23 サイコロとリシュリューの女
ナタリーが寝入ると、レオンハルトは寝台から降りた。
宿入りしてから、伯父ヴィエルジュに挨拶をしていなかった。
司令官キャンベル辺境伯が軍代表として、ヴィエルジュがリシュリュー宗家代表として。それぞれが顔を合わせた際に、レオンハルトも同席している。
宴では酒を飲み交わし、談笑もした。
キャンベル辺境伯の補佐指揮官として。
または大家リシュリューに縁づく人間として。
レオンハルトは、軍とそれを支援する二局の仲介役を担った。
だが甥として伯父に向ける礼は、まだだった。
夜も更け、もはや夜明けに近いものの、ヴィエルジュは起きているに違いない。
レオンハルトは軽装で扉の前に立った。
薄絹の肌着を腰まであるウールのショースにしまい込み、その上に羽織った薄手の平織りウールのチュニックを革のベルトで締めた。足元は革のブーツ。
振り返って長持を見やれば、長さの異なる二本の剣が浮かび上がるように青白い光で照らされていた。
見つめ続ければ命を吸い取られそうに思えるほど、不気味で陰鬱な、おそろしくも神秘的といってよい光景だった。
しかしその正体はなんのおもしろみもない、ただの月光だった。
重く立派な壁掛けと窓との隙間から差し込んでいたのだ。
並び置かれた二本の剣。
レオンハルトとナタリーの長剣だ。
刃長のより長い片手剣がレオンハルトの剣。
刃長のより短い片手剣がナタリーの剣。
レオンハルトはベルトホルダーに手をやった。そこには一振りのダガーがあった。
伯父ヴィエルジュのもとに出向くのに、長剣ではあまりに物々しい。
長持ち上の長剣二振りから、静かな寝息をたてるナタリーへとレオンハルトは視線を移した。
ナタリーは腰までしか布団をかぶっていなかった。
その代わりに波打つ豊かな黒髪が、ところどころ素肌を透かして、彼女の丸い肩と背中を覆い隠していた。
「ゆっくりおやすみ」
ほとんど音にならないくらいの小さな声で、レオンハルトは言った。
扉を押し開けたところで、レオンハルトは驚きに目を見開いた。
衛兵が廊下に座り込み、サイコロをしていたのだ。
サイコロの相手は、とうに退室してここにはいないはずの女扈従だった。
「なにをしているんだ」
意図せず、レオンハルトの声は厳しくなった。
「これはたいへん失礼いたしました!」
衛兵があわてて起立した。
衛兵に遅れて女扈従は立ち上がった。
広がったドレスを踏みつけぬようスカートのすそをつまんでいた女は、その恰好のまま、レオンハルトに軽く膝を折った。
顔色をなくした衛兵が、女扈従を示唆する。
「この者がサイコロで吉凶を占えると申すので――」
「サイコロで神意を問うことは禁止されている」
衛兵をさえぎり、レオンハルトはぴしゃりと言った。
「申し訳ございません。ですが私はただ、サイコロを振っていただけにございます」
女扈従はうやうやしくこうべを下げ、水をすくうように丸めた両手に、三つのサイコロを広げて見せた。
「このように三つの石を転がして、騎士さまと私とで、どちらの数が大きいかを競って遊んでいたのでございます」
「それは賭博ではないのか」
レオンハルトは冷たく指摘した。
「金を賭けてはおりません」
衛兵が否定した。
確かに金は賭けていないだろう。レオンハルトは視線を床に落とし、薄く笑った。
ではいったいなにを賭けた?
詰問はなかったがレオンハルトの漏らした失笑に、衛兵はあちこちに目が泳ぎ、落ち着かない様子だった。
レオンハルトはため息をついた。
「どちらにせよ、サイコロは好ましくないとされている」
「神の御心に触れますか?」
女扈従が訳知り顔でほほえんだ。
この女は、レオンハルトがナタリーと交わした寝物語を盗み聞いている。
レオンハルトは確信した。
扉越しのささやき声すら拾い上げる、いやらしい耳の持ち主のようだった。
女の口ぶりは馴れ馴れしかった。
神への信心と不信心という、私的で秘匿すべき思想に図々しく同調しようと、レオンハルトに媚を売っているのが感じられた。
使用人が入り込んでくるべきではない話題だ。
身のほど知らずに理解者ぶる女を突き放そうと口を開き、しかしレオンハルトは思いとどまった。
女の碧い目を見れば、そこにはレオンハルトへの憧憬が浮かんでいた。
不遜な顔つきには、まさか袖にされるはずがないと信じこむ、うつくしきリシュリュー家の驕りも見えた。
それならば。
「そうだね。君は僕をよくわかってくれるようだ」
レオンハルトは優しげにほほえんだ。
「誰よりも」
「畏れ多きことにございます」
女はうつむき、恥じらう素振りを見せた。
「君と僕には、同じリシュリューの血が流れている。そうだろう?」
レオンハルトは一歩踏み出し、女の顔をのぞきこんだ。
女ははっとした表情になった。
金のまつげに縁取られた瞳を丸くさせる。
そしてレオンハルトと同じ色をした女の瞳が、しだいに潤んでいった。
「はい」
女はうなずいた。
女のふっくらとした頬が、その身に流れる青い血とは逆に、じんわり赤く染まった。
夢見る乙女の愛らしさに、そばに控える衛兵が見惚れた。
「そう、いいこだね。君なら、僕が今、なにを望んでいるのか、わかってくれるよね」
ここからでは光の届かない廊下向こうへと、レオンハルトは横目をやった。
女もつられて回廊奥へ視線をやる。
壁掛けの燭台が点々と続いているのがぼんやりと見えた。
「それでは――」
女の白く細い、かたちのいい指先が、そのくちびるに触れる。
みずみずしいくちびるは、やわらかそうに沈んだ。
この女が、典型的なリシュリューの女であってくれればいい、とレオンハルトは思った。
主から託された使命や義務よりも、つまらない自尊心を満足させるために忠義をかなぐり捨て、享楽的な恋の駆け引きを優先させる、目先の物事ばかりを追うような、愚かなリシュリューの女であってくれればいい。
母王妃のように。
「こちらへ」
女は静かに膝を折った。
輝くばかりに白いウィンプルから、女の金の巻き毛がこぼれ落ちた。




