共有したい、好きの感情
ロゼンス様の執務室の前へと到着した。
「ロゼンス殿下に取り次ぎを」
「はっ!少々お待ちくださいませ」
父の一声で衛兵が確認をして、すぐにどうぞと扉を開けてくれたのでありがたく入室する。中に入るとロゼンス様の部下の文官たちがいたが、書類をしていないところを見ると、休憩していたのかもしれない。父と目が合うと緊張する姿に申し訳なさを感じる。
「これはシェナイン将軍。いかがなさいました」
文官らしき男性の一人がすぐにやってきて私たちに声をかける。
「いや、仕事ではない。此度はロゼンス殿下に私用があって参った次第。休憩中と見受けるが殿下はどちらに?」
「申し訳ございません。殿下は外の空気を吸いたいと出ていかれまして……。すぐにお探しいたしますので、恐れ入りますが少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
文官はそう言いながら今にも出ていきそうだったので、制止の声をかける。
「待ってください!今日は非公式に差し入れを持って来ただけなのです。当家の者が作ったお菓子ですので、どうぞ皆さまで召し上がってください。ロゼンス様には後から報告だけしてもらえればそれで構いませんわ」
そう告げて、フィアに目で指示して差し入れを渡す。ロゼンス様の分と部下の人たちが食べる分は別に分けて分かりやすく入れ物で区別してあるので、気兼ねなく食べてもらえればと思う。
差し入れを受け取って下がる文官を目の端で見ながら父が私に尋ねる。
「せっかく来たというのによいのか?」
「気分転換に散策をなさっておいでなのでしょう?でしたらお邪魔したくありませんわ。お顔が見たいというのは私のわがままですもの」
私と父がここで待てば、皆も休憩しづらいことだろうし。
私を見る父に笑顔で帰ろうと組んでいた腕を引いて促すと、父が何やら言いたげな表情になる。
回廊を進む父の足取りはどことなく重かった。
「こうなるのであれば、事前に殿下にも告げておくか、仕事中に伺った方が良かったか……」
「もしかして、今がちょうど休憩中だとご存じだったのですか?」
「お前もその方が気兼ねなく会いやすかろうと思ってな」
ということは最初から私の来訪時間も、この休憩時間に合わせていたのかもしれない。
「お心遣いありがとうございます。私としては差し入れをすることが出来ただけで満足ですもの。初めて歩いた回廊も楽しかったです」
「そうか……。せっかく来たのだ。普段は連れていけない場所に連れて行こう。どこか行きたいところはあるか?」
父の提案に、一度考えてからせっかくなのでと言ってみることにした。
「ではロゼンス様の愛馬ベルガーと挨拶をしたいです」
「わかった。ならば行くぞ」
こうしてベルガーに会いに行くことになった。
王族の馬は軍馬とは別の厩舎にいて、専用の馬場でのびのびと駆けているなどの話を聞きながら移動し、しばらくして厩舎に到着する。
さすが綺麗で気持ちよさそうな厩舎だなと思いながら近づくと、人がいた。
「ロゼンス様?」
「パルメア?シェナイン将軍も……?」
上着を脱いで袖をまくり上げてベルガーにブラシをかけていたのはロゼンス様だった。
近くに立つ従者が上着を持っている。
なるほど、息抜きにベルガーに会いに来ていたんだ。
ロゼンス様はほんの少しだけびっくりして固まっていたけれど、すぐにしゃんとした笑顔になった。
「やぁ、パルメア。城へ来ていたんだね。将軍も、まさかこんなところで会うと思わなかったから驚いた。見苦しい姿で済まないな」
「いえ殿下、お気になさらず。我が娘が殿下の愛馬と挨拶したいと申しまして、可愛い娘の願いを叶えるため参った次第でございます」
「非公式な形での来訪をお許しくださいませ、ロゼンス様」
お互いに簡単に挨拶をして、ここへやってきた事情を父が軽く話した。
「パルメアが差し入れを?それならば仮眠室にいればよかったな。悪いことをしたね」
「いいえ、ロゼンス様は何も悪いことなどございませんわ。私が勝手に来てしまったのですもの」
