42 兄弟の密談(4)
「し、しかし、兄上」
レオンハルトは地図の上で横臥する蛇の駒をにらみつけ、口を開いた。
膝の上でこぶしを握り直す。
じわりと汗が滲んでいた。
「側妃制度を維持し、必ず国内の娘をも娶るとしても、王が他国から正妻を娶るとなれば、国内諸侯の――いえ、建国の七忠の反発は必至でしょう」
発言することで、己の無知と無理解をさらし、兄から軽蔑のまなざしを向けられることになるのではないか。
レオンハルトは不安を抱きながらも、たずねずにはいられなかった。
ジークフリートは弟へ、ほほえみ返した。
弟の不安に反して、兄は喜んでさえいるようだった。
「続けてみろ」
ジークフリートは両手を広げて言った。
兄の右手は、鷲の駒をつまんでいた。左手には、さきほど兄自身がダガーで傷つけた切り傷。
レオンハルトはごくりと唾を飲み込んだ。
「なにより、生粋の青い血をその身に流す家門以外の娘と子を成せば、その混血児は建国王の子孫として、フランクベルト家門たりうる証を失うのではないですか?」
「これまで王族や青い血を継ぐ者が、他国の人間と結ばれることも、稀にではあるが、あったな。その前例について、おまえは指摘しているのだな? レオン」
ジークフリートが、弟レオンハルトの疑問を補足してやる。
「はい! そういった際、彼らは皆、この国における財産や特権だけにとどまらず、魔力も失ったと聞いております」
レオンハルトはぱっと顔を輝かせた。
「フランクベルト人であることの権利を、すべて放棄せねばならないと」
「その通りだ。よく勉強しているな」
ジークフリートは満足げにうなずいた。
「おまえがここで、なんの疑問も抱かないようであれば、どこから話し始めればよいかと。よかった。いや、おまえを侮りすぎたか。悪かったな」
「いえ。兄上のご懸念通り、不勉強な身ですから」
レオンハルトは兄の落胆を誘わなかったことに、ほっと安堵した。
「そう卑下するな」
ジークフリートは困ったように眉尻をさげた。
鷲の駒をテーブルに置き、指でつつく。
木製の駒がゆらりと傾ぎ、すっかり倒れる前に、すかさず手のひらで受け止める。
そういった意味のない手遊びを一度、二度、と繰り返すと、ジークフリートは顔をあげた。
「ふむ。ではこれでどうだ」
ジークフリートはすこしばかり、弱弱しい口ぶりになった。
「レオンと私では、得意な分野が違うだけの話だ。青い血を発現する以前の私が、戦場でどれほど役に立っただろうか」
「そのようなことは」
レオンハルトはあわてた。
ジークフリートの固有魔法があれば、敵軍の作戦や敵将の位置を正確に知ることができるし、何より兄は頭が切れる。
戦においても、レオンハルトよりずっと活躍するに違いない。
だがそれは、軍師としての活躍であり、兄の言わんとする武力となれば――。
「いじめ過ぎたか?」
ジークフリートは笑った。
「だが、謙遜が過ぎれば、卑屈に聞こえる。気分のよくないものだろう。己の価値と限度を知り、現状と身の程を弁える必要はある。とはいえ、過度にへりくだるのでは、むしろ相手を困らせる」
そこまで言うと、ジークフリートはなにかに気がついたようで、「ああ」と手を振り上げた。芝居がかった素振りだ。
「それとも、レオンの狙いは、底意地の悪い兄をこらしめてやることだったのかな」
くつくつと笑いながら、ジークフリートは弟をからかい続けた。
「ならば成功だ。私は意地悪だからな。おまえもすこしは、意趣返ししたいことだろう」
「意地悪ですよ、兄上」
レオンハルトはとうとう、口をとがらせた。
「ははは! おまえがあまりに縮こまっているものだから。これでは兄弟水入らず、忌憚なく話し合うことは望めぬだろう」
「それは、だって、兄上が」
もごもごと言い訳をするレオンハルトに、ジークフリートは腹を抱えて大笑いした。
「そうだな! 私のせいだ!」
兄の笑いが止まらないので、しばらくレオンハルトはふてくされていたが、しだいに彼も兄につられて笑い出した。
兄弟の明るい笑い声が響き、室内がじゅうぶんに暖まったところで、ジークフリートは「さて」と切り出した。
「レオンの疑問に答えよう」
ジークフリートは背をゆったりともたれかけ、穏やかな声で言った。
「とはいえ、私個人の見解だ。先にも言った通り、おまえは私に同意する必要はないし、疑問があればその都度口にしてほしい。ミュスカデと私は、行動を共にすることが多いあまりに、似た思考をしがちで、多角的な視点に乏しい。レオンの意見を歓迎する」
「はい」
レオンハルトは居住まいを正した。
「まずは建国の七忠の強権について話すとしよう」
ジークフリートは慈愛に満ちたまなざしで、弟を見つめた。
「諸侯が目の敵にし、何かと画策しがちである建国の七忠の強権。王陛下は側妃制度を設けることで、この問題に一石投じたわけだが」
ジークフリートはちらりと、弟へ一瞥をよこした。
レオンハルトは兄の視線に、身を引き締めた。
何かを言わねばならない。
「現状、解決には程遠いですね」
「ふはっ」
かたくるしく追従するレオンハルトに、ジークフリートは思わず笑い出した。
「だから、そうかたくなるなと」
ジークフリートは額に手を当て、肩をふるわせた。
「そうだな。そうは言っても、私があまりに高圧的すぎたのだな」
気まずげにレオンハルトが視線をさまよわせる。
ジークフリートは弟を眺め、そして弟の杯へとワインを注いだ。
「では飲め。すこしは口が軽くなるだろう」
「晩餐会がひかえるので」
「おや。リシュリューのヴィエルジュが勧める酒につきあう様子を見る限り、それほど酒に弱くはないようだったが」
ジークフリートは何気ない口ぶりで言った。
レオンハルトは兄の示唆に気がつき、はっとした。
「なぜ、伯父ヴィエルジュとのことを――」
「ヴィエルジュ曰く、私は蜘蛛だそうだからな」
ジークフリートは自身の杯を手に取った。
「伯父が用意したロデのワインほどには、これは美味くないだろう。リシュリューの美酒美食に、フランクベルト宮廷では敵わぬ」
レオンハルトはあっけにとられた。
「美食といえば、あの晩に伯父が舌鼓を打った鳩のパイ包みも美味そうだったな。今宵の晩餐会では、リシュリューが協力しているらしいぞ。期待できるな」
ジークフリートは弟の戸惑いを素知らぬ振りで、ワインを含んだ。
「ああ。やはり、晩餐会でのワインが待ち遠しい。これまでリシュリューの地で飲んだワインは、格別だったからな」
「あの晩、兄上はあの部屋にいらしたのですね」
レオンハルトは両手で顔を覆った。
とほうもない羞恥がレオンハルトを襲った。
「伯父の懸念のように、壁掛けを這う蜘蛛に化けていたわけではないがな」
ジークフリートは手中にある錫の杯をじっくりと眺めた。
「それから、レオンが憂慮していたリシュリューの女扈従は、無事、夫君のもとに戻り、幸福な夫婦生活を送っているようだぞ」
レオンハルトは顔をあげた。
「よかった」
脱力しきった様子で、レオンハルトはつぶやいた。




