろうか。


「ノアちゃん」


 私の顔をのぞき込んだのは桜だ。まだ眠っている人が多い中、とっくに起きていたらしい。


「大丈夫?」

「……おはよう、桜」

「うん、おはよう」


 質問には答えなかった。

 この教会に籠城を始めてから五日が経ち、吹雪は止まらず寒さは増し続ける。

 そして、教会を暖めている私の魔力は確実に消耗していた。



 *****



 慢性的な魔力不足で、存在が少し曖昧になっていた。

 魔力とは魂からにじみ出る因果の力だ。それを消耗すれば運命を支配する因果律との接続が薄まり、世界への干渉力が弱くなる。

 運命から見放され、何かをしようとしても何も起こらなくなってしまう。魔力欠乏症とは、そういう病だった。


「ノアちゃん……。なんだか、元気ないねぇ」

「気のせいだ」


 かといって、何もせず魔力の回復に努めることはできなかった。

 暖気を維持しなければならないし、寒さで体調を崩した人々の看病も続けなければならない。

 私がここで崩れたら多くの犠牲が出る。緩めるわけにはいかない。


(――何故頼らないのです。私は、あなたのためを思って言っているのですよ)


 脳裏に響く声に返事はしなかった。

 余裕は削られていく。使わなければならないのだろうか。


「ビスク」


 執務室で資材の管理を続けるビスクの顔にも疲労は色濃く滲んでいる。状況は芳しくないだろう。


「今、話せるか」

「……そうですね。話をしましょうか」


 朝早くの執務室で、私たちは再び集まる。

 五日前、この教会を訪れた直後もこうして話していた。が、私たちの表情はあの時より暗い。


「どれくらい持つ」


 聞いたのは私だ。

 クリティカルな質問。ビスクは少し迷った後、深く息を吐く。


「身を切らずにいられるのは明日の昼までです。それ以降は多くを失う覚悟が必要でしょう」

「……そうか」


 消耗品や食料は現状ではそこまで問題にはなっていない。逼迫しているのはあくまでも熱源だ。

 私の癒術で暖気の維持を補助しているが、増し続ける寒さに薪事情は限界に達していた。


「家具を壊し、聖典を焼き、雪に埋もれた民家を解体すればもうしばらくは持ちます。ですが……」


 それは苦渋の決断だ。不安に駆られる村人たちから希望を取り上げる行為だ。

 しかし、私たちに手段を選ぶだけの余裕は無い。


「ノア殿は……。大丈夫でしょうか?」

「大丈夫、って答えられたら良いんだけどな」


 魔力が欠け、存在の根底が揺らいでいる。

 少し魔力の知識がある人ならば、私がどういう状況なのかはすぐに分かるだろう。


「私のことは気にするな。どうとでもなる」

「ですが……」


 ――いざとなれば。

 頭に浮かんだ馬鹿な考えを捨てようとして、捨てられなかった。手段を選ぶ余裕は無い、そう認識したはずだ。


 一応は維持できる。まだ犠牲は出ない。

 だが――。ここから先は失うものも多い。


「ビスク。手を打とう」


 じっとしていれば吹雪も去ると期待していたが、弱まるどころか吹雪は強くなるばかりだ。

 このまま耐え続けることは難しい。何かをしなければならない。


「この吹雪は待ってたって終わらないと確信できる。これ以上の籠城は下策だ」

「待っていても終わらない? それは、どういう意味ですか?」

「分かってんだろ? この吹雪がただの自然現象じゃないってことは」


 そう。私たちはずっと、その事実から目をそらしてきた。

 季節外れの猛吹雪。この山だけを覆い尽くすように停滞した雲。そして、通信鏡の通信波をかき消す正体不明の術式。

 これらを繋ぐ答えは一つしか無い。


「魔術災害だよ、これは」


 どこかの何者かが、吹雪を引き起こす巨大な魔術を行使している。

 この現象は、全てそれで説明が付く。


「吹雪の魔術……。ですが、これほど巨大な魔術を長期間維持できるものなのでしょうか?」

「それがわからないんだよ。少なくともこんなの人間にゃ無理だ。ケタが違いすぎる」


 吹雪を起こす、くらいなら人間でもできるだろう。だが、それを数時間維持するとなると、絶対的に魔力の量が足りなくなる。

 ましてや数日に渡って維持するなんて、名うての大魔術士が数人揃ったって難しいだろう。


「ねえねえ、だったら魔法でやってるんじゃない? 魔法ってすごいんでしょ?」


 律儀に手を上げて質問する桜に、私は首を振る。それも考えたが、違うだろう。