「せっかく来てくれたのに会えないところだったとは。パルメアがベルガーに会いに来てくれてよかった」
ちなみにちゃんとベルガーに挨拶をした。ベルガーもふるふると鳴いて挨拶を返してくれる。
ベルガーに挨拶をしたいなと思ってよかった。
私が一通りベルガーと挨拶を済ませたのを見て、父が思いついたような口調で言う。
「おおそうだ!殿下の差し入れは執務室にございますが、せっかくならば休憩中の今、召し上がられてはいかがか」
「そうだな。パルメアが差し入れてくれたものなら、いただこうかな」
「では取りに参りましょうか」
私が言えば父がゆるく首を振り、やや大仰な仕草で言う。
「いや、私はそろそろ戻らねばならぬ。殿下の執務室に言付けて届けさせましょう」
ロゼンス様は父の提案に微笑んで頷いた。
「ではお願いしてもよいかな。パルメア、良かったら私にも城の案内をさせてもらえると嬉しい。時間はあるかい?」
うれしい!
思わぬ申し出に大きく頷きながら返事をする。
「えぇ、もちろんです!よろしくお願いいたしますわ」
「シェナイン将軍、パルメアをお預かりする。ファビアの庭園に向かうので、差し入れはそこへ」
「畏まりました。そのように手配いたしましょう。我が娘をお願い申し上げます」
こうして私は父と別れ、ロゼンス様に城を案内してもらうことになった。
ロゼンス様と腕を組んでゆっくりと歩く。
ロゼンス様は袖を整えて従者から上着を受け取り、腕は通さずに肩にかけて羽織っている。
私の服装もあって城を歩いているとは思えない気持ちだ。
「ここが城なのが不思議な感じがするな……」
「あ」
「うん?」
とっさに出した声をロゼンス様が拾ったので、促されるように続ける。
「今……私も同じことを考えていました」
私が言うと、ロゼンス様がうれしそうに笑う。
「パルメアと気が合って光栄だ。そういえば、今日はいつもと違う方法で来たんだって?」
「はい。初めて違う回廊を通ってきたのです。お城がいつもと違って見えて驚きました」
「そうか。じゃあ今から行く場所も違って見えると思うよ」
「そうなのですか?どんな風に違うのでしょう」
ファビアの庭園は何度か案内してもらったことがある。落ち着いた雰囲気の、数ある庭園の中で言えば比較的小さな規模の、白い東屋がある庭園だ。違うとはどう違うのだろう。
ロゼンス様が楽しそうな声で言う。
「それはついてからのお楽しみだ」
「まぁ、それは楽しみです」
私はそう頷いて返した。
その後は言葉もなく、ゆっくりとロゼンス様に手を引かれて歩く。
沈黙が心地よく感じたことが、なんだかとても嬉しく感じた。
くるりと城の外周を回るように移動して、ファビアの庭園へと着いた。
私の記憶にある通り、さほど大きくないけれど彫刻や噴水があり、短く切りそろえられた緑の芝に石畳が映え、奥には白い東屋がある。
記憶と違ったのは花だ。
「全部つぼみ……?」
私が呟くと、ロゼンス様がちょっとだけ照れくさそうに内緒話をするような顔で言う。
「そう。ここは今眠らせている庭園だ。花の状態からいって、もう少ししたら起こす場所になる」
ロゼンス様は庭園をゆっくりと歩きながら話す。
城の庭園は花が最も美しい状態を保つために、基本的には見頃の花を常に植え替えて美しさを維持している。
けれど、植え替えが出来ない繊細な植物を集めた庭園は、花が見頃の時期を迎えるまで客人を案内しない。そのため、見頃ではない時期の庭園を「眠らせている庭園」と呼ぶのだそうだ。
私の記憶の中では美しい花のヴェールを被ったような姿だった庭園にある小さな東屋も、今は植物を編んだレースを被ったようで、所々につぼみの花がそっとあしらわれていた。
「立派な淑女の君を連れてくるのにふさわしい場所ではないのは重々承知しているのだけれど、私はこの咲く直前の庭園の空気がとても好きでね。どうしても一緒に見てほしくて連れてきてしまった。私と同じ気持ちを共有してもらえると嬉しいな」
最近よく来るんだ、とそう言いながら座るように促され、私も東屋の椅子に腰を下ろす。
