8 建国の七忠
王国第三騎士団、キャンベル辺境伯騎士団、魔法騎士団・魔術師団で編成される国軍が、いよいよ要所トライデントを制した。
吉報は、ただちに王宮へ。そして中央評議会へと届いた。
此の度のトライデントへの派兵。
これら所属の異なる騎士、および傭兵といった軍編成において、彼らを統括指揮する司令官は、キャンベル辺境伯であった。
キャンベル家。
隣国との境にある広大な辺境伯領を、代々治める。
国内随一の軍事力を誇り、王家に忠実な、フランクベルト王国の盾でもあり、矛でもある。
家系図を現在から建国より前、一族の生起まで遡るうち、いずこかで七忠のいずれかと、血を交わらせてきた。
宮廷貴族ではなく、建国以前の封建領主としての顔を色濃く残す。
純血主義ではなく、様々な血が混じる。
だが確かに、彼等一族の身体に脈打つ血潮にも、建国王が祝福として授けた青い血が、ひそかに息づいている。
肉を斬って噴き出す血の色が、青く見えずとも。
それが勇将、当代キャンベル辺境伯。
彼ほど戦において頼れる武人は、他に類を見ない。
とはいえ、この人事は、中央評議会、特に七人の上級顧問らに衝撃をもたらした。
国王配下の騎士団である第三騎士団団長ではなく。
魔法騎士団・魔術師団からでもなく。
建国の暁より仕える、旧き七家からの選出でもなく。
キャンベル辺境伯こそが司令官に相応しいとして、国王直々に任命されたのだ。
これまでに前例のない抜擢であった。
その末の勝利。
それも、トライデントという、難攻不落であった要塞。
海の覇者、エノシガイオス家が陸の拠点のひとつとした土地。
今しがた届いたばかりの吉報について語り合わんと、参議諸侯が会議室に集っていた。
そこでは、七人の上級顧問を筆頭に、参議諸侯が机を囲んでいた。
この国の中央評議会が上級顧問とは、すなわち建国の七忠であった。
参議諸侯の席より高い台座に、君主国王の姿。
それから、王より一段下で隣に立つ、第一王子ジークフリート。
親子二人を見上げる格好で、参議諸侯は会議開始の音頭を待った。
床には、シルクの絨毯が敷き詰められていた。
緻密で繊細な、手織り絨毯。
深い青から淡い青へと、濃淡の美しい青。それから金と銀が惜しみなく織り込まれている。
絨毯に赤は使われず、会議室の中で唯一見つけられる赤は、壁に掲げられた旗印だけであった。
中央に王家の旗。
赤地に、中央頂点から放射状に底辺へ向かう七本の青の斜線。
それから王家の旗の下に並べられた、七つの旗。
それぞれが赤地に一本の青の斜線が引かれており、左端からメロヴィング家。
右端がヴリリエール家。
リシュリュー家はヴリリエール家の一つ左隣りにあった。
旗の示す順の通り、諸侯は席についていた。
そわそわと落ち着かない室内で、口火を切ったのは、ヴリリエール公爵であった。
「トライデント陥落とは、やりましたねぇ。第五王子殿下を辺境伯に任せたのは、まさしくご英断にございました」
ヴリリエール公爵はジークフリートへと恍惚としたまなざしを向けてから、持ち前のねっとりとした調子で言った。
赤い舌がちろりと、その薄いくちびるをなめた。
ヴリリエール公爵は、彼の痩せ細ったみすぼらしい体を覆い隠すように、美しい艶の、どっしりとした灰色のウールのガウンを羽織っていた。
ガウンには銀糸で、びっしりと刺繍がほどこされていた。
刺繍の意匠は、とぐろを巻き、鎌首をもたげ牙をむく蛇。
しかし、刺繍糸の銀色は、灰色のビロードにすっかり馴染んでいたので、近くに寄ってよく目を凝らしてみなければ、初見ではっきりそうとは知れないだろう。
ただしそれは、彼がヴリリエール公爵であると知らない、おそろしいほどに無垢な人間であればの話だが。
「適所適材ですな。陛下のご差配あらばこそにございました」
ヴリリエール公爵にうなずいたのは、メロヴィング公爵。
ジークフリートの婚約者、ミュスカデの父である。
彼のたっぷりとした顎鬚と、焦げ茶色のビロードの胴衣に刺された刺繍の色は同じ。亜麻色だ。
貫禄ある厚みある体躯、その左胸の刺繍は、翼を広げる鷲の意匠であった。
ヴリリエール公爵を見るメロヴィング公爵の、癖のある亜麻色の口髭が挙上した。ほほえんだのかもしれない。