「魔法ってのはもっと無茶苦茶なんだよ。なんつーか、常識からはかけ外れた現象を強引に引き起こすのが魔法だ。この吹雪は規模こそデカいが、現象自体は常識の内にある」


 技術として確立された魔術と、常識を凌駕する魔法とではまるで違う。

 言っちゃなんだが、この吹雪は膨大な魔力さえあれば説明がついてしまう。


「だからその、莫大な魔力を持ち吹雪の術式を行使している何者かがどこかに居るはずだ。そいつを探し出して、止めれば、片は付く」


 それを達成すれば現状は打開できる。

 理論上は、という但し書きが付くが。


「…………不可能、ですね」


 ビスクが呟いた言葉は、私と同じ結論だった。

 理論上はそうだ。だが、実際には不可能と言っていい。


「え、え、どうして? 見つけ出して止めればいいんでしょ?」

「その見つけ出す、ってのができないんだよ」


 それが出来るんだったら、こう何日も籠城はしていない。

 とにもかくにも、この際限の無い吹雪の術式ってのは極めて厄介だった。


「この吹雪に閉ざされた山中で、通信波すらかき消す術式の中、効率的に探す手段が無い。しらみつぶしに探すとしても、吹雪の中で自由に動くためには癒術士の補助が必要だ」

「じゃあ、私とノアちゃんで探しに行くってのは?」

「私がここを離れたら、村人たちが凍えて死ぬ」


 厳密には、まだ少し薪がある。少しの間なら離れても問題無いかもしれないが、それも半日が限度ってところだろう。

 たった半日で、ノーヒントの状態から元凶を見つけ出して止めなければならない。いくらなんでも分が悪すぎる賭けだった。


「ええと……だったら、ひょっとして……。打つ手無かったりする……?」


 おずおずと尋ねる桜に、私とビスクは首肯した。

 有効な手は存在しない。だが、これ以上の猶予も無い。私たちは何かをしなくてはならない。

 私はその相談をしに来た。


「まあ、安心しろよ。どうにかしてやる」


 そう言うと、少しだけ場の空気は緩まった。

 私にはまだ切り札がある。この状況を、完膚なきまでにひっくり返す最強のカードが。

 できるならば使いたくなかったが、この状況で四の五の言っていられない。


「ただ、どうしても無茶な手法になるんだよ。出来るならもう一枚手札が欲しい」


 たとえば、この吹雪の中でも探知ができる通信術士がいれば……。

 そう考えながら、何気なく天井裏を見上げたとき。


 天井にへばりつく、黒尽くめの人間と目が合った。


「…………」


 見間違いじゃないか、と思って目をこする。

 目を離した間にどこかに行けば良い。そう思って頭を振る。

 もう一度天井裏を見ると、黒尽くめの人間はじっと私を見続けていた。

 何でここに居るんだとか、何やってんだとか、聞きたいことは色々あったが、それ以上に気になることが一つ。


「その姿勢辛くないか」

「つらい」

「だろうな」


 黒尽くめは音も無く着地した。

 ビスクは驚き、桜は椅子を立って警戒を露わにする。私はと言うと、人影の正体に思い当たって苦笑していた。


「何者!?」

「あー、警戒しなくていい。こいつ知り合いだ」


 私よりもなお小柄な人影だ。顔を隠していた真っ黒なスカーフを取ると、紫紺の髪を短く纏めた少女の顔が見えた。

 黒尽くめの旅装(本人は以前、作戦服と言っていた)にはところどころ白く雪がかかっている。

 外から入ってきたばかりなのだろう。寒そうにふるふると震えていた。


「寒かっただろ。よく来たな、御影みかげ


 少女の名を呼ぶと、御影はこくりと頷いた。


「あるじさま。おそばに、つかえにまいりました」


 抑揚の無い声で御影は言う。

 御影なら絶対に来るだろうと信じていたが、よくもまあ吹雪の山を突っ切ってきたものだと感心した。


「ノアちゃん、その子は……?」

「あーっと、説明すると長くなるんだがな」


 ちょっと込み入った話になるんだけど、そうだな。今の私たちの関係性を一言で言うのなら。


「こいつ、私のストーカー」

「あるじさまに、つかえるのは、しもべのつとめですゆえ」


 御影は私の下僕を自称するが、私はそれを承認した覚えは無い。

 私は呆れて額を抑え、御影はこくりと小首をかしげる。桜は、ぱちくりと目を瞬かせていた。

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