24 黒貂の毛皮と婚約の勅命
レオンハルトとキャンベル辺境伯は、謁見の間にて玉座の下、並んで立ち、王の訪れを待っていた。
キャンベル辺境伯が嫡子ナタリーと、フランクベルト王国第五王子レオンハルトの婚約。その勅命を受けるために、二人揃って、キャンベル辺境伯領より王都に呼び戻された。
帰宮前のレオンハルトはそのように考え、ナタリーへの求婚とその承諾を得てからは、キャンベル辺境伯にも心構えをするよう告げた。
だが今、レオンハルトの心は不安に揺れていた。
ジークフリートによって示唆された、神と建国王の謎。
古の契約と、その証である青い血。旧き貴族の生まれながらに持つ青い血。発現の儀を以て、ようやく青く光る、王族の血。
王と忠臣とを繋ぐ契約。今や失われた秘術。
王家の旗に浮かび上がった獅子。
建国王の通称――獅子王。
冷たい指先で、内臓を直に撫でられているような。胸のぞっとする予感が、次から次へと湧き出てくる。
抑えつけようにも、レオンハルトの胸中にある泥沼で、コポコポとあちこちから気泡が生じては、弾けていた。
「国王陛下の御成りである!」
高らかな声が広間に響き、扉近くの衛兵が、豪華な装飾の施された槍を振り上げ、床を突く。
穂がギラリと光り、石突の硬質な音が鳴る。
レオンハルトは静かに、そしてゆっくりと息を吐き出した。
片膝をつき、磨かれた大理石の上、体重を支える右膝に、意識を集中させる。
レオンハルトが履いているブリーチズは、しっかりと目の詰まった、上等な絹紋織物で仕立てられている。
膝下までのブリーチズと、膝上までの靴下。
片膝をついている今、ちょうどブリーチズの端がレオンハルトの膝の上にかかっている。
その布越しの冷たく固い床。
レオンハルトは頭を垂れたまま、王が玉座に上がるのを待つ。
絨毯の上、分厚くて黒褐色の毛皮を縫い付けた、どっしりとした毛織物のマントが滑っていく。
その様を目の端に捉え、その色艶の素晴らしさに、レオンハルトは内心、感嘆した。
あれほどまで見事な毛皮。冬毛の黒貂に違いない。
王室のみに許された娯楽狩猟。
レオンハルトも王族の一人として、例にもれず、狩りを好んだ。
だがその趣味は、キャンベル辺境伯領でナタリーに窘められた。
「無益な殺生を愉しむなんて、レオン。あなた、本当に王子様らしいのね」
軽蔑しきったように目を細めるナタリー。
レオンハルトは肩をすくめた。
「君に理解してもらおうとは思わないよ」
狩猟は王家の権限であり、権威であり、伝統的な娯楽だ。
王室主催の狩猟会に呼ばれた貴族のみが、例外としてその場限りにつき、娯楽狩猟を許される。
野蛮なことよ、と揶揄する者が、これまでいなかったわけではない。
だがそれらの声は大概、娯楽狩猟を許されず、僻み羨む者達から発せられていた。
御婦人ご令嬢方も、「おお、恐ろしい」と口にしながらも、狩りの上手い男には一目置いたし、素晴らしい獲物から得られる上等の毛皮は、貴婦人方の装いを一層華やかにする。
娯楽狩猟は、強さ、逞しさ。それから豊かさ、権威を示す。
だからレオンハルトは、否定的な声について、気にも留めずにいた。
「ええ。理解したくないし、するつもりもない」
きっぱりと言い切るナタリーの口は、一文字に結ばれていた。
レオンハルトは据わりの悪い気持ちになった。今すぐ言い訳をして、取り繕わなくてはならないような焦燥感があった。
「あたしも狩りをする。だけどそれは、食べるため。民や家畜を獣から守るため。それから厳しい寒さから身を守る、毛皮を手に入れるため。
いずれ戦地で敵だって討つ。だけどそれは、領地と領民を守るため」
ナタリーは手にしていたダガーの鞘を払った。それからレオンハルトに向け、鋭く投げる。
「娯楽狩猟って、こういうことでしょ?」
難なく避けるレオンハルトだったが、地に落ちたダガーを拾う手には、じっとりと汗が滲んでいた。
拾い上げたダガーの柄は、汗で変色し、ナタリーの指の形を明らかにしている。
「あなたの満足と愉悦のためだけに剣を振るい、魔法を操ろうとするのだったら、あたしは王子様と剣劇を続ける気はない」
初めて顔を合わせた際に、ナタリーがくるくると回していたダガー。
あの行為には威嚇の意が籠められていた。レオンハルトへの嘲りと優越感をもまた、ナタリーは感じていたはずだ。
そして、ご機嫌伺いを強いられることは、レオンハルトの自尊心をいささか傷つけた。
だがそれ以上に、ナタリーから向けられるまなざし。そこに浮かぶ落胆を取り消したかった。
レオンハルトはナタリーの手を取り、ダガーを握らせた。蓋をするように、もう片方の手でナタリーの手を覆う。
ナタリーが手を引き抜こうとするので、レオンハルトは両手に力を籠め、その手を留めた。
鞘は未だナタリーの足元にあるが、レオンハルトの手に血は滲まない。
「わかったよ」
レオンハルトにだって、言い分はあった。だが口にするのはやめた。
ナタリーは嬉しそうに笑った。
◇
玉座の前に立つ父国王。
見事な毛皮のマントを翻し、宝石の散りばめられた錫杖で床を打ち鳴らした。
そしてレオンハルトとナタリーの婚約が、正式に命じられた。
王家とキャンベル辺境伯家の異なる性質が、結び付けられると決まった瞬間だった。
国王の纏う毛皮。黒貂は娯楽狩猟ではなく、罠にかけたのだろう。
傷のない、美しく見事な毛皮のマントだった。ナタリーの豊かな黒髪をレオンハルトに思い起こさせた。
ナタリーは今、何をしているのだろうか。
騎士達に交じり、鍛錬に明け暮れているのだろうか。それとも狩りを?




