4 強奪者のホットチョコレート(2)
「まあ、それとは別にしても、ボクはホットチョコレートが好きなんだ。嗜好品としてね」
レオンのけわしい表情に目を留めるやいなや、エドワードはすぐさま話の矛先を変えた。
「そういえばユーフラテス兄上は苦手だったな、チョコレート。レオンハルト二世、あなたはどう? 試してみる?」
レオンは眉をひそめた。
レオンを通して『レオンハルト二世』を見る人間は、エドワードで二人目だ。
一人目は、ナタリー。
「僕は」
レオンハルトではない、とレオンが言い終える前に、「そうは言っても」と、エドワードが口をはさんだ。
「『君』は、いまの時代を生きる『レオン』だ」
エドワードの細く白い指が、レオンの頬をなぜる。
「たとえ魂が同じだとしても、別人だろ。ちがうかい?」
くすぐるように触れたかと思えば、すぐさま離れるエドワードの冷たい指先。
生きている人間らしい体温を残さず、羽毛のように軽い違和感をレオンに残した。
――烏のような……いや、オルレアン家に縁を持つのであれば、梟か。
頬に残る、むずがゆいようなわずらわしさを振りきるため、レオンはちいさく首を振った。
それから、あらためてエドワードの姿を眺める。
彼は窓から差し込む陽光を背に、寝台に腰かけた格好のまま、にっこりとレオンに友好的な笑みを投げかけ続けている。
機嫌よさげに細められた、あかるい緑色の瞳。
魂の底までをも見通すような、エドワードのまなざし。
緑色の瞳は、魔性を秘めるという。
『悪魔の子』と称される第三王子エドワード。
彼が誰彼となくささやかれる蔑称だ。もうひとつの蔑称、『禍王子』の由来は、平民のレオンにはわからない。
しかし『悪魔の子』はどうだ。
レオンの胸に、すとんとおさまった。
彼は慧眼の士なのだ。『悪魔の子』と畏れられるほどに。
「チョコレートはけっこうです」
レオンはため息をつき、こたえた。
「そんな高価な品には、慣れておりませんから」
目の前の青年は、尊き身分の御仁だ。
たとえ彼が、王位継承権を受け取るべき王子の位にはないと、一部の宮廷人から見なされているのだとしても。
そういうことは昔からあった。
レオンハルトが王子であったときから、ルヌーフ家の異母兄たちを正当なるフランクベルト家の王子として認めようとしない一派は、たしかに存在した。
「家族の行方をおたずねしてもよろしいですか」
レオンが問えば、エドワードは「もちろん」と答えた。
「ただし、ボクが知っている範囲に限られるけど」
エドワードは道化のように目玉をぐるりとまわした。
「君が想像するより、ボクはずっと小物だからね。王家の事情もわるだくみも、ほとんど知らされていないんだ。残念ながら」
エドワードの軽口に、レオンは苛立った。
エドワードは、大国の王子という殿上人にあるだけでない。腹に一物抱えるだろう貴族たちが危険視するほどの頭脳をもつ人物だ。
『悪魔の子』、『禍王子』という不穏な通り名が示唆している。
エドワードは、初対面のはずのレオンの胸の内をあっさりと暴いてみせた。こんなことは赤子の手をひねることより容易なのだと。
「君、ボクのことあやしんでいるね?」
いぶかしむレオンへと、エドワードがぐっと身を寄せる。
「ボクなんてまったくの小物だよ。ちょっとうさんくさいくらいでさ」
うさんくさいことは自覚しているのか。レオンは拍子抜けした。
「君たちを襲ったユーフラテス兄上だって、誤解されやすいけれど、実際にはとってもお優しい方だ。ボクがこうしてのほほんとしていられるのは、ユーフラテス兄上のおかげだもの」
エドワードは兄ユーフラテスの名にさしかかると、うっとりとした顔つきになった。
兄の名をていねいに発音するエドワード。
その名の持つ異国風の響きが、まるで甘美な酒であるかのように、舌先で転がし味わっている。
彼は彼の兄に、そうとう入れ込んでいるらしい。
苦々しいような、恥ずかしいような、懐かしいような。レオンは落ち着かない心地になった。
目をそらしたい過去をつかみ出され、ゆすぶられ、見せつけられているようだ。
それでいて、おのれの過去とは違うエドワード自身にも、はっきりとしない既視感を覚える。
彼はいったい誰だ。オルレアン家の母を持つ第三王子エドワードであるという以前に――。
思考に沈みかけるレオンだったが、彼の目を覚ますように、エドワードのおしゃべりが再開する。
「それに父王陛下と正妃陛下も、たいていのことには目をつぶってくださる。両陛下ともに寛容な方々だ。側妃殿下は――」
ここにきてエドワードは言いよどんだ。あからさまに表情が曇る。
「うん。まあ、ちょっとわずらわしいけれど、こちらもただの小物。ボクの母なだけがあるよね。母子そろって小物さ」
「はあ」
レオンは気の抜けたあいづちを打った。
それまでぺちゃくちゃとせわしなく動いていた口が閉ざされただけでなく、エドワードがレオンの瞳をじっと覗き込んできたからだ。
レオンが返事をするまでは口を開かずに待っているという、エドワードの意思が感じられた。
とはいえ、エドワードの言い分に、平民のレオンが同意するわけにもいくまい。
エドワードいわく、彼の生母は大貴族オルレアン家の人間なのだ。
エドワードはひとまず、レオンからあいづちを引き出せたことに満足したようで、ふたたび口を開いた。
「本当に怖いのは――」
エドワードが言葉の先をつむぐ前に、部屋の外から扉が無遠慮に叩かれた。




