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背中を押す、家族の愛情

 ロゼンス様に決意の手紙と贈り物をして以来、私は不安で眠れないほどの緊張感に包まれた毎日を過ごしていた。


「あぁ不安だわ。ロゼンス様はどう思われたのかしら?文章はあれでよかったかしら?やっぱりもう一度書き直すべきだったかしら……」


 何枚も便箋をだめにしながら書いて、一番素直に自分の気持ちを綴ることが出来た手紙を出したのだけれど、ロゼンス様からの返礼の手紙が来るまではフィアにあきれられるほどにしつこく答えの出ない不安を吐露し続けていた。

 そんな不安はロゼンス様の手紙が来て、すぐに喜びに変わる。


「いつもよりたくさん書いてあるわ!」


 ロゼンス様の返礼の手紙はもともと、形式的なお礼の言葉以外にも、ちょっとした他愛ない自身のことや周囲のことなどが書いてあって、くすりと笑ってしまうような、ほほえましいなと思うようなものだった。今回の手紙はそれだけでなく、ほとんど私的なことやちょっとした愚痴などが書いてあり、私に疑問を投げかけるような返事を必要とするもので、どうみてもお礼の言葉は建前の、私と会話することを目的とした便りだった。


「いつもより少し崩した書き方で、私に質問するような言葉もたくさんあるの!」

「まぁ!それでは殿下はお嬢様のお返事を待っていらっしゃるのですね!」

「そうよね?フィアもそう思うわよね!!これはロゼンス様からの頻繁にお手紙を交換しましょうという意思表示よね!!」

「えぇきっと!そうに違いありませんわ!」


 私はうれしさで飛び上がるようにフィアに抱き着いて、くるくると踊るように回る。

 フィアは少しびっくりしながらも、「おめでとうございます!」と言って一緒に喜んでくれた。


「そろそろ落ち着いてくださいませ、お嬢様。転んだら大変ですわ」

「平気よ!うれしくてたまらないの!さっそくお返事を書かなくちゃ!フィア、便箋を用意して頂戴!!」

「かしこまりました。すぐにご用意いたしますね」


 ふふっと笑いながらなだめるようにフィアが言う。

 用意している姿を眺めながら、私は手紙を胸に抱いて椅子に座る。


「よっぽど素敵なお言葉が書いてあったのですね。例の癖が出ていらっしゃいますわ」

「やだ!やっぱりまだ治っていないのね。だめだわ。無意識でやっているから、自分では気づけないもの」


 フィアが用意をしながら指摘するのに、私は頬を揉むようにして唸る。

 次にロゼンス様とお会いするまでに直せるだろうか……?

 ひたすらに注意してもらいながら、直すしかないなぁと考えつつ、用意された便箋に返事を書くため、私は筆を執った。



 それからしばらく経ったある日。


「———以上が内政官からの報告となります」

「わかりました。そのように進めてちょうだい」


 現在、私は自室で家令から報告を受けている。

 領地や屋敷内の使用人の管理や財務に関して報告を受けたり指示を出したりと、今日はひたすら書類仕事をこなしていた。

 本来ならば女主人の仕事なのだが、母が早くに亡くなって不在のため私が代理で務めている。

 一通りやり取りを終えて家令が下がると、私はふぅと肩の力を抜いて息を吐く。

 家令と入れ替わるようにフィアが隣に立ち、お茶の用意をする。

 静かに紅茶を入れる音が耳に心地よい。

 そっと並べられたお茶菓子に一口パイがあるのを見て、少しだけうれしくなる。


「フィア、今日の報告は終わりよね?この後は仕立屋が来るのだったかしら」

「はい。ドレスの仮縫いが仕上がったとのことで、その試着のご予定です」

「明日は孤児院の慰問があるのよね」

「さようでございます」


 元気な子供たちと遊ぶのは好きだ。話を聞いたり笑い声を聞くだけで元気をもらえるような気持ちになる。

 他に手が忘れてしまわないように音楽やダンスなどの習い事が入っていたはずだ。

 明日も一日忙しいのだろうなぁと考えて、小さくため息が出る。


「はぁ、ロゼンス様とお会いする時間が全然ないわ……」

「お嬢様は以前にもまして殿下を恋しく想うお時間が増えておりますわね」

「仕方ないでしょう。全然お会いできないのだから。……少し休みたいから一人にしてちょうだい」

「かしこまりました。ごゆっくりお寛ぎくださいませ。それでは失礼いたします」


 私が言えば、フィアが心得たように微笑みながら部屋を出る。

 私は鍵付きの机から手紙を取りだして読む。

 一番新しいロゼンス様からの手紙だ。最近は休憩の時に一番新しいものを何度も読むのが習慣になっている。手紙の束が一つまた一つと嵩を増していくことすらうれしくてたまらないのだ。


