13話 勝負の行方。
宿の寝心地は十分なものだった。
ビジネスホテルのような一人部屋で、ベッドと小さな机があるだけの狭いものではあったが、もともと寝るだけの部屋だ。
ここ数日、固い床で寝転がっていただけで、朝起きたら体が痛かったからな。
部屋を出て、階段を降りる。
この宿は一階が酒場になっていて、泊まるのは二階だ。
「あら、感心ですわね、ごきげんよう」
一階にはすでにエレメアが待っていた。他のメンバーは居ないようだ。
「準備はよろしくて?」
「いや、まて。朝飯くらい食わせろ」
相変わらずカウンターの向かいに座っているマスターに、大銅貨を1枚渡す。
「あら、お金もろくに無いくせに、朝食を食べようと言うのかしら。もう少し、身の程をわきまえてはいかが?」
「朝飯食うだけで、酷い言われようだな。生まれてこの方、そんなこと言われたのは初めてだよ」
日本では朝食を抜くほうが文句を言われたものだ。健康診断とかで。
「お前だって、もう食べた後じゃないのか」
すでに皿は空になっており、カップでお茶のようなものを飲んでいる。
「朝食はしっかりと。夕食は控えめに、がエルフ流ですのよ」
ああ言えばこう言うな。
運ばれてきた朝食はそこそこのボリュームであった。
パン。
目玉焼き。卵が流通しているのか。
肉を焼いたもの。昨日のウサギ肉かもしれない。
茹でた野菜。
カップにはスープ。これは昨日の夕食と同じものだな。
希望すれば食後にお茶をくれるらしい。
「珍しいですねぇ。エレメアさんが男性と同席なんて」
給仕の女性が声をかけてくる。
なんでも、マスターの娘さんだったらしい。名はマリー。看板娘としてちょっとした有名人だとか。
「変な言い方しないでくださる? 少し事情があるだけですわ」
すまし顔でゆっくりとお茶を飲んでいる。こちらが食べ終わるのを待ってくれるようだ。
皿のものはきれいに平らげ、食後のお茶も飲み、人心地。
「さて、スタートの合図はどうする?」
「あなたの好きなタイミングでよろしいですわ。先手は譲って差し上げてよ」
ずいぶん余裕だな。
「じゃあ……、今スタートだっ」
エレメアが座ってくつろいでいるタイミングで椅子から立ち上がり、出口へ駆ける。
外に出れば、北門に向けてダッシュ。
「勝負であるからには、負けるわけにはいかんのだよ」
問答無用にスタートダッシュを決めた。
街の北門を抜けて、しばらくは草原が続く。
昨日は森を抜けてから街まで、歩いて1時間程度だった。走れば30分くらいで着くだろう。
エレメアの格好は冒険者の癖にスカートだった。魔法使い故なのだろうが、あれでは街中を全力で走るなんてできはしないだろう。
「これでもう、10分は差をつけたね」
おそらく、勝負は接戦になると見た。そこに10分の先行は大きいはずだ。
「む?」
おかしい。差をつけたと言ってもそろそろ門から出てくるはずだ。見通しの良い草原なのだから、出てくれば判る。
そこで気づいた。
「そうか、北の森とは限らないってことか」
東西の街道、南の湖、そちらにも獲物はいるのかもしれない。ならば、後を追ってこなくてもおかしくない。
「なら、北の草原にもいる可能性がある?」
街に近い位置で獲物がとれるなら、運ぶ時間も短くて済む道理だ。
馬鹿正直に北の森を目指す俺を見て、ほくそ笑んでいたってわけだ。
「それなら、アースサーチ」
お馴染みの脳内立体マップ。それを草原エリアに広げる。
街の門までは真っ直ぐに見通せているが、東西は丘のように隆起しているため、その向こう側は目視できていない。川沿いに移動しているから、一段低いのだ。
その見えなかったエリアに、反応がある。
「よし、土壇場で気付いた俺、偉い」
近いのは西側か。その場で進行方向を90度変更して、草原を走った。
「くそ、グリーンディアか」
最初に見つけた反応は、緑の毛皮の鹿だった。ワルドボアを選んだのは失敗だったか。
「エレメアに、先にこいつらを見つけられたら負け確定だな」
だが、アースサーチがあったからこそ見つけることができたのだ。まだこっちが有利なはず。
「次だ、次」
アースサーチを繰り返し、近い反応を追った。
鹿を見つけること3回。これって猪はハズレだったってことか?