しかしヴリリエール公爵は、メロヴィング公爵をじろりと睨んだ。
ヴリリエール家とメロヴィング家。
強大な力を持つ建国の七忠がうちでも、きわだった名家二つ。ひそかに対立する旧家二つ。
メロヴィング公爵は、ヴリリエール蛇公爵の見込みの前であっても、当然、蛙のように振る舞うことはなかった。
哀れな蛙を演じてみせたのは、メロヴィング公爵ではなかった。
「おお! なんという!」
ヴリリエール公爵のすぐ隣で、頓狂な声があがった。
「私は今まさに、蛇に見込まれた蛙がごとく、恐怖に打ち震えている!」
リシュリュー侯爵は、憐れそうに自身の肩を両手でさすり、眼をしばたかせた。
彼が手を動かす度、彼の指を彩る美しい色とりどりの宝石が、きらきらと光った。
芸術を司るリシュリュー侯爵。
王の義父。王妃の父であり、ジークフリート、レオンハルト兄弟の祖父である。
リシュリュー侯爵は、怪訝そうに自身を見つめてくるヴリリエール公爵へ、にっこりとほほえみかけた。
ついで、純白のローブに身を包むアングレーム伯爵へと向き直った。
「おや。蛙といっても、あなたのことではありませんよ、アングレーム伯。もちろん、おわかりでしょうが」
「ええ。そうでしょうね」
アングレーム伯爵はため息をついた。
「他の人間の言うことでしたら、腹も立ちましょうが、リシュリュー侯とあっては、裏を読もうとすることこそ、徒労です」
「そうですよ。私は害のない蝶です。皆様の間を飛び回る、美しいだけの」
リシュリュー侯爵はおどけて言った。
メロヴィング公爵は二人のやり取りに興味を示さず。
ヴリリエール公爵もまた、リシュリュー侯爵から視線を外し、メロヴィング公爵を憎々しげに見ていた。
「我等が偉大なる国王陛下」
リシュリュー侯爵は胸に手を当て、王へと頭を垂れた。
たっぷりとしたシルクサテンの袖が、優美なドレープを描いた。
淡い紫色の滑らかな朱子織シルクの、ゆったりと裾の長い上衣は、老いてなお、役者のように美しいリシュリュー侯爵を、よりいっそう惹きたてた。
「どうぞ、蝶の舞にご寛容を賜りますよう」
「いいだろう」
王は愉快そうに片方の口の端をあげた。
リシュリュー侯爵は顔をあげ、にっこりとほほえんだ。
「この息詰まる会議室から、陛下の偉大なるご差配なしに、ぬかりなく羽ばたいて逃げ出すことは」
リシュリュー侯爵は、ぴんとのばした指先を天に向け、もう片方の手を胸に当て、朗々と歌い始めた。
「自由を尊ぶ蝶の翅をもってしても、ああ、どうにも叶わぬ。陛下の偉大なるご差配なしには」
まず王が笑った。
続いて、おべっか使いのエヴルー伯爵。黄色の胴囲を身に着けた、恰幅のいい体が揺れる。
教会へ神官を多く輩出する一族が長、潔癖なアングレーム伯爵は、エヴルー伯爵の引き笑いに眉をひそめた。
「蛙がまたもや、豚を睨みよる」
ガスコーニュ侯爵が鼻で笑った。
彼は漆黒のウールのマントごと、その太い腕を椅子の背もたれにのせ、荒々しく、尊大な様子だった。
「馬のいななきは、臆病ゆえとも聞くなぁ」
オルレアン侯爵は、彼の新緑のチュニックにふさわしい爽やかな笑顔を、ガスコーニュ侯爵に向けた。
「貴公は小賢しいのう」
ガスコーニュ侯爵は眉尻を下げた。
「しかし、此度の戦では、貴公も我も。二人してキャンベル辺境伯にお株を奪われたな」
「そのようなことはないぞ。私の使命は、博識の梟として、必要とされる者へ、知恵を授けることだからな」
オルレアン侯爵は泰然自若として言った。
「魔術師団が、若く溌剌とした、キャンベル辺境伯の役に立てたのであれば、光栄だ。貴君も、魔法騎士団について誇りに思いなさい。私たちは陛下より、これから伸びゆくだろう少年を導くという、先駆者としての名誉を賜ったのだ」
「あのむさ苦しい男を『少年』とな!」
ガスコーニュ侯爵は豪快に笑った。
「いやはや。梟のひと鳴きは、へらへらと軽佻浮薄な蝶の歌より、耳に心地よいわい」
「それは結構なことだ」
オルレアン侯爵は満足そうにうなずいた。
上級顧問たる旧き家の面々が、それぞれの反応を見せる中、リシュリュー侯爵の歌は、終盤にさしかかっていた。




