7 それぞれの朝
どちらからともなく、レオンハルトとナタリーは重ねたくちびるを離した。
すぐ目の前にある相手の瞳に、熱に浮かされた自身の顔が映り込んでいた。
レオンハルトもナタリーも、気恥ずかしいような心地になった。
ほとんど同じタイミングで、二人は視線をそらした。
レオンハルトの指先に、ナタリーの抜けた黒髪があるのを見つけて、ナタリーはほっと安堵した。これでいつもの調子を取り戻せる。
「戦場で、はちみつと精油を髪のために求めるのは贅沢だってわかっているけど、これはひどすぎるわね」
レオンハルトから身を離し、ナタリーは縮れた髪の毛をつまんだ。
「いっそのこと、切ってしまいたい」
「短い髪も似合うよ、きっと」
レオンハルトは本心から言ったが、ナタリーは信じられない気持ちで顔をしかめた。
「レオンのとなりに断髪したあたしが並んだら。じゃじゃ馬の男女じゃなく、いよいよ本物の男を、レオンが愛人として迎える気になったって、兵士達は喜ぶでしょうね」
「ナタリーはきれいだよ。僕がこれまで出会い、見てきた、誰よりも美しい」
情熱的なまなざしと口ぶりで熱心に説くレオンハルトに、ナタリーは気分がよくなった。
「ジークフリート殿下よりも?」
ナタリーが片方の眉をあげ、挑発的に問う。
「それは」
レオンハルトは言葉に詰まった。
「ふたりとも……」
語尾をすぼめるレオンハルトを前に、ナタリーは笑った。
けらけらと楽しそうに笑い声をあげるナタリーにつられ、レオンハルトも笑った。
ひとしきり二人で笑いあうと、ナタリーは目じりに浮かんだ涙を指でぬぐい「それじゃあ明日ね」と言った。
ナタリーが立ち上がる。
「僕達の名誉は、汚さない」
立ち去りかけるナタリーの手を、レオンハルトがつかんだ。
「今夜はそばにいてほしい」
ナタリーは眉尻をさげ、「その言葉を待っていたの」と言った。
言い争いのさなかでは、激昂に鋭く光っていた、ナタリーの黒い瞳。
覗き込めば、揺れる蝋燭の火が映し出されていた。
炎の揺らめきは、とろりと甘くレオンハルトを誘った。
翌朝、寝台で目覚めたレオンハルトは、すぐとなりで寝息を立てるナタリーの横顔を眺めた。
厚い布を通して、太陽の光がうっすらとテント内を明るくしていた。
ナタリーの肌も髪も、潤いが足りず、薄汚れたままだった。体には傷も多くあった。
だが神々しいほどに美しかった。
もし兄ジークフリートが、レオンハルトの立場で昨晩を過ごしたのだったら。
兄は決して、間違いを犯さなかっただろう。
レオンハルトは自己嫌悪に胸が押しつぶされる、重く鈍い痛みを感じた。
流してもいい血、失ってもいい生命を選別する役目も。
名誉の誓いを守り通す役目も。
どちらの役目も満足に務めることができない。
レオンハルトは自身が、欲に流され、確固とした意志を持たぬ、軽蔑すべき、惨めな愚者に他ならないことを知った。
愛することと、愛する女性に導きの女神の役目を身勝手に期待することは違う。
レオンハルトは悔い、昨晩に戻ってやり直したいと強く願った。
一方で、布団にくるまるナタリーは、レオンハルトの視線が自身に注がれていることに気がついていた。
どうにもこうにも、くすくす笑いが胸からこみあげてくる。
目が覚めてすぐ、まだ夢の中にいるレオンハルトを横目にとらえ、ナタリーは決めたのだった。
おはようの口づけをレオンハルトが与えてくれるまで、まぶたを閉じていることにしようと。
けれど寝たふりを決め込むには、口元がどうしてもゆるんでしまう。
ナタリーは自身の命令に反抗的な口を、ふかふかとした羽毛布団に押つけることで隠した。
早くレオンハルトが口づけてくれないだろうかとわくわくしながら。
ナタリーだけが知っている、あの温かで情熱的な碧い双眸に、おはようを言いたい。