 私は今、順調にロゼンス様と手紙のやり取りを重ねていた。

 出来れば直接お会いして話をしたいところなのだけれど、それが中々叶わない。

 女主人の代理仕事や社交のためにサロンへ顔を出したり、父の名代として贈り物や挨拶を受けたりと私もそれなりに忙しくしているからだ。

 そして、私以上にロゼンス様も忙しくしているらしい。

 手紙の中で、ロゼンス様は書類仕事が増えて体がなまって仕方がないと言っていた。

 かつての私なら、お忙しいのならばお邪魔にならないようにと、便りを送ることを控えて何もしなかったけれど、今回はそうしない。迷惑かもだなんて考えずに、少しでもロゼンス様の気晴らしになるようにと願いつつ、私が喜んだこと、ロゼンス様と共有したい出来事をなるべく飾らない言葉で綴るようにしている。

 それが功を奏しているのか、ロゼンス様も頻繁に返事を書いてくれている。

 そんなロゼンス様からの便りの中に、以前ならば書かれなかっただろうちょっとした愚痴や、少しだけ仕事の内容に触れているものがあって、そのことがとてもうれしかった。

 もちろん私に話しても大丈夫なものだけなのだろうが、少しだけ距離が近づいたような気がする。

 その内容と、これから先の記憶があるからわかることなのだけれど、どうやらロゼンス様が今忙しいのはティゼルド様が砦へ視察に向かわれている間の仕事を引き継ぐためのようだった。

 そういえば丁度兄も父も忙しいなと思っていたのだけれど、それも視察が絡んでいるのかもしれない。

 そして兄や父、ロゼンス様が忙しいのを見ると不安に思うことがある。


「以前は結局、お便りを控えてからロゼンス様とお会いしたのはティゼルド様が視察に向かわれる少し前に開かれた夜会でご一緒した一度だけだったわ。そのたった一度でロゼンス様に信用してもらうだなんてできるのかしら……?それまでにせめて一度でもお会いする機会がないと、さすがに手紙だけではどうにもならない気がするわ……」


 かといって、兄や父以上に忙しそうなロゼンス様に私のわがままで会いたいなどというのは難しい。いくらティゼルド様を守る道につながる大事なことなのだとは言え、現状は私がわがままを言っているだけとしか受け取ってもらえない。心証を良くするために会いたいのに、会うために心証が悪くなってはだめだろう。

 それに、忙しそうな合間を縫ってお手紙のやり取りをしてくださっているのに、さらに時間を作って私と会ってくださいとお願いをして、私のせいでロゼンス様が余計無理をしてしまわないかも心配だ。


