さようなら
目を覚ました。
白い天井。
知らない天井。
俺は…何があったんだっけ?あれ?ここどこだ?
病院、みたいな。
周りには誰もいない。この部屋には俺の寝ているベッドしかないみたいだ。
ん、体に包帯が巻かれている。怪我してる?
なんでこんなことになっているんだ?
混乱の極致に陥ったところで、この部屋の扉が開いた。
「コウ!気がついたのね!」
そう言って飛び込んできたのはボブカットの女の子だった。
「青山?えっと、俺は一体…」
そこまで喋って、急激に足元が崩れ落ちるような不安感に見舞われた。
……そうだ、俺は確か、青山に、女になった原因を聞かされて…
ハッとして自分の胸を掴んだ。
…元に、戻っている……ということはやはり……
「…?どうしたの?コウ」
「……次は何をして俺を弄ぶつもりだ?」
そう言って青山の手を乱暴に振り払った。
傷ついたように手を引っ込める青山。
「…そう、だよね…。ごめん、私なんかに触られたくないよね…。ひどいこと、言ったもんね…」
「……」
重苦しい沈黙が病室に満ちる。
なんなんだ。嬉々として俺のことを嘲笑っていたというのにしおらしい反応は。
昨日の様子とまるで違う青山の反応に戸惑ってしまう。
「その件に関しては僕から説明させてもらえるかい?」
「…マコト…」
そう言ってひょろ長い男が入ってきた。
お前も俺のことをバカにして楽しんでいたんだろう?
「…コウくん、君は本当に僕たちが、ただ君を苦しめるためにこんなことをしたと思っているのかい?」
……それは……。
わからない。違うと思いたい。だけど…
「まず結論から話そう。キミを女の子にしたのは、間違いなく僕たちだ」
「ちょっと!!マコト……!!!」
やっぱりか、昨日青山たちが言っていたことは本当だったんだ。
「それは違う。キミが昨日彼女の口から聞いたことであっているのはただ一つ、僕たちがキミを女の子にしたという一点だけだ。もちろん玩ぼうとか、憎しみがあってやったことじゃない。…信じてもらえるかわからないが、キミのためを思ってやったことなんだ」
「……」
「キミは知らないかもしれないが、この世界には悪魔と呼ばれる存在がいる。悪魔は青山くんに取り憑いていた。そして彼らは負のエネルギーを集めるために、キミに近づいたんだ。キミはエネルギーの排出量が多い。だから目をつけられたんだろうね。負のエネルギーは怒りや悲しみ、憎しみ、苦しみといった感情から発生する。男だった頃のキミはある理由からそれが発生しやすい状態にあって…」
「…っふっざけんなよ!!!!」
カッとなって病室を飾っていた花瓶をたたき落としてしまう。
硬質な音が響いた。
「何が悪魔だよ!馬鹿にしてんのか!!?何が俺のためを思ってなんだ!!なんで俺が女になんてならなきゃいけないんだ!俺が、俺が…どんな気持ちで……っ」
そう言って俺は病室から飛び出してしまった。
病室から俺を呼ぶ声が聞こえるがそんなの知ったことではない。
ただがむしゃらに病院内を走って行った。
時折、看護師さんに怒られた気もしたが、全部無視した。
やがて病院の屋上までたどり着いた俺は、走り疲れてフェンスに寄りかかった。
「…何が、悪魔だ…」
ふと空を見上げた時、背中にあったフェンスから小さく「キィ…」という軋む音がした。
そしてフェンスは屋上から解き放たれて行った。
「…え?」
フェンスが、外れた…!!!?
寄りかかっていたフェンスが外れたことで当然俺も屋上から落下を開始した。
あ…死んだな…
1秒が何時間にも引き伸ばされたようにゆっくりと景色が変わっていく。
過去を思い出していた。
母親に抱かれた記憶、父に遊んでもらった記憶。
弟が生まれて嬉しかった記憶。
友達と遊んだ記憶。
…そして、アキツグに出会った時の記憶…
たくさんの言葉を交わし、遊んで、仲良くなった。
……あれも、全部、全部嘘だったのかな……あいつの笑顔も言葉も、偽物だったのだろうか…
もう、関係ないか。全部終わる。
「ふっ……っざけんなよおおおおおおおお!!!!!!」
急激に落下が停止する。
腕に衝撃が走る。
その衝撃に顔を歪め、腕を見る。
誰かが俺の腕を掴んでいた。
「…アキツグ…」
アキツグだった。全力で俺の腕を掴んでいるのだろう。
顔を真っ赤にして血管を浮き上がらせていた。
「…勝手に、終わるんじゃねえよ…!俺が、俺たちが、お前のことを嫌いだなんて本当に思ってんのか!!?」
「…だって、青山が…」
「あんなん青山の言葉じゃねえ!お前だってわかってるんだろう!?あんなことを言うのが青山なわけねえだろうが!!」
…じゃ、じゃあ誰だって言うんだ!!
「だから、悪魔だっつってんだろ!他人の話を聞きやがれこのアホ!!」
カッチーン。
アホ?アホだって?
期末テストの結果で下から数えた方が早かったキミがそんなこと言うわけ?
「うるせえ!まだ本気だしてないだけだ!」
ふーん、じゃあいつ本気を見れるんですかぁ?
「…二学期の中間テストで、証明してやんよ!」
本当かなー?嘘だったら言うことなんでも一つ聞いてもらおうかな?
くすくすくす。
あれ、こんな状況なのに少し楽しくなってきてしまった。
「いいぜ、俺が中間テストの結果で上位30位に入らなかったらなんでも聞いてやる」
オッケー。言質とったからな!
「わーってるよ……だから、まだ、死ぬんじゃねえ。早く上がってこい!」
……そっか、じゃあ、まだ死ぬわけにはいかないかな…。
とはいえ、
「ごめん、アキツグ、左腕に力が入らないんだ」
壊れたフェンスが一部俺の左手を貫いていた。
全部落下しててくれればよかったのに、中途半端に残った部分があって、運悪く手に突き刺さってしまった。
「それなら、俺が、片手で持ち上げてやらああああああ!!!」
いくら俺が小柄だとはいえ、こんな不安定な体勢で持ち上げるのは不可能だった。
アキツグは全力で頑張ってくれていたが、徐々に俺の体は下がっていった。
…これ以上俺のことを掴んでいたら、アキツグまで落ちてしまうな…
「…アキツグ」
「…あああ!?」
「…青山たちにさ、代わりに謝っておいてくれないか?…信じてやれなくてゴメンって…」
「…自分でっ、謝れ!」
「…ねえ、アキツグ……」
「ん、だよおおお!」
「俺さ、アキツグと友達になれてよかったよ。…俺、お前のこと大好きだったぞっ」
俺は満面の笑みを浮かべて、そう伝えた。
お前に会えてよかった。
長くは生きられなかったけど、それでも心は満たされている。
この後一緒にいられないのは悲しいけれど、お前はまだ死んじゃだめだぞ。
俺の分も生きて、人生を目一杯楽しんでから、こっちにこいよ。
「ばか、や、ろおおおおお!!!」
アキツグの頬から水滴が落ちて、俺の頬を濡らした。
…なんだよ、泣いてんのか…。
やめろよ、せっかく笑ってお別れしようと思ったのに、俺まで悲しくなっちゃうじゃん。
「コウ、コウ!!!!!俺だって、お前のことが、大好きだ!!!」
ありがとう。
もしも、もしも来世というものがあるのなら
願わくばまた、お前と出会えますように。
「じゃあな」
そう言って俺は自分から、アキツグの手を振りほどいた。