ちょっと楽しそうな顔でつぼみを見つめるロゼンス様を見て、私も同じようにつぼみに視線を向ける。
緑が多くて、その中に咲くのを待っている花開きかけのつぼみたちがぽつぽつとほんのり彩を見せる花壇は、確かに私が知っているファビアの庭園とはまた違った姿を見せていた。
何だか胸の奥が懐かしさにぽかぽかと温かくなったかのような気持ちがする。
「なぜでしょうか、見ていると不思議とわくわくする気持ちになりますね。森の中の隠れ家みたい」
「そうなんだ!秘密の隠れ家のみたいだろう?わくわくするんだよ!この今から咲くぞという生命力に満ちている感じも好きなんだ。君が同じように感じてくれてうれしいよ」
ロゼンス様が本当にうれしそうな声で言う。
その声につられて、私の気持ちも軽くなる。気持ちのままに言葉を紡いだ。
「それに……なんだか懐かしい感じもします」
「懐かしい?どんな風に?」
ロゼンス様が続きをそっと促す。
私はつぼみを見つめたまま、懐かしむような気持ちで口を開く。
「幼い頃に庭師と一緒に花の手入れをしたことを思い出しました。あの時はどんな花が咲くのか楽しみで、毎日庭師に朝晩咲いたか尋ねて困らせていたことを思い出します。ずっと忘れていました」
「土いじりするパルメアか。想像できないな……。叶うことなら見てみたいね」
「お恥ずかしくてお見せできませんわ。私、幼い頃はとってもお転婆だったのです」
ロゼンス様もつぼみを見つめて、楽しそうに笑っている。
「私もなかなかやんちゃな子供だったから、きっと一緒に遊べたかもしれないよ」
「まぁ、そうだったのですか?」
ロゼンス様はいたずらっぽく笑って言う。
「木登りが得意でね。だけど降りるのが苦手だったんだ。調子に乗って降りられないほど高く木に登って、いつも兄が見つけてくれるまで泣いていたよ」
そうして兄が呼んだ騎士に降ろしてもらい、その後、兄と騎士から説教を受けるまでがお約束だったと笑って言うロゼンス様につられるように小さく笑う。
長く婚約者として時間を共有してきたのに、こんな話ですら、初めてしたんだなと気が付いた。
きっとこの、穏やかな空気のおかげなのだろう。
あぁ……私、とても落ち着いて話をしているわ。
うれしさばかりが空回っていたお見舞いの時と違って、今は流れる空気が穏やかだと感じる。
ロゼンス様と穏やかに話せて、うれしいわ。
そんな気持ちをじんわりと噛み締めていると、ロゼンス様がちょっとだけ怪訝そうな顔で私を見る。
「……パルメア、どうしたんだい?」
「あ、すみません。ぼーっとしてしまいました。穏やかな空気が心地よくて」
「そう?……だったらいいんだ」
丁度その時、差し入れのかごを持った従者が到着したので、フィアが受け取りテーブルに置く。
「嬉しいな。何を持ってきてくれたんだい?」
「当家の料理長が作りました、一口パイです」
そう言ってフィアが手際よく用意した小さな皿に乗った一口パイをロゼンス様に渡す。
「お疲れの時は甘いものを少しとるとよいと聞きましたので、以前にお出しした際お好きだと言ってくださった、これをお持ちしました」
「ありがとう。いただくよ」
そう言ってロゼンス様がパイを食べて相好を崩す。
「うん、美味しい」
「そう言っていただけて光栄です。料理長も喜びますわ」
好きな人のお気に入りの場所に案内してもらって、好きなものを好きな人と一緒に食べて、特別なことは何もしていないけれど、いつもより少しだけ踏み込んだ話をした。
それだけのことが、うれしくてたまらない。
「この一口パイ。私もとても好きな菓子なのです」
「うん?」
ちゃんと伝えたいな。
「だから……ロゼンス様もお好きだと言ってくださって、うれしいです」
ロゼンス様が気持ちを共有したいと思ってくださったように、私も同じ気持ちを感じてほしいから、ちゃんと伝えなくては。
「パルメア……」
ロゼンス様がほんの少しだけ、戸惑ったような声で私の名前を呼んだ。
私の気持ちが先走りすぎたかしら……。
段々不安になってきたとき、ロゼンス様が口を開いた。
「パルメア」
「は、はい」
「私に名を呼ばれるのは好き?」
名前……?私の?
