27 側妃カトリーヌと三人の王子
香炉を満たす灰の中、香木が温められている。
フランクベルト王国やその近隣諸国に、このような様式で香りを楽しむ文化はない。
異国の貿易船が大海を経てリシュリュー港に入港し、この国に持ち込んだ。
香炉などの香を焚く品々は、はるか遠く彼方、異国から渡ってきた珍しく貴重な品である。
そしてこの高価な嗜好品は、とある貴人の誕生祝いに、リシュリュー家のマリーが贈った品であった。
贈呈品の受け取り手はカトリーヌ。この離宮に住まう女主人。
カトリーヌとマリーは、夫ヨーハンを共有する仲である。
王宮からほど遠くない場所に構えた離宮で、側妃であるカトリーヌとその王子三人がそろって顔を突き合わせていた。
第二王子ルードルフ、第三王子ハンス、第四王子フィーリプ。
彼らはまぎれもなく、フランクベルト家が正当な血筋の王子であった。
だが三人の王子が母、カトリーヌの生家は、王妃マリーの生家リシュリューとは比べようもない。
建国の七忠が宗家ではないばかりか、その分家筋のひとつですらない。外様の氏族だ。
建国蜂起にはフランクベルト家及び七忠と表立って反目しなかったものの、戦いに参じず。特別な支援も送らず。
そうするあいだに、武装蜂起し統率された兵士らが、彼らに反発する貴族豪族らを制圧し、そこを領土としたフランクベルト王国という国が建った。
フランクベルト家の長を君主に掲げ、他家には建国の七忠といった家々を中央に据えた。
そうして国家が樹立されたのち、側妃カトリーヌの生家はフランクベルト王家に従えられた。
彼らは臣下へと下った際に、地方の一貴族として認められ、青い血の祝福を受けた。
しかし一族魔法は与えられず、固有魔法がその一族の者に発現したことはない。
「これが神から与えられた、最後の機会です」
側妃カトリーヌは、彼女の息子らへおごそかに告げた。
「これまでどれほど金を積もうと、ちらとでもこちらに幸運を割り振ってはくれなかった神ですがね」
手にしたりんごをもてあそびながら、軽薄な調子で第四王子フィーリプが言った。
「ばかな」
第二王子ルードルフが、末弟フィーリプの軽口をたしなめる。
「金の代わりに、神が我らに栄光を与えるとでも?」
第三王子ハンスが、末弟フィーリプの手からすばやくりんごを奪い取った。
「黄金はこうして、たやすく移ろうな」
次兄ハンスが長兄ルードルフに便乗して、末弟フィーリプをからかう。
末弟フィーリプは次兄の手にあるりんごへと首をのばし、そのままの姿勢でかじり取った。
「たしかに」
口の中にあるりんごのかけらを飲み込み、末弟フィーリプは言った。
「そしてこのとおり、黄金も権力も、ほうぼうからその中身を虫に食われる」
「そうか、我らは虫か!」
長兄ルードルフが声をあげて笑った。
次兄ハンスが末弟フィーリプの肩を抱き、三人の兄弟王子は腹を抱えて笑った。
しかし青年らの快活な笑い声は、母カトリーヌの冷たく不機嫌なまなざしに出会ったところで止んだ。
兄弟は気まずげに顔を合わせた。
長兄ルードルフが咳払いをする。
「失礼を、母上」
ルードルフは兄弟を代表して謝った。
「まったくのんきな。おまえ達はわかっているのですか」
母カトリーヌはイライラとした素振りで立ち上がった。
「このままでは、あのジークフリートが次期王となるのですよ」
カトリーヌは息子三人を背に、ドレスの裾をひるがえし、部屋の端から端へとせわしなく往復した。
「あの者は隙がない。これまではおまえ達と同じ、王子の一人でしかなかったが」
カトリーヌはつめをかんだ。
生まれた家の身分の低さを嘲笑されるひとつとして、娘時代のカトリーヌは成長する中で、つめをかむ悪癖を改めるに努めた。
だがこうして感情がたかぶると、カトリーヌはつめをかまずにはいられなかった。
「時すでに遅し」
末弟フィーリプが両手を広げておどけた。
「彼はすでに立太子されましたよ、母上」
「おだまり!」
母カトリーヌはヒステリックに叫び返した。
彼女が激しく机をたたいたので、その上に置かれた香炉が倒れた。
リシュリュー家のマリーから贈られた、異国の香りがより一層強く薫った。
「いまいましい!」
カトリーヌは机の上から香炉を払い落とした。
透かし模様がうつくしい青磁の陶器は、音を立てて割れた。
「なにもかもが嫌味な女だ! このような蛮族の品など!」
激昂により、母カトリーヌの薄い肩が上下するのを、三人の王子たちは哀れみをもって見守った。
第二王子ルードルフが割れた陶磁器のかけらを拾う。
鋭利な破片が彼の手を傷つけ、紫紺色の血の玉がぷっくりと浮かび上がった。
「母上、ごらんください」
長兄ルードルフが母カトリーヌへと、傷ついた手を差し出した。
「我が身にもこうして、健国王の血脈が流れております」
憤怒を隠さぬ顔で、カトリーヌが振り返る。
するとそこには、第二王子ルードルフに続き、第三王子ハンス、第四王子フィーリプまでもが、自身の手を陶磁器の破片で傷つけ、紫紺色の血が流れることを母に証明していた。
「ええ、そうです。おまえ達はたしかに、ヨーハン国王陛下の息子です」
母カトリーヌは口元にいびつな笑みを浮かべた。
カトリーヌは息子らの手を取り、一つに結束させた。
三人の手が重なるところに接吻し、彼女は末弟フィーリプから陶磁器の破片を受け取った。
三人の息子の血を吸った破片で、今度は彼女自身の手のひらを傷つける。
母カトリーヌの手のひらには、息子らとは異なる、真っ青な血の玉が浮かんだ。