「こんな時、身分があると面倒だわ。手続きなどせずに、気軽に顔を見るだけでも出来ればいいのに……」

「でしたら、手続きが必要ない方法で会いに行きましょう!」

「え?そんな方法あるの……?」

「ひとつ、抜け道のような方法がございます」


 それからフィアが提案した方法を聞いて、私はなるほどと思いながらさっそく行動に出ることにした。



「お兄様、いらっしゃいますか。パルメアです」

「いるぞ。入っておいで」


 夜になり、向かったのは兄の部屋だ。

 扉をたたいて声をかけると、すぐに兄の声がして、フィアと共に部屋に入れば寛いだ格好の兄が長椅子でゆったりとお酒を飲んでいた。


「お酒を召し上がっていたのですか?」

「ここのところ忙しくしているからな。少し飲んだ方がぐっすり眠れるんだ」

「あまり無理をしないでくださいね?」

「パルメアに心配かけないように気を付けるさ。座ったらどうだ。何か用があるんだろう?」


 兄に勧められて向かいの長椅子に座り、単刀直入に話を切り出した。


「お兄様。お願いがあるのです」

「何だ?」

「お城にいるお兄様に差し入れを持っていきたいの。行ってもいいかしら?」

「城に?わざわざお前が来るのか?なんでまた……」

「お兄様と会った帰りに、一目でいいからロゼンス様にお会いできればと思って」

「ロゼンス殿下に?なるほど、つまり俺は口実なわけか」


 私の答えを聞いて、兄は不思議そうな顔で言う。


「どうしてお前がわざわざそんなことをするんだ?ロゼンス殿下とお会いしたいならば、正規の手続きを踏んで城に来ればいいだろう。お前は殿下の婚約者なのだから」


 きちんと婚約関係にある私が殿下と会うために使う手段ではないと説明されて、私は正直に目的を話すことにした。


「私が正規の手段でお約束をすると、ロゼンス様のお時間をたくさんいただくことになってしまうわ。私に会うために、きっとご負担をおかけしてしまうと思うの。私のわがままだということはわかっているけれど、どうしても一目お会いしたいのです。だから、本当に一目だけ、何なら差し入れを部下の方にお渡しするのを見届けるだけでもいいから、お近くに行きたいの。……だめでしょうか?」


 私がそう言うと、兄はふむと考えるように一度頷いてから酒を飲み、口を開いた。


「わかった。なら俺に会うための手続きをしておいてやる。ただし、ロゼンス殿下に会えるかどうかは保証しないぞ」

「うれしいっ!ありがとうございます、お兄様!」

「それと差し入れは少し多めに用意しておくように」

「かまいませんが、どうしてですか?」

「父上にも顔を見せておいた方がいいだろう。話は私から通しておく」


 可愛い娘が自分には会いに来てくれないのかと拗ねて、後で俺に当たるからと兄が茶化すように言ったので、あの父が拗ねる姿を想像して笑ってしまった。



 翌日、家を出る兄が手続き自体は一日あれば終わるというので明日のために料理長に一口パイの準備を頼んで、フィアと着ていくドレスを考えながら待っていたら、昼過ぎに兄からの使いがやってきて、手続きが出来たから明日おいでと伝言を貰った。


「本当にこんなにあっさりと手続きできてしまうのですね」


 私からロゼンス様にお会いしたいとお願いすると、手紙のやり取りから始まって、ロゼンス様が時間を調整して予定を開けてくださるまで結構な時間がかかるのだ。あまりの速さに驚いていると、夜に兄が笑いながら教えてくれた。


「本来はもう少し手間がかかるものなんだが、父上を巻き込んだおかげで恐ろしい速さで手続きが出来てしまったんだ……」

「そうだったのですね」


 兄も兄で多少家の名前を使おうと考えていたようだが、父を巻き込んだことによってさらに大きな権力を振りかざすことになってしまったのだという。


「俺から父に話を通したら、ものすごく張り切って俺の名前で書かれた書類を奪い取って自ら申請しに行ったんだ」

「まぁ」

「軍を取りまとめる将軍が突然現れて、担当した者はさぞ驚いたことだろうな……」


 兄はどこか遠くにいる誰かを思い出すような顔で申し訳なさそうにそういった。


「そういうことで父上にはよく感謝しておきなさい。忙しくてなかなかお前の顔が見れないことを寂しく思っていたようだからな」

「えぇ、もちろん!お兄様に相談してよかった!ありがとうございます」


 その後、兄から城に来る時の手続きについて教わり、明日に備えて就寝した。



 翌日、さっそく馬車で城へとやってきた。


「正規の手続きでないとこういうところを通るのね。知らなかったわ」

「お嬢様がいつも通っていらっしゃる門は、こういった手続きを必要としませんものね」


 いつもと違う門から入り、一緒についてきた侍従が詰め所のような場所で必要な手続きをするのを、隣の控室のような場所でフィアと雑談しながら待ち、城の衛兵の案内で兄のところへと向かう。

 いつもと違う道は調度品や回廊の雰囲気がまた異なって目に楽しい。

 新鮮な気持ちで兄のところへ向かい、事前に聞いていた同僚や上司に軽く挨拶をしてから侍従に持たせていた差し入れを渡した。そして私を案内するために仕事を抜け出してきた兄と一緒に、父のところへと向かう。


