24 駆け引きの誘い
「君はまさか、あか抜けない田舎娘じゃないよね」
先導する女扈従の背に、レオンハルトは声を投げかけた。
女が立ち止まり、振り返った。表情はこわばっている。
あなどられ、からかわれるのかという反発心で女は身構えた。
レオンハルトは肩をすくめた。
「あんまり単純で即物的だと、どうしたって退屈じゃないかい? いろいろとね」
気安い様子で語りかけるレオンハルトに、女扈従は安堵したようだった。心を許したようにはにかんでいる。
喜色のにじむ声で、女が「まあ」と言った。
お返しにレオンハルトは女へと、共謀をもちかけるような、秘密めかした目配せをした。
「なんの駆け引きもなく一方にしか進まないのでは、せっかくの情熱も冷めてしまう。洗練されたやり取りがあってこそ、会話は楽しい。なにごとも教養と、そして遊び心がなければ」
レオンハルトは女扈従の反応を見るように、言葉を止めた。
女は固唾をのんで、レオンハルトが口を開くのを待っている。
レオンハルトは笑みを深めた。
「僕の言いたいこと、わかるかな」
「殿下のお望み通りに」
女は気取って答えた。
勝利を確信したような、女の満足そうな様子に、レオンハルトは黙ってほほえんだ。
断定的なことはなにも口にしていない。
それにこれで、女扈従との身体的関係を避ける口実ができた。女とのやり取りを長引かせなければ、不自然さを疑われることもないだろう。
「誰にも言えない悩みがあるんだ」
レオンハルトは物憂げに切り出した。
「君になら打ち明けられそうだ。聞いてくれるだろうか」
「もちろんにございます」
女扈従が品定めするようにレオンハルトを見つめ、慎重にうなずいた。
わざとらしい苦悩の表情を浮かべていたレオンハルトは、女の返事にぱっと顔を明るくさせた。
「嬉しいな。ありがとう」
レオンハルトは無邪気に喜んだ。
「ずっと聞いてほしかったんだ」
レオンハルトが女へと一歩踏み出す。
「相手は誰でもいいわけじゃない」
「私でお役に立てるのであれば、喜んで」
くすくす笑いで女が言った。
レオンハルトと女扈従は、互い違いに立っていた。
わずかにでも身じろぎすれば触れ合いそうな、親密な距離だ。
だが触れることはしない。
女扈従がレオンハルトを見上げている。
期待に満ちた女のまなざし。
レオンハルトは動かず、女に視線だけをやった。
「リシュリューの人間でなければだめだ。それも混じり気のないリシュリュー」
レオンハルトはささやいた。
「君のように」
「そのお役目はおそらく、私がもっとも適任でしょう」
女扈従はそう言うと、ちらと視線を落とした。
逡巡するような素振りを見せる女。
そして女は顔を上げた。
「『混じりもの』には応えられないお望みに違いありません」
レオンハルトと同じ碧い色の瞳が、彼の瞳をまっすぐに見つめた。
女は謙虚に振る舞おうと努めていた。
しかし隠しきれない優越感が女の全身からあふれていた。
回廊の壁に掛けられた燭台の光が、虚栄心を満たされた女の、その得意げな横顔を照らし出す。
女のツンととがった鼻を隔て、光と影が対称的に分かたれていた。
レオンハルトは「そうなんだ」とうなずいた。
「それに、君でなければならない理由は他にもあるよ」
レオンハルトが女に畳みかける。
「なんでございましょう」
かすれ声をわずかに震えさせ、女扈従が問い返した。
どこか心もとなさそうに。
しかし期待をこらえきれないように。
レオンハルトはそんな女の様子を前に、目を閉じた。
眉間にシワが寄らぬよう気をつけながら、なにかを決意するように小さく息を吸う。
「だって君は」
うっとりするような甘やかな声色で、レオンハルトは言った。
「とても耳がいい。そうだよね?」
女扈従が目を見開く。
女はとたんに警戒する顔つきへと変わった。
「勘違いしないでほしいんだ」
女のまろやかな頬にかかる金の巻き毛を、レオンハルトは指でもてあそぶ。
「半分だけとはいえ、僕だってリシュリューだ。君の耳がいいことは、伯父上から聞いているよ」
女扈従の険しい目つきがゆるむ。
依然として警戒はされている。
だが、レオンハルトのいたずらな手つきが、女の巻き毛から耳へと移ると、女は匂い立つような、つややかな笑みを浮かべた。
「だからね、あれは君に聞かせたんだ」
レオンハルトは女の耳たぶを軽くひっぱり、その耳元にくちびるを近寄せた。
「扉向こうで、きっと君が聞いていてくれてるんじゃないかって。そう期待していたんだよ」
レオンハルトと女扈従は見つめ合った。
廊下には他に、誰の姿も見当たらない。扉の前に立つ衛兵ですら。
女はレオンハルトを、誰の耳にも聞き及ぶことのない、リシュリュー内部の人間だけが知る秘密の場所へ導こうとしていたのだ。
女が期待する情事のために。
宴後の夜では皆寝静まっている。
蝋燭の芯が燃える、ひそやかな音が二人の耳に届く。
「聞いていてくれたんだよね? だって君も僕も、リシュリューの人間だから」
レオンハルトが笑いかける。
「もちろんですわ」
女はレオンハルトの言い分を汲み取り、輝くような笑顔で言った。
「私はリシュリューの人間ですもの」




