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18 悪魔捨て場




 男はゴールデングレインの孤児院で育った。


 ゴールデングレインという富みを見せびらかすような、いかにもな土地名にもかかわらず、ゴールデングレイン一帯は貧しい。

 男女問わず若者そのものがめずらしかったが、成長した男がいれば、ほとんどの者が出稼ぎに出て行った。

 それだから新たな生命はほとんど生まれなかった。ときおり集落に残った若い女がぽつりぽつりと子を産み、人口を増やした。


 出稼ぎに出る前の男と夫婦になったり。

 働き盛りを越えた年長の男の後妻になったり。

 あるいは、出稼ぎに出る能力に恵まれなかった男などがまれに集落に残っていて、そういった残り物で手を打つ女がいたからだ。


 そのようにして生まれる生命は歓迎された。正当な村人として認められた。たいていの場合は。

 そして男はその『たいていの場合』に含まれない赤子だった。


 男は悪魔だったのだ。あるいは悪魔の子。


 悪魔や悪魔の子といった赤子は、孤児院に捨てられた。

 ゴールデングレインにはいくつかの集落があるのだが、孤児院はひとつだけで、それら村々すべての悪魔捨て場だった。


 悪魔を育てることはできない。

 かといって殺すこともできない。


 なぜなら、かつてのゴールデングレインの領主代官が先導した魔女狩りで、ゴールデングレインの大領主キャンベル辺境伯の逆鱗(げきりん)に触れたという過去があるからだ。

 魔女も悪魔も、そういった存在はすべて迷信であるとキャンベル辺境伯は見なした。


 迷信に過ぎない魔女や悪魔。そのような蔑称(べっしょう)無辜(むこ)なる民に押しつけ迫害するようなことは、今後一切あってはならない。断じて許さない。

 それがキャンベル辺境伯からゴールデングレインの住民たちへとくだされた通告だ。

 それからというもの、現当主に至るまでその方針は変わっていない。


 そういったわけで、村人たちは悪魔の赤子である男を処分することができなかった。

 男は母親の顔を覚えるまもなく、孤児院に捨てられた。


 悪魔として捨てられた赤子は、運よく成長できた場合、村人たちから悪魔の子であったと悟られずに済むこともある。

 目立つ障害を抱えたまま死することなく成長することがかなってしまったり、あるいは、よほど赤子のころの面影を残していない限りは。


 男はちがう。そのどちらでもない。

 そのくせ村人たちは、男が悪魔であることを見逃してはくれないだろう。


 八年ほど前のことだ。

 男は孤児院を抜け出し、集落に降りたことがあった。


 ゴールデングレインには鬱蒼(うっそう)と木々の(しげ)る森がある。

 叡智(えいち)の象徴である大鴉(おおがらす)が住まう森として知られ、なだらかな丘陵(きゅうりょう)地帯ながらも森の奥には澄んだ水の清らかな渓谷(けいこく)があり、レイヴン渓谷とも呼ばれた。

 また森は、大鴉の住処であると同時に、孤児院と各集落とを(へだ)てる役割も(にな)った。

 善良なる村人の住まう地上と、悪魔が蔓延(はびこ)る不浄とを分ける、神聖なる大鴉の森。

 だが森にはいくつもの踏み分け道があり、一見隔離された孤児院ではあるものの、それぞれの集落に通じている。


 獣道と大差ない、足場の悪い踏み分け道を自力で歩けるくらいに成長した男は、孤児院から飛び出した。

 おのれを捨てた薄情な母親の顔をおがんでやろうとたくらんだのだ。


 会えたらどうしようか。まずはとことん(ののし)ってやろう。相手が泣いて詫びをいれるまで、絶対に許すものか。

 それまでの日々を後悔にむせび泣くことで過ごし、消え入りそうなほどに憔悴(しょうすい)しきっていたのなら、許してやろう。

 それからそのあとで。もしかしたら。もしかしたら、抱きついたりなんかもするかもしれない。もしかしたら、抱きしめかえしてもらえるかもしれない。

 離れていた長い空白の時間を、抱きしめあうことで満たすように。


 だが産みの母親には会えなかった。

 悪魔を産んだ女が集落にとどまることは、ほとんどない。


 男が出会えたのは、その前年に生まれたばかりだという、男とはなんの関係もない女児とその女児を抱く母親らしき女。

 それから女児をのぞきこむ、兄らしき男児。彼らをうしろから包みこむように見守る、父親らしき男。

 いかにも幸せそうな家族だ。

 男は生まれてすぐに、捨てられてしまったというのに。あの幼児たちには、母親だけでなく父親までそろっている。


 女児は黒髪で、男児は赤毛。栗毛ばかりの集落で、あきらかに異質な外見だ。

 それにも関わらず、彼らは悪魔呼ばわりされることなく、両親に愛されているらしい。


 