「はい!……ロゼンス様に名前を呼んでいただけると嬉しいです」
あまり呼ばれる機会がないので、名前を呼んでもらえただけで舞い上がるほど喜ぶ自信がある。
「そうか。それならばよかった」
ロゼンス様はそう言って微笑んだ。
「さて、そろそろ仕事に戻らないといけないな。残りは後でいただくよ」
「はい。お顔を見るだけで幸せでしたのに、こうしてロゼンス様の休憩にご一緒させていただけて光栄でした。案内していただいて、ありがとうございます」
「私の方こそ、パルメアが会いに来てくれてうれしかった。今度はもっとゆっくりと過ごしたいな。また遠乗りを一緒にしたいのだけれど、お誘いしてもいいかい?」
「もちろんですわ!ベルガーとヴィヴィーネもきっと会いたがっていることでしょう」
私が約束に声を弾ませて返事をすると、ロゼンス様が約束だと頷いて立ち上がり、手を差し出した。
「では名残惜しいが、行こうかパルメア。門まで送ろう」
「はい、よろしくお願いいたします。ロゼンス様」
私は迷うことなく、ロゼンス様が伸ばした手を取って立ち上がった。
その後、ロゼンス様に馬車まで送り届けてもらい、見送られて城を出た。
馬車が門を抜けたところで、私は向かいに座るフィアに尋ねた。
「どうだったかしら?私の変な癖……出ていなかった?ロゼンス様に変に思われていなかったかしら?」
私が祈るような気持ちで尋ねると、フィアは何と言おうか迷うような口調で恐る恐る告げた。
「恐れながら……お嬢様の例の癖は出ておりました。殿下も少しだけ困惑されておられるようでした……」
その言葉を聞いて、またやってしまっていたのかと泣きそうな気持ちになる。
「そんな……私、またロゼンス様をご不快なお気持ちに……?」
私の落ち込み様に、フィアが慌てて口を開く。
「で、ですがお嬢様。私が見ていた限りでは、お二人の間に流れる空気はとても良い雰囲気だったと思います!
ご聡明な殿下はお嬢様のご様子に、何か考えていらっしゃるようにもお見受けいたしました。それにお嬢様はいつもよりたくさん真っすぐにご自身の感情を伝えていらっしゃいました!
お約束だっていただけたのですし、きっと良い方に進展がございますよ!!」
「そう……そうよね」
悪いことばかり考えては、良いことが逃げてしまうわ。
なるべく前向きに考えなくては。
最後の質問は唐突だったけれど、それ以外は普通に仲良く会話できたはずだし。
「お父様もお兄様も、料理長にも協力してもらったのだもの。へこんでばかりではいけないわ!
ほんの少しでも私の気持ちが通じたと信じて、次のことを考えなくてはね」
私はフィアに励まされながら屋敷へと帰った。