だが、二枚の依頼票から片方を選んだのは俺だ。単純にどちらかが有利になるとは思えない。
「なんで、鹿ばっかり当たるんだ? 猪は森にしか居ないとかか? ちゃんと反応の多い方を選んでるんだから、一匹くらい猪が混ざっていても良さそうなのに」
見つかるのはことごとく鹿の群れだ。
今からでも森に向かうべきか。
悩んでいる時間も惜しい。アースサーチでの確認を繰り返す。
「ああ、そうか。そういうことか」
マップを確認して気付くことがあった。
改めて反応の先へと走る。
「いた。あれがワイルドボアだ」
丘を越えた先、窪地になっている場所にワイルドボアがいた。
肉の塊のような丸いフォルムだが、体長は人の身長ほどもある。
なんのことはない、ゲームではないのだ。ワイルドボアとグリーンディアには縄張りがある。そして、群れになって集団生活をしているのがグリーンディア、単独で行動するのがワイルドボア、ただそれだけだった。
たくさんの反応がある方を選んだ結果、ワイルドボアを避ける事になっていたわけだ。
「よし、アースホール」
目視さえできていればこちらのもの。ワイルドボアの巨体も関係なく、開いた穴に落とすことに成功する。
グリーンディアではなくワイルドボアを選んだ理由がこれだ。グリーンディアは角も納品しなくてはならない。穴に落としたのでは角が破損するリスクが出る。
穴を大きくすれば鹿はジャンプして逃げるかもしれない。鹿のジャンプ力は侮れない。
それに引き換え、猪に落とし穴はとても有効だ。あいつら、ジャンプとかできないからな。
ここで、ストーンニードルで全周突き刺し攻撃をすれば簡単に狩れる訳だが、今回は皮をきれいに取らなければならないわけだ。
「アースバインド」
穴に落ちた獲物をそのままに、土を戻す。
要するに生き埋めだ。
「アースソナー」
埋めた穴の上に手をついて、下へ向けての大地知覚。
地面の下に大地に属さない異物が存在することが判る。
異物は言うまでもなくワイルドボアだ。暴れようとしても土に埋まった状態では大きく身動きはとれない。少し動いては隙間を土で埋めてしまう。
暫し後、異物の反応はまったく動かなくなった。
窒息したのだ。
「アースホール」
再び地面に穴を開ける。穴の下にあるのはワイルドボアの死体。
「アースリフト」
穴の下側の地面を隆起させる。そうして今、俺は無傷のワイルドボアを手に入れたのだった。
あとは店へと運ぶだけだ。大地変容で担架のような形状を作る。
本来の担架であれば二人で両側を持って運ぶところだが、今回は一人で運ぶ。なので対面側は地面に引きずることになるので、斜めになっても落ちないように獲物を乗せた状態で支えを作る。
こうすることで、獲物を地面に引きずるよりも少ない労力で運ぶことができるのだ。皮を痛めなくて済むのも良い。
「さあ、あとは勝つだけだ」
そうして俺は帰路についた。
しかし、改めて思うが、妙に体力がついているな。
森で移動に何日も費やした身ではあるが、あれは肉体の疲労のせいではなく、単に怠けたくなったせいだ。
今日は朝から一日中走り回っているが、まだ余力がある。
狩ったワイルドボアも、運ぶのにもっと苦労してもおかしくなさそうなものだ。
この体は高性能なのだろうか?
体の感触を確かめながらまた一つ丘を越えると、もう街の門は目の前だ。
「げっ」
いた。
何がいたって、あれはエレメアじゃないか。
遠目にも判る長い金髪と、場違いな服装。
そしてなにより、その背後に横たわって浮いている緑の鹿。
それが街に流れ込む川の、反対側にある丘から姿を見せたのだ。
現在、どちらが街に近いかは微妙。
しかし、向こうは獲物を空中に浮かせて普通に歩いている。
こっちは引きずる関係上、走れない。街中に入ってしまうと、さらにスピードは落ちる。
エレメアがこちらに気付いた。
あれは、笑ったのか?
かなり遠いが、それでも鼻で笑ったと俺は確信した。
「ちくしょぉぉぉ」
門へ向けてとにかく急ぐが、みるみる距離は開いて行く。
そして、先に門にたどり着かれてしまった。