「なんだあれ。あいつらだって、俺とおなじ。ふつうじゃない」

 男女の幼児を凝視する男の目が、らんらんと光る。

「悪魔じゃん」



 見えない釣り針が口の端にひっかけられたのかのように、くちびるが弧を描いて吊りあがる。

 男は口元を手でおさえた。


 悪魔の男がにやにや笑いで、この村唯一の『医者先生』家族を見ていれば、殴られるに決まっている。

 だが胸の鼓動はますます強く早く高鳴っていく。

 体の中心にある空気袋が大きくふくらんで、足が浮きあがりそうだ。腹から尻にかけて重苦しくとどまっている糞溜めですら、へその上までのぼりつめて小躍りしている。


 幸せそうな笑顔を振りまく家族。

 一家の主であろう『医者先生』が、ふと男のほうへと視線を投げた。

 男はあわてて、その場から逃げ出した。



「悪魔を二匹も飼うなんて。あのひとたち、ずいぶん物好き。ていうか、母親も悪魔。おとなの女だから魔女。もっと悪い」

 男は野犬のように舌をつきだし、はっはと息をはずませて走った。

「なんだあの真っ黒な髪。きもちわるっ。あの男、魔女に弱みでも握られてんのかな。かわいそ」

 誰にも聞こえないよう、小声でつぶやく。

「『医者先生』なのに。かわいそ。魔女に呪いをかけられたのかな。かわいそ」



 異質な存在はすべて悪魔だ。

 だって男が悪魔なのは、ふつうより早く生まれてきて、ふつうより弱くて、ふつうより小さくて醜かったからだ。

 だからあの家族は、『医者先生』以外の全員が悪魔だ。


 どうやら悪魔が村人として認められているらしい。

 それならば『悪魔を産んだ女』をたずねてまわることだって、罪には問われないかもしれない。

 悪魔の自分が村にしのびこみ、あまつさえはひとびとに話しかけることだって、見逃してもらえるかもしれない。


 『悪魔一家』を見たあとでは、奇妙な自信がわいて出た。


 まもなく男は、村の長の目の前まで引きずられ、突き出された。

 男が村に入り込んだことを村の誰かが村長に報告したようだった。


 おのれを取り囲む男衆を見上げ、男は『医者先生』の姿を探した。

 彼は悪魔の夫、悪魔の父となったろう人物だ。

 彼ならば、男をかばってくれるかもしれない。悪魔の男にも同情してくれるかもしれない。

 だがその場に、『医者先生』の姿は見当たらなかった。


 男衆から殴られ蹴られ。

 結局、母親には会えずじまい。『成長した悪魔』として、男の姿を村人たちの記憶に深く刻み込むことのみが、しっかり成功してしまった。


 男は孤児院に戻った。ほかに行くあてもなかった。

 新天地を求める気概(きがい)はわいてこなかった。見知らぬ土地で生き抜いていけるようにも思えなかった。自我が育ってしまったいま、死ぬことはこわかった。


 そうはいっても、孤児院という場所でどうにか生き延びることができてよかったのか。それとも、生まれてすぐに殺されたほうがよかったのか。

 男にはわからなかった。

 つまり男の育った孤児院は、そういう場所だった。


 食事という名の泥水をすすり、与えられた仕事をこなす。

 明かりのタネとなる蝋燭(ろうそく)も油もないので、日が落ちれば悪魔仲間である子どもたちや(ねずみ)とともに、あるかなきか、すかすかの薄い敷き(わら)の上、疲労と空腹に糞と膿ばかりが詰まった体を横たえる。

 ()(まき)をくべるような贅沢はできないので、冬は寒さに震えながら眠る。夏は流行り病が通り過ぎることを祈り、暑さにうだりながら眠る。

 翌朝目覚めることができれば、神に感謝する。

 地獄のような世界に生み落としてくださって、ありがとう。ぼくたちわたしたち悪魔は、今日もしぶとく生きています。


 そんな日々をどれくらい繰り返したころだったろう。

 たいそう身なりのいい女児が孤児院をおとずれた。


 孤児院までわざわざ男を探しに来たのだと、見るからに金持ちそうなお嬢様は言った。

 痩せっぽっちの子どもしかいない孤児院では、体格で年齢の比較をすることはできない。口ぶりからすれば、男とそれほど年は変わらなそうだった。



「なんてきたな……じゃなかった。なんてひどいこと」

 男を一目見たお嬢様の第一声が、それだった。


 そのお嬢様は、波打つ豊かな髪を背中まで垂らし、ピカピカキラキラの宝石がついた金鎖の髪飾りを自慢げに揺らしていた。




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― 新着の感想 ―
お嬢様……、なんというかブレないですね笑。 テス様という王子様、ハロルドというイケメン、ジャックは幼い頃から一緒。 そりゃ、ルークをなんとかしないと、お嬢様が見たい景色が見えないってことかしら? う…
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