「ごきげんよう、お父様」

「おお、パルメア!よく来たな。うむ、皆仕事の手を止めて休むとよい。私は娘の相手をする!」


 兄と共に執務室へ顔を出すと、がばっと書類から顔を上げた父が立ち上がり、さっさと指示を出して私の肩を抱き、執務室を出ていこうとするので用意していた差し入れを父の部下に渡すよう指示を出す。


「じゃあ父上にあとは任せて私は戻るかな」

「お兄様、ここまでありがとうございました」


 兄はそう言って父に案内を引き継ぐと、父と二言三言話をしてから戻っていった。

 父は「ロゼンス殿下のところへ行くのだろう?」と言ってロゼンス様の執務室へ案内してくれる。

「気分転換に、少し回り道をしながら行こう」と言われて、主に城勤めの者たちや商人が使うような回廊を歩く。

 気分転換と言ったけれど、こっそり来るためにあえて正装で来ていない私のために、貴族と会わない道を選んでくれた父の心遣いを感じてうれしくなる。


「いつも通る回廊と違い、あまり絵画や調度品がなくて物珍しいだろう」

「えぇ、でも窓が大きくて光がたっぷり入ってくるのが心地よいですね。それにとても広く感じます」

「華やかさはないが、ここもなかなか良いものだぞ。ただし日差しが強い日は目が焼かれそうになるがな」


 そんな話をしながらゆっくりと歩くので、改めて父に感謝を伝えた。


「お父様、今日は私のお願いを聞いてくださってありがとうございます。お父様と久しぶりにゆっくりとお話しできてうれしいわ。

 でも、お忙しい時によろしかったのですか?私はお顔を見るだけでよかったのですけれど……」

「いやなに構わん。あれらも私がおらぬ方が落ち着いて休憩なり仕事なりするだろう」

「それならいいのですけれど」

「それに、此度のわがままくらいは可愛いものだ。……お前が願い事をしたのは仔馬が欲しいと言った時以来だった」


 父はどこか独り言にも似た口調でそう言った。

 母が亡くなって以来、初めて明確に欲しいと口に出してお願いしたのは愛馬のヴィヴィーネくらいだったなと言われて初めて気が付いた。


「お前はずっと、不満を抱え込んだまま一生を過ごすのだろうかと危惧していた。必要なことだと私が決めたこととはいえ、叶うならば幸せになってほしいと願っていたのもまた本心だ」


 城にいるので具体的な言葉は出さないが、父が何に対して言っているのかはわかった。

 婚約が白紙になった未来で、父が悔いていたのを知っている。

 あの時は誤解されていた衝撃と悲しみでそこまで考える余裕がなかったけれど、父も私とロゼンス様の仲がうまくいっていないことに心を痛めていたのだ。


「お前がロゼンス殿下ともっと親しくなりたい、そのために必要だというのならば、これくらいのわがままは些細なことだ。思うようにやりなさい。お前を笑顔にするために必要ならば私の名と力くらい、いくらでも使ってよいのだ」


 柔らかく、しっかりとした口調で言われた言葉の重みと愛情が、うれしくてたまらない。


「お父様、私うれしくてたまらないの。また不満そうな顔になっていないかしら」

「そうだな。だがなに。それがうれしくてたまらないのを噛み締めているのだと知れば、愛らしいものだ」


 父はからからと笑うようにそう言った。

 兄や父が忙しい中、私のわがままを聞いてくれたのは、二人が私たちのことをずっと心配してくれていたからだ。

 私……本当に色んな人と言葉や心を交わしていなかったのね。

 だから何も知らず、気付くことなく、不幸な結果を招いてしまったのだ。

 父に寄り添いながら、私はぐにぐにと頬をほぐすように撫でつつ、幸せをかみしめた。

 私はこんなにも幸せだ。皆から愛されて、守られている。


 だからこそ大切にしなきゃいけない。

 この先にある不幸から、私が皆を守らなくては。


 私は心の中でしっかりとつぶやいて、ゆっくり父と回廊を歩いた。


 


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